2章 7月7日 -プロローグ-
オフィス街にあるコーヒーショップでくつろいでいると、真新しいスーツに身を包んだ男に声をかけられた。
「さっき面接で一緒だったんだけど――覚えてる?」
「……ああ」
男と同じ格好をしていた俺はつとめて冷静を装ってみる。
目の前にいる男の顔ははっきりと覚えていた。
先日の筆記試験でも、今日の集団面接でも俺の隣にいたライバルの一人だ。
覚えられていたのが嬉しかったのか、男は俺に向かってにっと笑う。
そして俺の座っているテーブルを指さした。
「向かい、座っていい?」
「どうぞ」
ひきつる目元がばれないよう、さりげなくうつむいて手元の時計を見る俺。
時刻は十一時を回ったばかり。
まだ開店して一時間も経っていないせいか、客はまばらだ。
窓の外は半袖のパレードが続いていた。
エアコンの風が外との温度差を更に広げていく。
「もうどのくらい回ったの?」
「さあ? 忘れた」
「俺は二十社くらい回ったんだけど――面接は未だ慣れないな」
「そう」
話を左から右に流しながら、俺はこの場を離れるタイミングを窺う。
苛立ちとともに、一刻も早く逃げようという思いが走る。
だが――なかなかその時が掴めない。
「つうか、あの雰囲気が嫌だな。お偉いさんが目を光らせてるって感じ?
『普段通りでいいですよ』なんて言ってるけど、あれじゃ普段の自分なんて出るわけがないっての」
「ふうん……」
「でも今日の面接は面白かったなあ」
男の能天気な声に、俺のコップを持つ手がわずかに震えた。
「いやぁ。あんたのアレはインパクトあった。エセ占い師か、どっかの宗教かって思った。
あれってやっぱウケ狙い?」
「違う」
俺は腹の底から唸った。
「前にいた奴が先に言っちまったんだよ」
「は?」
「俺の前にいた奴が、俺の志望動機を全部持って行きやがった」
そこまで聞いて、ようやく男にはっとしたような表情が浮かぶ。
「前の奴って――俺か?」
「そうだ!」
アイスコーヒーを飲みきると、乾ききった口の中が潤う。よみがえるのは苦い思いだけだ。
ばつが悪くなったらしい、男は口をもごもごとさせた。
「それは申し訳なかったというか……間が悪かったというか……」
「本当にな」
俺は低い声を響かせ、威嚇する。
それが大人げないものだと分かっていたが、言わずにはいられなかった。
本当はちゃんと志望動機も考えていた。
マニュアルにちょっと毛が生えただけの程度だが、それなりにパンチのきいた台詞を用意したつもりだ。
それなのに……この男が見事かっさらってしまって。
……とにもかくも、あの時の俺はかなりテンパっていた。
倍率五十倍にまで膨れ上がった就職面接は、少しでも隙を見せたら命取りになる。
このまま志望動機を言わなければ、即振り落とされる。
異常なほどの緊張感と焦りの中、俺は必死で考えを巡らせて。
そして、汗ばんだ手に一度視線を落としたあとで、思わず言ってしまったのだ。
これが私の運命だったのです――と。
俺の頭の中が真っ白になったのは言うまでもない。
まったく、愛の告白じゃあるまいし、この男のいうとおり下手な宗教勧誘でもあるまいし。
案の定、面接官は俺を集中攻撃してきた。
――弊社のどんな所が『運命』だと思われたのですか?
――あなたはこういった『運命』を他で感じたことは?
