backtopnext



 電話は学園祭の実行委員会からだった。
 帰りついでに海沿いのショッピングモールへ向かって欲しいとのことだ。もちろん、文化祭のポスターを貼るためである。
 仕方なく、彼方は学校前のバス停からショッピングモールへと向かうバスに乗る。葉月も一緒だ。それはもちろん言い出した手前、収集がつかなくなってしまったからである。
 やはり「俺の側にいろ」はまずかった。自分でも何をいっているのだか、とつっこみたくなる。あのタイミングで電話がなかったら、途方に暮れていた所だ。
 結局彼方はショッピングモールが建っている場所を利用することにした。つまり、彼方の発言は「海の側に行くのが怖いから一緒について来てくれ」という意味なのだと葉月に説明したのである。
「その……悪いな。知ってるの、佐藤だけだから」
 葉月は黙ったままだ。無愛想な表情が藍色の空に残る夕日を眺めている。  やはり怒っているのだろうか。
 彼方の口からため息がこぼれた。この沈黙はどこまで続くのだろう。バスがやけにのろく感じる。
 やがて、横に伸びた三階建てのビルが右側の車窓全てに広がった。壁の白色は染みすらついていない。今は建物の影で見えないが、実はこの後ろにも同じ棟が建っていて、それらは各階にある連絡通路で繋がれていた。この二棟の建物の中には数百という店舗がすっぽりと収まっているらしい。
 こういった大型のショッピングモールに申し立てをする場合は個々の店より建物の管理事務所に直接話す方がいいらしい、実行委員からはそう言われていた。
 バスから降りた二人は普段は絶対入らないであろう裏口から入る。そのまま管理事務所へと向かった。
「学園祭のポスターを店内に貼らせて貰えませんか」
 そう彼方が説明すると事務の女性は建物内に設置されている掲示板でよければ、と言ってくれた。掲示許可の印を押してもらう。ポスターを返してもらうと、葉月を連れ突きあたりの扉を開けた。長めの廊下を抜け、表舞台である売り場へと着地する。
 彼方は事務員からもらったフロアガイドを葉月に渡した。
「印つけたところに掲示板があるからそこに貼って。俺は反対側の棟をやるから、お互い終わったら携帯に連絡入れるってことで……いいか?」
 無言で葉月が頷く。携帯番号を交換するが、彼方の一方的な会話で終わってしまう。それがどうしようもなく不安だった。
 耐えきれなくなった彼方は、作業に向かう前に葉月を引き止める。
「その……学校で酷いこと言って、ごめん」
 葉月は背中を向けたまま、振り返ることもなかった。一言も喋らない。それが答え、なのかもしれない。
 悶々とした気持ちを抱えながらポスターを貼っていくしかなかった。
 時々、通りすがりの人が学校のことを聞いてきたので親切に答えてみる。積極的に動くことで、気持ちを必死に切り替えようとする。
 それでも、葉月の反応は彼方を十分に落ちこませた。
 今までだったら誰に無視されようが構わなかったのに。ここ最近、何かが狂い始めている。関わりたくないと思いながらも葉月が気になって仕方ない。しかも今日、一瞬でも葉月に対し可愛いと思うなんて。
「どうかしてる……」
 彼方は気持ちごと画鋲に押しつけた。ポスターの四隅がどの掲示物より深く沈められたのは言うまでもない。
 そして最後の一枚を貼り終えた頃に携帯が鳴った。ディスプレイに流れるのは入れたばかりの名前だ。どうやら向こうも終わったらしい。
 最初にどう言葉をかけようか。少しだけ迷った。通話ボタンを押す指が、かすかに震える。
 だが――
「やっほー。彼方くぅん」
 いきなり名前で呼ばれて言葉を失った。というより、声からしておかしい。葉月と全く違う。でも聞き覚えがありすぎる。
 何故だ。どうして――葉月の携帯に遙が出る?
「彼女拉致っちゃった」
「はぁ?」
「ってことでお店に来てちょうだい」
 誘拐犯は一方的に電話を切ってしまう。
 冗談じゃない。
 彼方は携帯を乱暴にしまうと葉月がいた棟へと走り出した。おそらく「お店」というのは遙が務めているアパレル会社の支店か何かに違いない。
 そばにある案内板で店の名前を見つけた彼方は指示されたとおりの道順をたどった。予想通り流行と質感漂う店先で遙の背中を見つける。
 開口一番、文句を放つ。
「遙っ、てめー何を」
 だが奥にあった試着室の扉が開き――彼方は息を飲んだ。
 試着室から現れた葉月も彼方を見るなり、後ずさりする。肩が壁にぶつかり、掛けてあった制服がハンガーごと落ちた。
 葉月の野暮ったいイメージがいっきに崩れていく。
 葉月が着ているプリントのワンピースは胸元がレースになっていて、クラシックな雰囲気をかもし出していた。その上を覆うのは白のニットガウンだ。ワンピースと同色系のソックスは葉月の足元を冷やさないよう、膝まで伸びている。
 遙は彼方を素通りすると、葉月のもとへ歩み寄った。
「これ、ディスプレイ用なんだけど履いてみて」
 用意された革のブーツに葉月の足が沈められると、もともとあった脚の長さが更に強調される。遙は最後に毛糸の三つ編み帽子が葉月の頭に沈めた。
「うん。髪短いから普通のよりこっちがいいわね。鏡見てみる?」
 遙に促され、鏡の前で葉月はぎこちなく一回転した。本人もワードローブにない服を着せられたらしく、とても恥ずかしそうだ。
「こういうのあんまり着ないから……変?」
「ううん。全然可愛いっ。このまま歩けば男の一人や二人ころっと騙されるって。ね? 彼方」
「って何で俺に振ってくる!」
「いーじゃん。男から見てどうよ」
 直感ですごく可愛いと思った。が、恥ずかしくて言えるわけがない。
「別に……どうってこと」
 それが彼方なりの誉め言葉だと知っているのは側にいる姉だけだ。
 口元を緩ませた遙は同僚の一人を呼びつける。
「このまま着てくから、値札取ってもらえる? 支払はカードで」
 面食らうのはこのあとだ。
「あとで全額請求するからよろしく。社販扱いにしとくから」
 冗談じゃない。この質の高そうな雰囲気からして高校生が支払える値段だというのか。
 葉月も服についている値札を見て、急に慌ててしまう。
「そんな、困ります」
「何言ってるの。モデルしてくれたんだから、この位の報酬もらわなきゃ」
 突然出てきたモデル、という単語に彼方はぎくりとした。葉月がけげんそうな顔をする。
「……何ですか? それ」
「だってあの人魚、あなたじゃないの?」
 遙は店の前にある掲示板を指した。ねぇ、と会話を振られるが彼方の顔は蒼白どころか熱を帯びてくる。葉月は首をかしげたままだ。
 最悪だ――
 彼方はがっくりとうなだれるしかなかった。
 

backtopnext