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12

 大学からバイクで四十分も走ると、視界に緑色が増えていく。
 昔からある通りに抜けた所で、俺はアクセルを少し緩めた。
 ギアを一段落とすと、一車線程の幅をゆったりとした速度で走っていく。
 ヘルメットをかぶっているせいか、頭がこそばゆい。
 本当を言うと、こめかみに伝う汗も気になっていたが、風と重なると更に涼しくなるので、そのまま放っておくことにした。
 目の前にあるのは欅の並木路。
 今まで通った小学校を意気揚々と通過する。
 途中、工事現場に出くわした。  
 慎重に段差を乗り越えたところで、ちらりと振り返る。
 後ろにある荷物に変わりがないことを確認すると俺は少しだけアクセルを動かす。
 追い風が俺をけしかける。
 まぁ、そうあわてなさんな、あと三分もあれば目的地に着くんだ。少しは懐古に浸らせてもらってもいいだろう?
 俺は答えもしない大気にそっと問いかける。


 ――二時間前、俺宛てに荷物が届いた。
 差出人は芳田綾――綾さんだ。
 箱を開けてみると、そこには俺の好きな胡瓜がぎっちりと詰まっていた。
 思いがけない贈り物に俺は目を見開いてしまったわけで――
 一体何なんだ?
 疑問符が浮かんだ俺は早速伝票に書かれていた携帯番号に連絡を入れることになる。
 何回かのコールのあとで出た綾さんの声は最初低くかったけど、俺が自分の名前を言うとすぐに声のトーンが上がった。
 野菜のお礼を言うと、こちらこそ突然送りつけてしまってすみません、と綾さんは言っていた。
 そんなことないよ、と俺が返すと、綾さんはよかったと心から安堵の声をあげたのだ。
 それを聞いたとたん、俺の中で彼女が胸をなでおろしている姿が浮かぶ。
 相変わらず恐縮しすぎだけど、彼女はいつも相手のことを考えて動く人なのだろう。
 そんなことを思っていたら俺の口元が自然と緩んでいた。
 綾さんの話によると、送ってきた野菜は大学の実習で作っているものなのだという。
 ここにきて俺は彼女が農学部に在籍していることを初めて知った。
「あの、たくさん送っちゃったんで、お友達やご近所さんにも分けてください」
 そう、はにかんだ声が今も耳に残っている。
 だから俺は、自分が食べきれない分をあちこちに配る旅へと出たのだ。
 仲間からカブをかりて、街へと繰り出す。
 ゼミの仲間からはじまってバイト先、東吾と芽衣子の家にも寄る。
 それでもまだ余ったので、俺は更に遠くを――自分の「家」と呼ぶ場所まで行ってみることにしたのだ。


 小学校を通り過ぎてからきっかり三分ほどで目的地にたどりつく。
 俺が目指していた家はモダンを訴える家と太陽発電を主張する家の間にこぢんまりと建っていた。
 昔ながらの木造家屋、猫の額ほどしかない小さな庭。
 少し前に剪定でもしたのだろうか、手入れが行き届いている。
 築二十年の家屋は大学から電車を使っても一時間以内で着く距離にあった。
 俺はカブを家の塀に寄せ、サイドスタンドをかける。
 ヘルメットを外してから荷台にかけた紐を解き、配達票がついたままの段ボールを抱える。
 門扉を開け、斜めに体をすべりこませると、まっすぐ玄関へ向かった。
 扉の前で立ち止まる。
 前にこの家を訪れたのは正月だった。
 それもちょっと挨拶しただけですぐに帰ってしまったから、帰省というより通りすがりに近いだろう。
 俺はひとつ呼吸をして気持ちをととのえる。
 モニターのない、昔ながらのインターホンを押した。
 緊張を肩に背負った所で、扉に手をかけようとするが……

