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 その日、加山理恵は恋人から鍵の山を託された。
「この中に部室の鍵があるんだってさ」
「それ以外は?」
「他の部室と外の倉庫もろもろ。どれがどの鍵か分かんないから適当に試せ、だと。ふざけんなって感じだよな」
 呆れた口調の智己に理恵は困ったような笑みで返した。
 そして心の中で舌打ちする。
 聞きたいのはそんな日和見た話ではない。保留にされた事件の続きだ。
 理恵が複雑そうな顔をしているのを見て気持ちを察したらしい。
 智己は口をもごもごとさせた。躊躇うようなそぶりを見せたあとで、この間のことだけど、と前置きする。
「理恵の言ったとおり、佐藤が犯人だった」
 抑揚のない声が智己の本心を写し出す。理恵はうつむいた。唇を真一文字に結んであふれそうな感情に耐える。それは同情ではなく、狂喜に近いものだった。
「足立も久保も知っていた。知ってて――見逃していたんだ」
「そう……」
 最後の方は理恵にとってどうでもいい話だった。とはいえしかけた罠は予想以上の成果を得ている。すでに目的は果たされつつあるように思えた。
 部室を荒らしたのは葉月ではない――
 犯人が別にいることも理恵は最初から知っていた。
 真実なんて言葉を曖昧にすればどうにでも変わってしまう。証拠をでっちあげればなおさらだ。
 あの時理恵が放った言葉はあくまで憶測だった。でも智己はそれを信じ、葉月は智己の言葉を聞いて勘違いした。ただそれだけのこと。
 葉月が智己に内緒で走ろうとしていたことも理恵は知っていた。だから事件に利用させてもらったのだ。
「かわいそう……」
 心とはうらはらな言葉が理恵の口からこぼれおちる。腕を伸ばすとうなだれている男の頭を抱えた。慈しみをもって抱きしめる。
「智己は友達のこと、ずっと信じてたんだよね。なのに裏切るなんて……みんなひどい」
 智己が顔を上げる。その時を待っていたかのように理恵は微笑んだ。
「私は違うからね。何があっても智己から離れない。ずっと味方だよ」
 その頬に触れ、誓いのキスを交わそうとするが――
「ごめん」
 唇はすんでのところでそらされてしまった。
「理恵の気持ちは嬉しい。でも、このままじゃいけないんだ」
「智己……」
「違うんだ。俺は――」
 その時、二人の周りが急に騒がしくなった。
 扉から続々と部員たちが現れ、省略された挨拶がこだまする。
 それ以上、智己は何も言わなかった。
 理恵は智己に気づかれないよう、そっとため息をつく。
 かろうじて堪えたのは、もう一人の自分が冷静に受け止めていたからだろう。
 今までの自分なら右往左往して途方に暮れていたに違いない。
 でも今は――
 逆境が新たな想像へとかきたてた。残された鍵の山が理恵の気持ちを後押しする。智己の背中を見るだけで幸せだったあの頃の自分はもういないのだ。

 その週の終りは立夏会の準備に追われた。
 校庭にはテントが張られスピーカーが設置されている。体育祭さながらの演出だ。卒業生向けのイベントにしては本格的な会場づくりが行われた。
 理恵も更衣室用にあてがわれた教室の掃除や飲み物の準備をするが、思ったより大がかりになってしまう。
 その手が空いたのは、日も傾きかけた夕方のことだ。

 土曜日の職員室はがらんどうだった。
 一瞬誰もいないのか、と思ったが、わずかな人の気配に気づく。よく見ると、隅っこで呑気にお茶を入れている先生がひとりいた。
「どうした?」
「立夏会の対戦表をコピーさせてもらってもいいですか? 部室掃除した時、間違えて捨ててしまったみたいなんです」
「いいよ。引き出しにある黄色ファイルな」
 顧問の能天気な答えに理恵は目を細めた。
 先生の机には何度も足を運んでいる。一番下の引き出しにはサッカー部の大会日程や備品のカタログといった部活関連の資料が詰まっていることは知っていた。
 もちろん、全部員の携帯番号やメールアドレスが記された連絡網があることも――
 理恵はラミネートされた「それ」を見つけると、そばにあった黄色いファイルごと抜き取った。コピー機に向かう。コンビニで使うのと同じ仕様の機械は操作方法を聞かなくても簡単に扱えた。そして何もなかったかのように、原本を元の場所へ戻しておく。
「ありがとうございます。助かりました」
「じゃ、明日も頼むな」
「はい」
 理恵が次に目指したのは校内に唯一存在する公衆電話だった。
 理恵は周りに人がいないことを確認してから一件だけ電話を入れる。用件を伝えると今度はサッカー部の部室へ向かった。
 部屋には後輩が理恵の帰りを待っていた。自分と同じマネージャーの彼女にはあらかじめ買い物を頼んである。
「じゃあ。行ってきますね。終わったら一回学校に戻ってきた方がいいですか?」
「そのまま帰っちゃっていいよ。明日、買ったもの持ってくるのだけ忘れないでね」
「分かりました。じゃこれをお願いします」
 後輩は手に持っていた巾着を理恵に渡した。その中にはサッカー部の部員たちの貴重品が詰まっている。
 後輩の姿が扉の向こうに消えると、理恵は袋の中にあるものを机の上に広げた。彼らの貴重品は何も財布だけではない。個人情報の詰まった携帯もここで預かっていた。
 理恵はあふれた電話の中から二番目に見る機会の多い携帯を手に取る。黒い折り目を躊躇うことなく広げると「メール作成」を選択した。
 アドレスを選び、題名を飛ばし――あらかじめ頭の中で用意した言葉をひたすら打ち込んでいく。

 <<この間はごめん。
  心配でどうしようもなかったんだ。
  無茶をするんじゃないかって
  気が気じゃなくて……
  本当に、ごめん。
    図々しいのは分かっている。
  けどもし許してくれるなら
  明日二人きりで会えないだろうか。
  聞いてもらいたいことがある。
  とても大切な話なんだ。
  朝七時、学校のグランド。
  来るまでずっと待っている>>

 送信ボタンを押すと何ともいえない高揚感が包みこんだ。
 そして十分後――
 <<わかった>>
 返事はあまりにもそっけないものだった。
 それでも理恵の口元を右上がりにさせるには十分だ。送った内容も返ってきた答えも即抹消した。
 向こうは今頃「智己」のメールに安堵していることだろう。思いもしなかった言葉に心を躍らせているのかもしれない。それを想像するのが馬鹿馬鹿しくて滑稽で、腹を抱えて笑いたくなる。
「ご愁傷様」
 理恵は携帯電話を片手で閉じた。
「智己は私のものよ。だから誰にも渡さないの」

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