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「……それもいいかもしれませんね」
 俺のの意志を知ったおじさんが目を細めた。
「まぁ、その……いろいろ大変でしょうけど。管理人さんなら大丈夫ですよ」
「そう、かなぁ……」
「ええ」
 ねぇ、とおじさんは子供達に話を振るが。
 ユウキはおじさんの腕から離れず。
 体を震わせ、何かを堪えているようだ。
 rozeも、俺に目を合わせることはなかった。
 そのかわり、ため息混じりの声で。
「このままだと、きっとぶん殴りたくなるから……それ以上言わないで」
 素っ気なく、言葉をはじく。
 そう……だよな。
 いくら助けてくれたからって、俺の信頼が戻ったわけでもないし。
 俺に傷つけられたことを早々許せるわけでもないのだと思う。
 今更善人になろうとしている俺は卑怯と呼ばれても仕方ないのかもしれない。
 rozeやユウキの反応は当然、なのだと思う。
 ……本当は彼らがこの先どうするのか、聞いてみたかったけど。
 どう、言葉をかけていいのか。
 どうやって想いを伝えたらいいのか。
 温海と同じように。


 その先の言葉が続けられなかった。


 それぞれに俺から目をそらしていく彼ら。
 濡れ鼠が乾いたようなおじさんとは対照的に。
 rozeとユウキは髪が濡れているものの、こざっぱりとした感じに見えた。
 まぁ、子供達は俺や温海が寝ている間は、時間もあったわけだし。
 近くの湯治場にでも行ってたのだろうか……
 ぼんやりと俺はそんなことを思うけど。
 ふと、俺の前を抜けた冷たい風。
 わずかな隙間に気づき、鳥肌が立つ。
 しまった!


 今までそこにいたはずの人が、いない――


「どうかしました?」
「温海さんが……」
「あれ?そーいえばいつの間に……」
「追いかけなきゃ」
「え?」
「あの人、意地でも死ぬ気だ」
 突然、おじさんがはっとして。
 俺の側に広がる薬とガラスの破片を見たrozeとユウキの顔色が変わった。
 俺の視線の先を追いかける。
 開いたままのドアの先。
 早く止めないと、永遠に失うことになる。
 命の恩人を。
 本当に生きるべき人を。
 そんなこと……
「させるかっての!」


 俺は彼女を捜すための一歩を踏み出そうとするが。
 素足のままだったことに気づく。
 足裏はさっき割ってしまった水差しの水が忍び込んでいて。
 捜す前に側にあったスリッパに足を突っこむのが先だった。
 だが、その間にも動いた人物が一人。
「おじさん、さっきの。アレちょうだい!」
 ユウキだ。
 おじさんは最初、何のことか分からなかったが。
「ああ。アレ、ですね」
「早く!」
 耐えきれなくなったのか、ユウキはおじさんの上着ポケットへ手を突っ込んだ。
 細長い「何か」を手にし、部屋を飛び出ていく。
 慌てて俺たちも追いかけた。
 ……無機質な壁で覆われたこの建物の廊下は、ちょっとした迷路に似ている。
 朝になってまだ間もないせいか、他の病人の姿は見られない。
 病室とは違う、窓もない空間は空気が澱んでいるようにも思えた。
 気持ちまで、不安で満たされそうになる。
 こんな中を、温海はどんな思いで……


「あれ!」


 少しして。
 廊下の交差点で立ち止まったrozeがとある方向を指で示した。
 そこは一般病棟と外来棟を繋ぐ廊下。
 その前を、生気を失ったような横顔が通ろうとしていた。
「温海さん」
 俺の声に、動きを止める温海。
 だが。
 その後ろには一陣の風が吹いていた。
 それはもの凄い勢いで駆けていき、
「温海さん!」
 声変わりする前の、甲高い声が病院をこだまする。
 黒い影が、揺れた。
 振り返った温海を迎えたのは。
 ユウキと。
 紅で艶をなくした果物ナイフ。
 少年はためらうことなく、それを突きつけ。
 温海に教わった、心臓の位置を間違えることなく。


 彼女を貫いていく――


 たどりついた俺に、衝撃が、落ちた。
 それは彼女が望んだ最期の瞬間。
 ユウキの体が温海に包まれていて。
 唯一見えた、彼女の驚きの表情は。
 やがて安らかなものへと変わっていく。
 柔らかい微笑み、静かに下りる瞼。
 その体が、ユウキから離れ……
「温海さん!」


 俺の顔が、醜く歪んだ――


 少年の手から、禍々しい凶器が落ちていく。
 ナイフは回転を繰り返し、やがて病院の床へと着地した。
 ……確かに、彼女の足を止めるのに最も効果的な方法だった。
 でも――
「違う」
 俺が求めていたのは。
 こんな答えなんかじゃ――ない……!
 床に広がった長い髪が彼女の表情を覆い隠し、生きているのかも分からない。
 ふと、温海の姿がじいちゃんと重なった。
 鼓動が早まる。
 吐きそうになった。
 だが。


「……よかったぁ」


 出し抜けに聞こえたぼやきが。
 裁きを下した人間の笑顔が無性に腹立たしくて。
「どうして!」
 ユウキの胸ぐらを、引きずり起こした。
「何でこうなるんだよ!」
 そりゃあ、温海にとっては、願ってもないことだったのかもしれないけど。
 こんな……こんなことって。
 手に力がこもった。
 襟を持ち上げた事で、ユウキの首を間接的に圧迫していく。
 口をぱくぱくとさせ、必死にもがくユウキ。
 その様子に慌てたのはおじさんだ。
「わーっ、管理人さん、止めて下さいってば」
「だって、こいつっ……温海さんを!」
「だから違うんです、違うんですってば!」
「うるせえっ! 何が違うってんだよ。離せ」
 押さえ込もうとする手を払おうと。
 勢いで振った肘がおじさん顔面を直撃する。
「うげっ」
 おじさんの手が、緩み。
 次の瞬間。


「こんのバカ管理人!」


 今度はユウキやおじさんとは違う方向から、鉄拳が炸裂した。
 強烈な右フック。
 今までの恨みを晴らすごとく殴りとばしたrozeに、
「いい大人が落ち着きなさいよ!」
 と、諭されてしまう。
 だがパニック状態の俺はというと、
「だって……ユウキが悪いんじゃんかっ」
 小学生レベルの答えしか浮かんでこないわけで。
「……温海さん刺すなんて……そんなの」
「だーかーら。そこから間違ってる」
「?」
「温海さん、生きてるって」


 ……はい?


               
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