失言とはいえ、あの言葉を連呼されるたびに俺は赤面するばかり。
必死で答えを取り繕ったものの、言葉を噛むたびに面接官には失笑されてしまった。
これは完全に落とされたに違いない。
「ま、まぁ、そう落ち込むなって。俺だって思っていたことの半分も喋れなかったんだぜ。
ほら、面接なんて見合いと一緒だ。縁があるかないか……そんなとこだろ?」
「縁?」
男の言葉を皮肉で繰り返し――今度は俺がはっとする。
何で今まで気づかなかったのだろう。
「運命」なんて言葉を使うより「縁」って言ったほうがよっぽど自然ではないか。
そう、これまでの就活でもよく耳にしていたではないか。
不採用の電話口で――
「……」
思い出したら更にへこんできた。
テーブルに肘をついたまま俺は頭を抱えてしまう。
これで何社回ったのだろう。
これを逃したら全滅。もちろん、コネなんてあるわけがない。
輝かしい未来どころか、奈落の底行きではないか。
そこへ男が横やりを入れる。
「……あのさ」
「何だよ」
「話折って悪いんだけど――面接で言っていた『運命』ってそれ?」
男の視線はふいにのぞかせた金属に向けられていた。
俺は手首に巻かれた「それ」に目をやる。
シンプルなデザインの腕時計はどの服にもしっくりおさまってくれて、なかなか重宝していた。
あの時、冗談半分に質問した面接官は下手な作り話ぐらいにしか思ってもらえなかったけど――
俺は時計の文字盤にそっと触れる。
無機質でひんやりとした感触がいつものように迎えてくれる。
この時計をするたびに思うことがあった。
本当の持ち主は今どうしているのだろう、と。
半年前、俺はいつも行っている定食屋でこれを見つけた。
普段は目にもとまらないモミの木だったのに。
その存在が俺を待っていたかのように優しく迎えてくれた。
独特の緑色に降り積もる綿雪。
小さく瞬くのは人工の光。
メニュープレートもオーナメントと化し、それなりに着飾っていた。
幹が埋もれそうなほど置かれたプレゼントはもちろんダミーだ。
あの時期だけは立派なクリスマスツリーに変貌する。
それは一夜限りの幻想でしかない。
それでも人は雰囲気にのまれてしまうのだ。
根元にあったプレゼントを手に取ったのは単なる好奇心だった。
明らかに年季の入った薄っぺらな箱たちとも違う、異色の存在に心惹かれただけ。
触って本物だと気づくまで数分がかかった気がする。
慌てて、まだ店にいた主にそのことを伝えたのだが――
冷静になったところでふと思った。
もしかしたらこれは店主の身内か常連客が仕こんだ罠かもしれない。
これは二十年以上真面目に務めた店主への贈り物、善意のサプライズなのではと。
ところが――
「誰もそんなことしていないってさ」
三日後、店主は困ったような顔で俺に言った。
いつものようにカウンターで日替定食をつついていた俺はぽかんとしてしまう。
「じゃ、誰があんなこと……」
「さあな」
「包みの中身は何だったんですか?」
「時計だったよ。男ものの腕時計」
「他に手がかりは?」
「手がかり、というか……」
五十を過ぎた店主の眉間に皺が浮かび上がる。
「ツリーの飾りがないんだよ。ほら、てっぺんにあるでかい星。それが消えちまった」
「それって……」
「もしかしたらそいつが持って行ったのかもしれない。おかしな話だよ」
置いて行った箱はさしずめ星の代償、といったところか。
「物々交換にしてはモノが高すぎやしません?」
おもちゃの星と、新品の腕時計と引き換えにするなんて――
「だろ? だからこっちも素直に受け取ること出来なくてさ……とりあえず落し物ってことで交番に届けといたんだ」
それが賢明な判断だろう。
善意とはいえ、いわれのないプレゼントをそのまま受け取るのは抵抗がある。
「聞いたんだけどさ、こういった拾得物は持ち主が出てこなかったら、拾った人間のものになるんだってさ」
「へえ」
「その時は兄ちゃんにやるよ。最初に見つけたのはそっちだからな」
そう言って店主は目を細めた。
それはクリスマスが過ぎ、年も押し迫った日のこと――
――結局持ち主と思われる人物は最後まで現れなかった。
数か月後、約束通り時計を譲ってもらった俺は保証書から購入した店を当たることにした。
素人の調査なんてたかが知れているが、出所だけは確認したかったのだ。
この時計を売っていたのは定食屋から数駅ほど離れた量販店。
偶然にも接客した店員がその時のことを覚えていて、購入者が若い女性だということも分かった。
腕時計は恋人へのプレゼントだったらしい。
長い時間ショーケースと対峙して、「彼」に似合う時計を必死に探していたのだという。
でも、それはどういうわけか俺の手元に届いてしまった。
これが何を意味するか。
普通に考えればどこかで失くして探すのを諦めたか、必要なくなったかが妥当なのかもしれない。
確かなのは、買った当人は相手にこの腕時計を渡すことが出来なかったということだけだ。
折しもあの時は冬の最大イベント。
第三者である俺はその先を想像することはできなかった。
真実を知っているのはこの腕時計だけ。
俺ができることは、この時計を大切に使ってあげることぐらいだ。
前の持ち主が今も幸せであることを願いながら……
「なぁ」
声をかけられ、俺ははっとした。
現実に引き戻される。
偶然面接に居合わせた男は自分のコーヒーを一気に飲み干してから言う。
「その時計拾った定食屋って近い?」
「なんで?」
「俺なりに現場検証してやる」
「は?」
「面接官は笑っていたけど、俺は本当だと思った。おまえは嘘を言ってない」
驚いた。
軽いノリで話しかけられたから、からかわれて終わるだけかと思っていたのに――
俺の中で男に対する印象ががらりと変わる。
「俺、朝から何も食べてないんだ。店まで案内してくれないか? ええと」
名前何だっけ? 今更ながらの質問に俺は肩をすくめた。
そういえば面接では名前でなく、記号で呼ばれていた。
「樋本(ひもと)だ。樋本健(たける)」
「俺は小林東吾。よろしくな」
そう言って東吾はにやりと笑った。
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