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 最初は幼馴染を励まそうと思っていた。
 伸びない身長のせいで好きな部活にも入れない――あの頃のウメはやさぐれていた。やさぐれすぎて誰も寄せ付けない雰囲気があった。
 だから私は考えたんだ。 
 どんな部活でも上手くなれば好きになるんじゃないのだろうか。真面目に努力すればいつか報われるんじゃないか、と。
 ウメを納得させるには自身の身をもって知らせるのがいい。自分があまり興味のないジャンルで、はじめてやるもののほうが説得力がある。もちろん男女関係なく入れる部がいい。
 私はそんな思惑を巡らせながらそれぞれの部を見ていった。ウメとまわりながら「新しいもの」を探してて――そして吹奏楽部の演奏を聴いたのだ。
 新入生歓迎と部活勧誘を含めたミニ演奏会。フルートとオーボエ、金管楽器の三重奏。
 その中でも真田先輩のフルートは飛びぬけて上手かった。
 あんな風に演奏ができるようになれたらどんなに楽しいだろう。
 気がつくと私はその場で入部届けを出した。あふれる好奇心は止めることができなかったのだ。そこに浅はかな考えはない。ただ先輩のフルートに憧れた。それだけだ。
 結局――私は自分の好きなものを選んじゃったんだよね。
 私は当時を思い出し苦笑する。
 吹奏楽部の練習は思った以上にハードだった。
 文化部なのに体操着に着替えさせられ、肺活量を増やすための運動やら腹筋やら。そして憧れの先輩の怒鳴り声。「騙された」って何度思ったことか。
 でもそれはどの部活も同じで、吹奏楽はまだましな方だと運動部に入った同級生は言っていた。 
 最初は不満でいっぱいだったけど、一曲吹けるようになると部活がちょっとだけ楽しくなっていた。もっと上手くなりたいと思うようになると家でも練習を始めた。
 そのうち定期演奏会のメンバーに選ばれて――夏休みは巫女舞の練習もあったから、まわりのことを見る余裕さえ失っていた。
 そう考えると、私はウメを置いてけぼりにしてしまった気がする。
 人の為にと思って考えてたはずなのに。結局は自分だけ好きなものに打ち込んで幸せになっちゃって。最近はウメに申し訳ない気分になっている。きっとウメも私のことうざいって思ってる。 
 その証拠に私の目を見て話すことがなくなった。話してもそっけない返事しかしなくなった。猫なで声を出すのは決まって何かを企んでいる時だ。
 もう私のことなんてどうでもいいのかもしれない――
 だとしたらちょっとだけ寂しい。
 ……ウメの笑った顔が見たいな。
 私はささやかな願望を膨らませる。
 めったに笑わなくなったけど、ウメは笑うと鋭い目がちょっとやわらかくなる。目を細めて笑う姿は犬っころみたいで可愛いんだ。
 これは私だけの秘密。このことはまだ誰にも言ってない。誰かに教えるつもりなんて、これっぽっちもないんだ。
 このくらいの意地悪はいいよね? キョウちゃん。


 私は壁に引っかけてある麦わら帽子にそっと聞いてみる。
 当たり前だけど、返事はない。
 私は小さくため息をこぼすと椅子をくるりと回転させ、机に向き直った。先輩からもらった「君の瞳に恋してる」の譜面を開く。
 結局、私は先輩に押し切られ先輩のフルートと譜面を家に持ち帰る羽目になったのだ。
 期待が上乗せさせられたせいか、先輩の楽器はとても重い。
 一応部屋の隅に置いてみたものの、茶色い箱の存在は明るい色で整えたこの部屋の中では異色といってもいい。
 ついてきた譜面も曲者で――つまり、今日部活でもらったものではなかった。先輩が個人で買ったものらしく、折り目がところどころ切れている。セロテープで補修しているあたり何度も練習を重ねたのだろう。
 私はソロパートのメロディを口ずさむ。五線譜の音階をたどると、指がフルートの穴をふさぐ仕草を始める。
 譜面には曲に関するメモが沢山書きこまれていた。強弱やリズムはもちろん、感情のありかたまで事細かく書かれている。
 やっぱり先輩はすごい。
 読みながら、私はため息をついた。
 メモひとつをとっても曲の流れや音を理解しようという気持ちが伝わってくる。先輩がどれだけフルートを好きだったのかを思い知らされる。音を追いかけているだけの自分とは大違いだ。
 それだけに、先輩のことが気がかりだった。
『私は邪魔者だから』
 私はハミングをやめ、机に頬をつけた。先輩がこぼした台詞が胸にちくりと痛む。自分に向けられた言葉じゃないけど、何だか気持ちが沈んでしまう。打ち明けたのが私だけというから尚更だ。 
 先輩――本当にフルートを辞めてしまうのだろうか?
 本当に転校してしまうのだろうか?
 私は先輩が辞めたあとの世界を想像する。
 からっぽになった音楽室。いつも飛んでいた注意の声が消えてしまう部活。嫌みが消えてみんな、ざまあみろと思うのだろうか。ライバルがいなくなってよかったと思うのだろうか。
 ううん。
 私はかぶりをふった。
 そんなことはない。口調はきつかったけど先輩の言っていることは正しかった。一言一言は的確で、だからみんな何も言えなかった。
 悔しくて、先輩に言われたあとはみんな必死に練習していた。少なくとも、私の周りの人はそうしてた。見返したい思いもあったけど、いつだって先輩を目標にしていたのに。
「なんだかなぁ……」
 私はぼやきを放つ。
 ここ最近気がめいることが多すぎる。
 キョウちゃんはいなくなっちゃうし、ウメは落ち込んだままだし、先輩は転校するっていうし。
「ああっ、もうっ」 
 私は顔を上げた。首を振ってじめじめとした気持ちを振り払う。こういう時は何を考えても上手くいかない。
 何か気分転換しなくちゃ。
 私は音楽でも聞こうとコンポの前に向かう。
 けど、その前に、茶色いフルートケースが目に入ってしまった。
 角がちょっとだけこすれた箱。言うまでもなくそれは先輩から押し付けられたものだ。もちろん明日返すつもりでいる。
 返すのだけど。

 ――先輩のフルートを使ったらいつも出せなかった高音が綺麗に出せるかもしれない。

 ふとそんな思いがよぎった。私の心がどきりとうずく。
 そう、ほんのちょっとだけ。
 ちょっとだけなら……大丈夫だよね?
 誘惑に負けた先輩のフルートケースを開く。
 手に取る前に、託された楽器をまじまじと見つめた。
 先輩のフルートにはあちこち傷がある。それでも綺麗なのは使っている人がマメなのだろう。手入れはしっかりとされていてサビひとつない。
 ただ、ケースの外側に貼ってあるキャラクターのシールが今にも剥がれそうだ。
 私は剥がれかけた部分を爪で引っかいてみる。糊の部分が弱くなっていたのか、シールは簡単にはがれてしまった。
「え……」
 私は思わず声を上げてしまう。
 目の前に現れたものは私にとって予想外なものだった。  
 私は部活中に聞いた先輩たちのお喋りを思い出す。確か先輩は……
 ――先輩が辞めようとした理由がなんとなく分かった気がした。
 練習しようと思った気持ちが一気に吹き飛ぶ。
 先輩の笑顔が、別れの言葉が幼馴染と重なる。すっかり気落ちしたウメの姿が自分と重なっていく。
 だめだ。
 このまま黙っていることはできない。
 このまま何も告げずに別れるのは嫌だ。
 だから――