「タケルーーーーっ」

 扉がいきなり開かれる。
 俺の緊張を壊したのは喜び全開の叫び。
 相手は小柄だが、猛突進でしかけられるタックルは俺を吹き飛ばすのに十分だ。
「どわっ」
 攻撃をくらった俺は情けない声を上げる。
 プラス三十キロの衝撃に耐えられなくなると、脇に抱えた段ボールが重い音を立てて地面に沈んだ。
 俺の体が腰から直滑降で落ちていく。
「……大地ぃ」
 あまりの尻の痛さに俺は苦悶した。
「おま、いきなり飛びついたら危ねぇじゃないかっ!」
 俺のリアクションが面白かったらしい、悪魔は大声を上げて笑っていた。悪い悪い、といってくるが、その言葉に重みはない。
 短く切りそろえられた髪、黄色いシャツや半ズボンの先からのぞかせるのは、こんがりと焼けた肌。
 小麦色の悪魔の正体、それは今年で十歳になる少年だ。
 年の離れた姉の子供――つまり俺にとって「甥」にあたるのだが、これがどうもやんちゃで困る。
 大地は馬乗りの状態のままで、目をきらきらと輝かせていた。
「タケル、何しにきた?」
「何しにって……ああああっ!」
 俺は本来の目的を思い出す。
 箱の中を確かめると、奥に詰まっていたトマトの底がつぶれていた。
 あぶれた胡瓜は砂にまみれており、一番上に乗せたはずの茄子は門のそばまで転がっている。
 嗚呼、せっかく貰った野菜が……何てことだ。
 俺は転がった茄子を追いかけた。
 門の前でしゃがみこみ、手を伸ばす。
 だが、あと一歩という所で茄子が視界から消えてしまった。
 かわりに現れたのはおばちゃんが履くような茶色いサンダルだ。
 ゆっくりと顔を上げる。俺の前に茄子を持ったおふくろが立っている。
「新聞屋でも来たのかと思ったら健じゃない」


 買いもの帰りなのだろうか、おふくろはエコバックを持って佇んでいた。
 正月に会った時よりも顔に皺が刻まれている。白髪もぼちぼち増えている。
 少し痩せたように見えるのは連日の暑さのせいだろうか?
 ただいまと言うのも気恥しかったので、俺は顎を縦に振ることで挨拶をすませる。
 おふくろの身長に合わせるように背中を丸めると、汗ばんだ髪を無造作にかいた。
「どうしたの? お盆の挨拶にでもきた?」
「その、知り合いから野菜いっぱいもらったから、おすそわけに」
「やだぁ」
 おふくろの拒絶が俺につきささる。
 一瞬くらっとしそうになるけど、
「それならそうと先に電話してよぉ。そしたら今日買わずにすんだのに」
あ、そういうこと?
 緊張感が抜けた俺は目の前にいるおふくろを見据える。
 よく見ればおふくろの持っているエコバックの中には俺が持っているのよりひとまわり小さめの茄子とまっすぐに伸びた胡瓜が入っている。
 茄子も胡瓜も旬の野菜らしいが、ここ最近の猛暑で収穫量は減っていて、例年よりも値段が高いのだと箱の中を吟味しながらおふくろは言っていた。
「あら、ピーマンも入っているのね。そしたら今夜はピーマンの肉詰めにしようかしら?」
「えーっ、ばば、今日はハンバーグって言ったじゃん!」
「あら、そうだったかしら?」
 口元に皺をよせてにやにや笑うおふくろに、大地は口をとがらせる。
 浮き出たしかめっ面はピーマンに対する拒否反応だ。
「やだっ、ピーマンなんて食わないからなっ」
「じゃあ、大ちゃんは晩ごはんなしね」
「えええっ」
「あらあら、トマトつぶれちゃっているじゃない」
「ああ、さっき落としちゃったんだよ。でも大地が食ってくれるってさ」
 俺が冗談に便乗すると大地が更に顔を歪めた。
 大地はビーマン以上にトマトが大嫌いなのだ。
「いやだ。俺、ピーマンもトマトも絶対食わないっ」
「ほら、好き嫌いは言うんじゃないの。がんばって作っている人に申し訳ないでしょ」
 わがまま言い放題の孫をおふくろがぴしゃりとたしなめる。
 言葉に重みを感じるのはおふくろがそれ相応の時代に生きたからだろう。
 食べ物に対する「もったいない精神」は子供どころか、大人である俺にとっても痛い話でもある。
 表立って言えないが、一人暮らしを始めてからどれだけの食材を無駄にしたことか……


「タケル、あっちでゲームやろ」
 おふくろに叶わないと悟った大地が俺の腕を引っ張った。
 話題をそらすことで説教から逃げる作戦らしい。
 返事を待つ前に大地に引きずられた俺は、家の中へ案内された。
 半年ぶりに訪れた実家。
 本当はゆっくりしたいのだけど、ここに来るたびに俺の中で緊張が走ってしまう。
 下駄箱の前にある肌色の右足。
 それを見ただけで顔が強張ってしまった。
 靴を脱ぎ捨てた大地が奥に伸びる廊下をいっきに駆け抜けく。
 じいじー、の連呼が俺の心拍数を上げていく。
 今日は何分持つのだろうか――

「じいじ。タケルが遊びに来たよ」


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