NOVELTOP

目の前の魔法使いが詐欺師にしか見えないのですが如何いたしましょう?

5 詐欺魔法使いの弟子はドラゴンがお好き?(8)

 その日、私は夜が明ける少し前に目が覚めてしまった。
 しばらくの間ベッドの中でもぞもぞと体を動かす。布団に残る温もりに漂い無理矢理瞼を閉じてみるけれど、夢の世界へ通じる扉は固く閉ざされていて入ることすらできない。寝返りを打っても余計に目が冴えるばかりだ。
「ううぅっ!」
 私は怒りにも近いうなり声を上げると、嫌々体を起こした。服を着替え部屋を出る。まずは台所に向かった。
 いつも起きる時間だったら、ここでクレアさんが朝御飯を作っていて台所に来た私に挨拶をしてくれるのだがこの時間は彼女もさすがに眠っている。私は水瓶に残っていた水を一口飲んで、勝手口から外へ出た。
 空気の冷たさにひとつ身震いをする。朝もやの中を少し歩いていくと、私が最初に着地した川のほとりへたどり着く。
 ここは毎朝クレアさんの娘が水を汲みにいっているけど――以下同文。そのかわり、川辺には何故かプミラさんが佇んでいた。隣には以前私の鼻をかじったドラゴンもいて川の水を飲んでいる。あの時はオウムと同じ大きさだったのに、今は子馬位まで成長している。
 私は彼女におはよう、と挨拶をした。彼女は一瞬肩を震わせたが、声をかけたのが私だと知ると胸をなでおろす。
「ああ、あなただったのね」
「プミラさんも散歩?」
 私の問いに彼女は首を横に振る。
「この子を自然の群れにかえそうと思って。このまま私の『使い』にすることもできるんだけど、親の愛情を知らないまま育ってしまうのは何だか可哀想な気がして――」
 そう言って彼女は静かに笑う。少し悲しげな表情を浮かべた後で、川辺にもう一度目を向けた。視線の先を追いかけると、少し離れた上流にホワイトドラゴンの親子連れが水浴びをしていた。
「あれが前に言ってた――はぐれた親のドラゴン、なの?」
「そうじゃないけど、ホワイトドラゴンは仲間意識が強くて同族なら自分の子じゃなくても家族として迎えてくれるの」
 プミラさんは大きくなったドラゴンを一度抱きしめる。別れを惜しむかのようにひとつ口づけを落とすと何かを唱えた。小さな光がドラゴンの口から吐き出され、天に昇っていく。
「服従の呪文は解いたから、貴方はもう自由よ。仲間のところへ行きなさい」
 ドラゴンははじめ、きょとんとした顔をしていたけど、そのうち羽を広げて仲間の所へ向かっていった。水浴びをしていたドラゴンの子供が同じ色をした同類に吸い寄せられるように近づいていく。
 全ては順調に進むと思われた――が。
 突然、獣の奇声が耳をつんざく。
 予想ではドラゴン達がお互いの存在を確かめあうのにお互いの体を摺り寄せるはずだったらしい。だが、プミラさんに育てられたホワイトドラゴンは仲間へ牙を向けるだけだ。
 奇声がしばらく続いたあと、ホワイトドラゴンは一度翼を広げ親子から離れていった。大きく旋回を続け威嚇したあと、突然急降下する。自分と同じ大きさのドラゴンに牙を向けた。とっさに親ドラゴンが子を突き飛ばし、火を吐いて威嚇する。ホワイトドラゴンは一旦身を引いたものの、次に降下した時は子をかばった親に噛みつき、翼の一部を引きちぎっていた。
 同族同士の争いに私は息を飲む。一体何なの、と声を上げ、隣りを見るが、プミラさんの姿がそこにない。彼女は私のずっと先を――争いの渦中に向かって走っていた。
「止めなさい! やめてっ!」
 プミラさんがドラゴンの親子をかばうように立ちはだかると、杖を握った。改めてドラゴンに服従の呪文をかけるが、成功率0か100かの魔法は今日も失敗に終わってしまう。それどころかドラゴンは育ての親である彼女に襲い掛かってきたのだ。
 鋭い爪が彼女の肌を傷つける。腕に足に背中に赤い筋が走る。地面に転がるプミラさんを見て、私ははっとした。
 このままでは彼女が殺されてしまう!
 私は一歩を踏み出す覚悟を決めた。
 忍び足で近づくと、ホワイトドラゴンの背中に回る。傷を負ったドラゴンの親子はプミラさんが囮になったおかげで川の更に上流へ逃げている。私は下流に向かって石を投げた。ぼちゃん、という音とともに、ドラゴンの気がそちらに向かう。隙をついて彼女の腕を取ると近くの林に飛び込み、鬱蒼とした木の陰に隠れた。
「大丈夫?」
 私はプミラさんに問う。彼女は一度頷くと深く息をついて呼吸を整えていた。
 彼女が全身に負った傷は思った以上に深い。血をみるだけでこちらにも痛みが伝わってくる。
「なんで? あの子――ホワイトドラゴンはこんな攻撃的な性格じゃないはずなのに」
 自分が育てたドラゴンの豹変に、プミラさんはかなり困惑していた。
 私も目の前の展開に驚きを隠せない。でもその一方で冷静に事実を受け止めている自分がいる。それはきっと私の脳裏に昨日読んだ文献の端々が浮かんだからだろう。
 ドラゴンの遺伝子においては、ある確率を持って劣性遺伝子を強く継いだ奇形腫が産まれることがある。
 ブラックドラゴンは警戒心が強く、攻撃力は他のドラゴンの十倍。
 ――つまり。
 あれはホワイトドラゴンではなく劣性遺伝子を持ったブラックドラゴンかもしれない?
 ブラックドラゴンの巣に別のドラゴンが託卵し数合わせのためにひとつ落としていたとしたら。それをプミラさんが拾ったとしたら。羽化したドラゴンがたまたま色素が抜けた奇形腫だったとしたら。
   全ては臆測でしかない。でもそれらすべてが正解だったら――とてつもなく危険な状況じゃないか!
 もしドラゴンがシールドに気づいたらとんでもなくまずい!
 私は上空を旋回するドラゴンを見上げた。
 すべてがたらればの話であってほしい。これ以上高く飛ばないでほしい。
 私は切にそう願うが時はすでに遅し、若いドラゴンは更なる高みを目指して飛んでいく。そのうち七色の壁に気づいた。朝日を浴びきらきらと光るそれはドラゴンの格好の餌となる。
 ドラゴンはシールドの手前で一度速度を緩める。壁の様子を伺うように右へ左へと翼を揺らした後、もう一度旋回する。そして流星のごとくスピードを上げるといっきに壁を突き抜けた。ぱりん、という音。世界を守る盾が粉々に砕ける。それは全ての臆測が正解だという証でもあった。
 魔法使いたちの努力は報われないまま。森に、町に、城に、虹色の欠片が降り注ぐ。
 それは美しくも儚い絶望の雨だった。

NOVELTOP