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 立夏会はそれなりの盛り上がりを見せていた。
 優勝チームに与えられる旅行券はもちろん、今日一番多く得点を挙げた者に与えられるマウンテンバイクが参加者の士気を上げているのだろう。
 テントの前に置かれた商品は誰の目にも美しく、魅力ある存在として掲げられていた。
 卒業生たちはちょっとした同窓会とフットサルを楽しんでいる。在校生である智己たちの仕事といえば、審判やコートを外れたボールの拾い役。運が良ければピンチヒッターとして試合に参加するくらいだ。
 たまたまその機会を得た智己は、大先輩との対決を終えると、まっさきに理恵のいる場所へ向かった。
「携帯、いいか?」
 何度も繰り返される台詞に理恵は複雑な顔をした。腹に抱えていた袋の紐をしぶしぶ解き、携帯を智己に渡す。
 智己は急いで折り目を開くが、待受画面に変化はない。そろそろ結果が出てもおかしくないのに、その連絡はいっこうに来なかった。
 まさか、間に合わなかったとでもいうのだろうか。
 智己は口元に指をからませる。汗とともに浮き出るのはこの上ない焦りと不安。
 それをタオルで吸い取ると理恵が用意した席へと促してくる。またか、とも思う。
 智己は理恵の隣からから抜け出せずにいた。
 ちょっと動こうにも、理恵の強い視線が智己を追いかける。座れば掴まれた腕と無言の訴えが重くのしかかる。この場で突っぱねてもよかったのだが、人の多いここでもめるのはどうかとも思う。
 智己は諦めにも近い気持ちでベンチに尻をうずめた。理恵の熱い視線をよそにして沈黙を守る。
 今できるのは朝起きたことをひたすらに思い返すことだ。
 何か見落としがなかったか、智己は自分の記憶に問いかける。

 智己が学校に到着した時、理恵の姿はなかった。
 部室も鍵がかかっていて入れない。ただ、手掛かりといえるものが扉の前に立て掛けられていただけだ。
 備品チェックシートのレ点は「得点板」の前で止まっていた。理恵がそれを取りにいったことはたやすく想像できた。
 だから智己は理恵が向かったと思われる場所に迷わず歩いたのである。
 まさかそこで捜していた人物がいるとは思いもしなかった。
 あの時の葉月は怒りに満ちていたのだと思う。とにかく恐ろしい顔をしていた。叩かれた理恵は智己の背中で怯えていて、なんとも気まずい雰囲気だったことか。
 それでも葉月の試合を優先することができたのは上着に忍ばせた携帯が震えていたからだ。あの時久保からの着信がなければ冷静な判断を下すことはできなかっただろう。
 あの時、時間を気にしすぎたせいでつい強い口調になってしまったが、なんとか葉月を送り出すこともできた。
 問題はそこからだ。
 その後理恵に言われて倉庫に踏み入れると、中がめちゃくちゃになっていた。球技の道具は床へ投げ出され扉もへこんでいる。部室の時と同じ惨状を目の当たりにして、頭がくらりとした。
(これ、全部先輩がしたことだよ)
 赤くなった頬に手を当て理恵は言った。葉月に止めるよう説得した所、叩かれたのだという。
(こんなことされて、それでも智己は先輩を許せる?)

