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 部活が終わった後、二人は帰り道沿いにあるドラッグストアに立ち寄った。
 清汗スプレーの前に場所を陣取った葉月は幾つかの種類を手に取ってみる。柑橘に無香料に、雰囲気系と定番のフローラル……最近ではストロベリーといった甘めの商品もあった。
 彼らはそれぞれのカラーを主張して葉月に売り込みをかけている。
 反対側の棚にはメイク用品がずらりと並んでいて、葉月と同じ制服の女子高生たちが流行の化粧品を手の甲で試していた。リボンの色からして一年生のようだ。
 自分が一番綺麗になる色を真剣に選ぶ姿は女性ならではの戦場のようにも思える。
 だが、葉月はそっちに全く興味を示すことはなかった。
 いつもは調子のいい智己も女性の密度が高いだけに居心地が悪そうだ。それでもすれちがう彼女らにっこりと笑ってみせる。だが彼女たちはというと、次々に智己から目をそらされてしまった。こそこそと内緒話をする仕草と笑い声。
 智己が顔をしかめた。
「何だよ、先輩が笑顔で挨拶したってのに」
「汗くさいからじゃないのぉ」
 さらりと葉月は毒を吐いてみるが、
「そうかぁ?」
 智己は自分の二の腕の匂いを嗅ぐ。が、次の瞬間、その眉間は更に深いシワをたてることになってしまった。
「我が匂いながら最悪だ。さっき俺と距離置いて歩いてたのはそれかよ?」
「もちろん。だいたい田辺は朝から動きすぎなの。駅までダッシュやめて早起きすれば?」
「痛いこと言うなよ――と」
 智己の体が葉月から横に一歩離れる。ひとまわり大きい体が動いて初めて、その先に女の子がいたことに気づいた。
「すみません」
 鈴が鳴ったような可愛らしい声が二人に向けられる。膝きっちりの丈に白いソックス。スポーツバックに描かれた校章を見る限り、近くの中学生のようだ。
 中学生は葉月の目の前にあった商品を手にすると、もう一度だけ会釈をしてその場を去っていく。まだ幼さが残る顔立ちのくせに薄化粧、クリップで留めただけのまとめ髪が首のラインを際立たせていて――
「最近の中学生は成長早いなぁ」
 智己は葉月と中学生を交互に見比べながら言う。
 葉月はというと、その後ろ姿と似たような雰囲気を持つ別の少女のことを思い出していた。
「そういえば、そっちのマネージャー、加山ちゃんだっけ? あの時コンタクト落としたの、本当はあの子なんだってね」
「――何で知ってんの?」
「さっき本人から聞いた。田辺を悪く言わないで下さい、って言われちゃった」
「そう……」
 何か反応するかと思ったが、智己はなにも返してこない。そのまま、話は途切れてしまった。
 さして気にもせず、葉月はテスターをあさる作業に戻る。いろいろ試し、ちょうど列を一往復したところでアクアマリンを選ぶことにした。南国の海の匂いと書いてあるのが気になったからだ。深い海の色も涼しげで今の季節に合っている。買うのはもちろん、特大サイズだ。
 智己持ちで精算を済ませると、二人は駅までの道を並んで歩いた。
 朝とは違い、雑然とした商店街は歩道にまで商品が並んでいる。車の通りも頻繁だ。縁石と言われる低い砦は葉月たちを頼りなく守っていた。
 智己が自然と車道側に寄ると葉月がそれを追い越した。石を踏んで、頂上に立つ。
「危ねえぞ」
「平気平気。で? 相談って何?」
 平均台の側で黄色い袋がゆらゆら動く。それを眺めながら智己が問いかけてくる。
「……佐藤は夏休みの予定、もう決まってるの?」
「バイト。亜由美と一緒に夏祭りの準備手伝うんだ。抽選会の賞品の梱包とか、飾りつけとか」
「へぇ」
 風が二人を追い越していく。気持ち潮気を感じる風は葉月のスカートをひらりと揺らした。足下がスースーするのはあまり好きではない葉月も、この季節だけは許してやろうという気持ちになってしまう。
 陽差しは徐々に傾いているものの、夕方と呼ぶにはまだ早い時間帯だった。
 反対側のバス停では、海へ向かう男女たちがいる。おそらく今年できたばかりのショッピングモールへと向かうのだろう。猛暑日だというのに、目の前のカップルは肩を寄せ合い、手まで繋いでいる。
 暑苦しくないのかな。
 ぼんやりと葉月は思った。陽炎の前に立つ恋人達の感覚が、葉月にはイマイチ理解できない。
 一方、智己はそれを横目で通り過ぎながらぽつりとつぶやく。
「俺たち……一体何なんだろうな」
「は?」
「いや、俺たちクラスも違うし同中でもないし。朝の電車が一緒以外、何も接点ないし」
「去年同じクラスだったじゃん」
「そういうことじゃなくて」
 智己と同じ目線のまま、葉月は首をかしげた。
 智己は一体、何をいいたいのだろう。
「おまえさぁ、誰かに告られたことある?」
「何それ」
 葉月は言葉を返した。急に話が飛んだ気がして、頭が追いつかない。
「まあ、告られもしないか。佐藤って女らしいって風貌じゃないもんな」
「悪かったわねぇ。そういう田辺はどうなのよ」
「俺は――ある」
「嘘」
