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 第八章 罪と罰

「俺……自首するよ」
 温海の前で俺は宣言する。
 不思議と心は落ち着いていた。
 温海は驚くことはなく。
「そう。だったらそうすれば?」
 そう言って笑った。
 でも、それはとても淋しい微笑み。
「温海さんはどうするの?」
「現実に帰るつもりはないわ……分かるでしょう?」
 確かに、分かってはいたけれど。
 心が痛んだ。
 温海の意志が固いことを改めて思い知る。
 ふと……温海が俺を残して命を絶った両親と重なる。
 俺はこのまま見過ごすのか?
 俺は首を振った。


 もう、同じ過ちを繰り返したくない。


「温海さん」
 俺は彼女の名を呼び、ひきとめる。
 別れの言葉を言ってしまう前に、問いかけた。
「温海さんは……本当に罪を犯したの?」
 真実を明らかにするために。
「え?」
 温海はいぶかしげな顔で俺を見る。
 俺は彼女のバッグの中から、遺書だけ掴んだ。
「これ……」
 書いた本人へ突き返す。
 封筒と便せんが別々になっていることに気が付いたのか。
 温海の頬がぴくりと動いた。
「読んだの?」
「ごめん……さっき読んだ」
「……」
 温海は俺を責める事はしなかった。
 でも、明らかに気分を害したっていうのが顔に表れている。
 俺はそれを感じつつも。
「ここに書いてあることって……嘘だろ?」
 自分の中でざわついている疑問を温海に投げかける。
「薬を間違えたのは別の人間じゃないのか?」


 彼女に問いかける。


 遺書を読んでから気になっていたこと。
 それは俺が助かった経緯を聞いて、疑惑へと変わった。
 目の前にいる温海は最初、何かをやらかしそうな危うさを持っていたけど。
 カレーの中に入れた薬草やキノコだって本できちんと調べていたし。
 落雷も最初に気づいて、みんなに逃げるように促していた。
 彼女自身、いつ倒れてもおかしくなかったのに。
 俺を助けるまで、決して神経を途切らすことはなかった。
 そんな彼女が。
 「その日は忙しかった」だけで薬を間違えるだろうか?
「他の看護士が間違えたのか?」
「違うわ。あの日は私しかいなかった」
 温海は無表情だった。
 腕を組み、穏やかな口調を崩さない。
 今の俺にはそれが機械的すぎて、わざとらしくて。
「じゃあ、医者が……先生が誤診したんじゃ」
「彼はそんなミスを犯さない!」
 即答だった。
 その勢いの良さに俺は一瞬びくっとしてしまう。
「彼の診断は正しかった。私が薬を間違えたのよ。薬品棚の配置が変わったのを私は忘れて……」
「職務怠慢だって、いいたいのか?」
「そうよ。院長だって、あれは事故だって……」
「事故?」
「そう……」
 温海は肯定したあとで。
 我に返った。
 しまったというような顔が、俺の目に映る。
「どうして……院長は事故だと言ったんだ?」
 そう、遺書には「病院は何も気づかなかった」と書いてあったのに。
 院長は知っていた。
 俺の言葉につい反応したとはいえ、それは彼女自身の言葉が招いた矛盾。
 彼女の冷静さが欠けた瞬間だった。


 形勢が逆転する。


「院長が薬を間違えたのか?」
「違う!」
「じゃあ誰なんだ?」
「それ……は」
 温海の目が揺れていた。
 必死に何とか自分を立て直そうとしているのが分かる。
 でも、苦悶の表情は消えない。
 そして数秒後。
「……付き合ってた彼、よ……ミキちゃんを診た……」
 観念した温海がようやく真実を、吐いた。
 感情を必死で押し殺した声だった……
「本当は彼が薬を投与した。薬を間違えたのは彼だった。彼は病院の看板だから、院長たちはそれを隠そうとしたわ。カルテの内容もすり替えて。 野辺山さんには分かりづらいように医療用語並べて押し切った。私は――口止め料をもらったわ」
「……告発は考えなかったのか?」
 温海は首を横に振った。
「彼と別れることも、彼の人生を壊すこともできなかった。ばれたら……彼の奥さんや子供まで巻き込んでしまうもの」
 家族って。
 温海は妻子ある男と付き合っていたというのか?
 信じられない気持ちで温海を見た俺に。
 彼女は慟哭で答える。
 ……温海は病院を辞めた後、睡眠薬と精神安定剤から手が離せなかったという。
 でもある日、その中に同時に飲んではいけない薬が混じっていることに気がついた。
 昨日俺が見た、あの青い薬ビン。
 処方したのは、自分が守るべき恋人だった。
「粉状にしてごまかしてあったけど、副作用がいつもと違ったからすぐに分かった。異常高熱に全身痙攣と昏睡……状況が悪ければ、死に至るものよ」
 そう、温海は穏やかに言うけれど。
 死、という言葉が今まで以上に心に響くのは、彼女が看護師だと知ったからだろうか?
 心の中に冷たいモノが一気に流れ込んだ。
 自分の声が、震えてしまう。


「そいつは……温海さんを殺そうとしたってことか?」
「そうね」
 あっさりと温海は認めるが。
 憤りが、いつの間にかこみあがってくる。
 目元が熱を帯び、しょっぱい何かに変わっていく。
 喉が乾いていく。
「そうねって、それでいいわけがないだろう!」
 俺は言葉を荒げてしまった。
 何で……何で彼女は殺されなければならない?
 確かに怪しいし、何考えているか分からない。
 でも、こんなにも。
 厳しくも、相手を思いやれる人が……どうして!
 温海は取り乱した俺に対し、瞳を細めていた。
「彼をかばった時点で私も共犯よ。どっちかが都合悪くなれば殺意が芽生えたっておかしくない。借りを作った愛人なら、なおさら……」
 まるで人ごとのように事実を受け止めている。
「温海さん……」
「確かにショックだったけど……彼を愛している気持ちは消せなかった。彼になら殺されてもいい、本気で思ったわ。でも……ミキちゃんに償いもしないまま殺されるわけにもいかなくて」
 だから全てを背負って終わりたかったのだと、温海は語った。
「だって。その方が全て収まるのよ。私さえいなければ……」
 温海の肩が震えていた。
 重さに耐えきれなくなったのか。
 その華奢な背中に載せていた荷物が、音もなくこぼれる。
 それが彼女の全て。
 そんなこと、って……
 俺はやりきれなさに口をつぐんでしまう。


 彼女は自分を犠牲にすることで、罪を償おうとしていたのだ。


               
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