「お弁当運ぶの手伝って」
 智己が物思いにふけっていると、理恵を呼ぶ声が聞こえた。
 校舎にある時刻は十一時になろうとしている。
 理恵が名残惜しそうに席を外した。巾着を持った後姿が視界からいなくなると、智己はジャージのポケットにつっこんだ拳を外に出す。その中には先ほど先生に流してもらった携帯番号があった。
 この番号の携帯を持つ人物なら、何か知っているかもしれない。
 智己は携帯を開くと、番号を連ね相手を呼び出した。相手が出るのをひたすら待つが――数秒後、思わず振り返る。ふいに湧いた音楽が受話器からの呼び出し音と重なったのだ。
 音の元を確かめるべく、智己は視線を泳がせる。
 するとテントから五メートル離れた場所、卒業生たちの間に白いタオルを巻いた男がいた。目があうと同時に音が止む。
「聞きたいことがある」
 智己は一言だけ告げ、携帯を閉じた。視線をグランドから逸らし相手を促す。
 向かったのは体育館裏にある倉庫だ。
 完全に人の気配を感じなくなったところで、智己はついてきた男――安原と目を合わせた。
 予想外だったのはその更に後ろに「おまけ」がついてきたことだ。
 一度も見たことのない顔。自分より年下なのだろうか。どこか不健康そうな少年だ。
「今朝、佐藤と会わなかったか?」
 智己は少年を気にしつつも、話を切り出す。
「俺はおまえが朝、学校側から歩いて行くのを見た」
「あっそ」
 安原は言葉を軽く流すと、おもむろに倉庫の中を覗いた。
「うわ。こりゃまた派手にやらかしちゃって……あんたがやったの?」
「これに関して今、佐藤に疑いがかかっている――だからおまえに何か見なかったか聞いているんだ」
「本人は?」
「……今はここにいない」
「逃がしたんだ」
 安原がくっ、と笑う。
「それともかばった? 他に犯人がいるって言いたいわけ?」
「いや」
 智己はかぶりを振った。
「この件に関しては佐藤がやったんだと思う」
 今朝目が合った時、葉月は自分が何をしたのか理解していた。理解して――うろたえた。
 きっとその事実は揺るがないのだろう。
 けど、故意じゃない。
 智己は半開きになった引き戸に手を触れた。
 内側には物をぶつけたあと。錠の裏側、同じ場所を狙ったへこみは不自然だ。というよりも切羽詰まったものを感じる。
 それはまるで外に出たいと言わんばかりの――危機を目の当たりにした人間の行動に近い。
「きっと、何かのトラブルに巻きこまれたんだ」
 智己は今朝、理恵に返した言葉をそらんじる。
「でなきゃこんなこと、したりしない――しないんだ、佐藤は」
「……正解だな」
 相手の満足げな反応に智己は眉をひそめる。
「あんたの考えてること、それで合ってるよ」
 安原はどこか楽しげだ。
 人が真剣に話しているというのに――この男の態度はどうも理解できない。
「いいこと教えてやるよ」
 安原は言った。その視線が智己から後ろにいる人物へと移される。
「部室荒らしたのはこいつだ」
 智己は安原についてきた――というよりは連れてこられた少年を改めて見すえた。
「こいつ、俺が気に食わなくてヤったんだと」
 なあ、と安原は少年に同意を求める。それでも少年は黙りこんだままだ。身体を固め自分の身を必死に守ろうとしている。
 すると突然、鋭い風が駆け抜けた。
 安原の腕が前に突き出ると、あっという間に少年の顔が潰される。
「てめえに言ったよな。俺は本気でキレたって……ここで吐かないなら出るとこ出てもいいんだぜ」
 悪魔の笑みに少年の体が固まる。血に染まった鼻の下で発せられたのは情けない悲鳴。突然のことに慌てて智己が止めに入るが、ただならぬ気迫にそれははじかれた。
「こっちは冤罪なんて慣れっこだ。シロかクロかなんて関係ねえ。俺はてめえの未来と信用がなくなれば十分なんだよ!」
 どうする? と安原が問いかける。
「くだらねえプライド残して地獄でも見るか?」
 少年はぶるぶると首を横に振った。
 どうやら観念したらしい。安原が顎で示すと、ここに連れてこられた理由をとつとつと語り始めた。
「この学校に知り合いがいて、サッカー部だって聞いたから――この間ちょっとムカついたから、いたずらしてやろうって……その知り合いの制服借りて学校に……別に物を盗ろうとかそんなのなくて……本当それだけなんですっ。だから許して――」
「ざけんな!」
 安原の威嚇に少年はごめんなさい、を連呼した。うるさいと言わんばかりに安原の蹴りが入る。それも一回や二回どころじゃない。