 皮肉とすり替わった好奇心が葉月の元に舞い降りた。踵を返し、小さな段差から飛び降りる。
「いつ? どこで? 返事したの?」
「返事はまだ……」
「何やってんの」
「――俺、他に好きな奴がいるんだ」
 突然、智己の横顔に赤い線のようなものが走った。一瞬、からかってやろうかという気にもなるが、それはすぐに打ち消される。照れ以外の何かを漠然と感じたからだ。
 うつむいた少年の顔に影が差す。どこか不安げな表情。こんな智己は見たことがない。
 葉月は口をもごもごとさせた。
「そう、なんだ……で? 告ったりしないの?」
「下手したら今までの関係がぶっ壊れるかも、って思うと怖くて……」
 怖い、なんて単語を智己から聞くとは思いもよらなかった。そもそも、智己が葉月に恋バナを持ちかけること自体が初めてなのだ。
 でも、と智己の話は続く。
「告ってくれた子もさ、いい子だって分かっているんだ。告られたのも嬉しかったし、ちょっとぐらついたし。でも、そんな自分が嫌にもなって――分からなくなったんだ。だからすぐに答えが出せなかった」
「ふーん」
 そうかぁ、と葉月は間延びした声をあげる。うなずくようなそぶりをしたものの、すぐに答えは出てこない。葉月にとって恋は好きと嫌いで分かれるもので――そういった迷いとか気持ちの揺れはよく分からないのだ。
 ふと脳裏に昔がよみがえった。初恋の人に匂いのことを言われて、すぐに冷めてしまった時だ。今思えばあの時、何故あの子が好きだったのかさえ覚えてない。そのきっかけさえ、葉月は忘れていた。
 ――自分が語っても説得力ゼロだな。
 葉月は苦笑した。もしかしたら自分は雰囲気だけ味わいたかったのだろうか。本当は恋をしていると思いこんでいるだけだったのではないか。思い詰めた表情の智己を見ながら葉月は思う。
 きっと他の人ならもっと気のきいた言葉をかけるに違いない。そう。例えば亜由美――とか。
 葉月は親友の姿を思い出した。亜由美には彼氏がいる。この問いかけに亜由美はどう答えるのだろう。あとで名前だけ伏せて聞いてみようか。
 智己と並んで歩きながら葉月は思いを巡らせる。自分のことに集中しすぎて、智己の言葉を聞き逃していたことに気がつかなかった。
「佐藤、聞いてる?」
 言われてやっと、我に返る。
「へ? 何が」
「だから今の……」
「ああ、告白の話……だったね」
 本当は何を言ったのかは分からない。智己が真剣な顔をしているだけに聞き返すのを躊躇してしまった。
 まぁ、きっと「どっちがいい」的なことだろう。
 葉月は話題に遅れた分を取り戻そうとする。
「じゃあ運にまかせたら? くじか何かで」
「はぁ?」
 智己がすっとんきょうな声を上げた。
 やっぱりそういうわけにはいかないよな、葉月は首をすくめる。
「冗談。もう勘弁してくれない? あたしに言っても無駄無駄。もっと違う人にして」
 特に悪気で言ったつもりはなかった。葉月自身、この話題をそらそうと思って言っただけ――
 なのに。
 智己からの反応が、ない。
 普段だったらいじけるなりちょっと皮肉を言う所なのに。騒いだのは夏風にあおられた黄色い買い物袋だけだった。智己の気配はいつの間にか消えている。振り返ると、智己は葉月のはるか後ろで立ち止まっていた。
 親に置き去りにされた子供のような表情がひどく印象に残る。
 何故そんな顔をするかな。
 何もしてないが、こっちが悪いことをした気分になってしまう。
 仕方なく、葉月は側にあった自販機を指すことで空気を変えることにした。
「まぁ、ジュースくらいはおごってやれるぞ」
 まるで、駄々をこねた子供をあやしている気分だった。
 葉月はスカートのポケットから小銭入れを出す。残った小銭は百五十円。さっき買ったスプレーと同じ高さほどのペットボトルが買える、ぎりぎりの値段だ。
 葉月は硬貨を入れ炭酸飲料の前でボタンを押した。無機質な四角形の箱から落ちてきたペットボトルを拾い、それを智己に渡す。
「ま、人生いろいろあるけどさ。これ飲んでとことん悩め」
 智己が無言でそれを受け取った。色づき始めた褐色の肌がキャップをひねり、炭酸の音が耳を抜ける。中身を一気に飲み干してしまう姿は一心不乱という言葉が似合っていた。
 残った泡が、智己の唇からなかなか離れようとしない。だが、そこから決断の言葉が発せられることはなかった。
 ようやく智己が口を開いたのは、駅に着いてからのこと――
「俺、寄るとこあったんだ」
「そう?」
 自動改札の前で智己と別れる。
 改札を通り、葉月は一度振り返った。智己が携帯電話をいじりながら改札を離れていく姿。背中がさびしく見えたのは思い過ごしだろうか。
 葉月に違和感がのしかかる。だがそれはホームから漏れたアナウンスにかき消された。
 電車がもうそこまで来ている。
 踵を返した葉月はホームに向かうエスカレーターを一気に駆け上がることに集中した。

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