 今度こそ智己は正面から割りこんだ。安原をひきはがし、もういいだろう、とたしなめるが――
「気に入らねえな」
「何?」
「そういう上から目線がムカつくって言ってるんだ――」
 よ、という語尾とともに衝撃が走った。体がくの字に曲がる。みぞおちを蹴られ吐き気をもよおすが、出てきたのは虚無とも言える咳だけだ。
「何も分かってねえくせに偉そうなことほざいてるんじゃねえよ!」
 さすがに堪忍袋の緒が切れた。
 智己は姿勢を立て直す。安原の服を掴み、同じ分だけの制裁を加えようともくろむが、
「そこの犯罪者」
 急速に冷えた安原の声に智己の拳が止まった。
「てめえがやったことなんて、誰にもバレてねえっての」
 思いがけない言葉に少年の肩がびくりと震えた。
「どっかの親切な女がてめえの罪をなかったことにしちまった……どうでもいい証拠でっちあげて別の犯人まで仕立てて。おっかしいよな。それでみんな騙されてやんの」
 安原が口にしたのは少年に向けられたもののはずだった。だが、鈍い光は未だ智己から離れない。
「ほんっと、あんたっておめでたいよな。自分の女が何企んでるのかも分かってねえ」
「嘘、だろ……」
「嘘じゃねえよ。俺は本当のことしか言わない」
 毅然とした言葉が、想像を確かなものに変えた。蹴りを入れられた時よりも大きい衝撃が智己を襲う。
 少年は不名誉な無罪を告げられると、脱兎のごとく逃げてしまった。残された二人に訪れた沈黙。
 やがて智己の携帯電話が震える――亜由美からの着信だ。
「間に合ったわよ」
 朗報を聞き、腹の痛みが少しだけ軽くなった。
「ギリで予選通過。決勝進出だって」
「無事……走れたんだな」
「喜んでばかりはいられないわよ。葉月は昨日あんたからメールもらったから学校に来たって言ってる。わけのわからないまま倉庫に閉じこめられたって」
 亜由美の報告に智己の口がぽっかりと開いた。
 嘘だ。そんなことをした記憶はない。
「俺、佐藤にメールなんてしてないぞ」
「でしょうね。証拠はどこにもないんだから」
「……どういうことだ?」
「肝心のメールが葉月の携帯に残ってないのよ。おそらく、田辺のも同じ――消された、と言った方が正しいのかしら?」
 何で? と智己は問いかけると亜由美は黙り込んでしまった。
 おそらく自分で考えろということなのだろう。
 だが智己にはある予感があった。
 今までの話を聞く限り、自分の名を語った人物が葉月を倉庫に閉じこめたことになる。その人物は自分の携帯に葉月のアドレスがあることを知っていた。更に今日、葉月の携帯に残っていた履歴を消す機会があったということだ。
 今朝学校を訪れた葉月と接触できたのは二人だけ。ここにいる安原、そしてもうひとり――
「理恵、なんだな」
 その名を噛みしめつぶやいた。こみ上げてくるのは憤り。そうさせてしまったことへの後悔。
 だが、ここで沈んでいてもなにも変わらない。
「そのメール、復活させることはできないのか?」
「無理。一度消えたものは元に戻らない」
「そんな」
「でも――別の方法がないこともないわ」
 亜由美はその「方法」について説明を始めた。
 そのために自分がすべきことも告げられる。亜由美から結果はメールで送るから、と伝えられた。
 電話を切る。目まぐるしい状況にため息は出てきたが、さっきより頭の中は整理されていた。
 部室を荒らしたのは別の人間だった。葉月に疑いを向けるよう誘導したのは自分が付き合っている彼女だ。
 部室に残されていたワキシューは理恵の工作。腹を蹴られたことは癪ではあったが、目の前の男が語ったこと全てが本当なのだろう。
 だが、腑に落ちないことがひとつだけあった。
「理恵のこと、どうして俺に話した?」
「……あいつが馬鹿なんだよ」
 安原は皮肉とも呼べる答えを落とす。
「これ以上放っておくと、ろくなことがねえ。だからチクった。それだけだ」
 あとは好きにやってくれ、そう言って安原は踵を返した。
 相変わらず礼儀も知らないし、生意気な後輩だ。
 だが葉月に怪我を負わせた時の決断と潔さには目を見張るものがあった。そして今、傲慢さの中にある嘆きを見つけ、この男の本質を知った気がする。
 そう――誰も最初から誰かを傷つけるつもりなどなかったのだ。

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