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 ――同封したアイバンクカードは私の遺志です。 
 ミキさんが幼少から患っている目の病気は、角膜移植で治るものだと聞きました。 
 図々しいお願いなのは承知の上で申し上げます。 
 私の角膜をミキさんのために使って頂けないでしょうか? 
 「空が見たい」と言った彼女の願いを私が叶えてあげたいのです。 
 これがせめてもの罪滅ぼし、でも、これが私にできる償いだと思うのです。 
 こんな事でしかお詫びできない事を、私の弱い心をお許し下さい。
 
  
「角膜移植……」 
 あまりメディアに出てこない言葉を、俺は口でなぞった。 
 便せんについてきたカードを右手で掴んだ俺は。 
 書かれている温海の名前を見て愕然とした。 
 死亡後にしか使われない角膜の行方。 
 これは謝罪だけの遺書じゃない。 
 ……でも。 
 俺は遺書に書かれた事実が信じられなかった。 
 手紙を手にしたまま立ちつくす。 
 そして。
 
  
「ん……」 
 俺は突然耳にした、無意識に甘えたような艶っぽい声に。 
 どきっとした。 
 反射的とはいえ、頬が赤く染まってしまう。 
 温海の意識が戻りかけている。 
 慌てて封筒と便せんをバッグの中に押し込む俺。 
 ……ゆっくりと、瞼が開かれた。 
 眼鏡を取った温海は、涼やかな目をしていて。 
 rozeやユウキほど大きくはないけれど、顔の大きさにほどよくおさまっている。 
 少し長めの睫毛が横方向に流れて、理知的な人間をかもしだしていた。 
 顔に見合ったクールさを持つ彼女。 
 周りから見れば頼りになる、典型的なお姉タイプなのかもしれない……
 
  
「温海さん……?」 
 俺は囁くように声をかけてみる。 
 温海の体はぴくりとも動かなかった。 
 半開きになった口は呆然としているように見えたが。 
 黒目はあちこち動き回っている。 
 温海は周りの様子が違うことを感じとると。 
 自分が倒れた事を即座に理解して。 
 開口一番、 
「またやっちゃった……」
 
  
 手の甲で自分の目を覆った。
 
  
「また?」 
 つい言葉を返してしまった俺。 
 だが、すぐに思い出す。 
 今まで彼女が自殺未遂を繰り返していた事を。 
 そうなると。 
 今の俺の情況といい。 
 その言葉の意味が、なんとなく想像できてしまって…… 
 あまり聞きたくはないのだけど。 
 それでも俺は、 
「あのぉ。また、ってのは」 
 と、おそるおそる聞いてみる。 
 ……答えは予想通りだった。 
「うっかりあんたを助けちゃった」 
 温海が本当にうっかり、ってな感じに言うものだから。 
 俺の口元がひきつってしまった。 
「もう最悪だわ……」 
 いや……こっちが最悪っぽいんですけど。
 
  
「青年のせいで台無しよ。だから先に殺れって言ったのに。睡眠薬も用意したのに……」 
 だったら助けなきゃよかったのに。 
 俺は思わず愚痴るけど。 
「それができないから困っているんじゃない」 
 逆に責められてしまった。 
「もう体に染みついちゃってどうにもならないのよ……職業病だから」 
「職業病……なんだ」 
 まあ、気持ちは分からなくもないけど。 
 ……皮肉すぎる。
 
  
 温海がベッドから起きあがった。 
 俺と同じ、入院患者が着るような服が目にとびこむ。 
 彼女は小さなチェストに置かれた自分の服を手に取ると。 
 ぽいっと寝ていたベッドへ投げ込んだ。 
 一度、くるっと踵を返すが。 
 振り返る。 
 ぼおっとしている俺と目が合った。 
「何? 人様の着替えをのぞきたいの?」 
「いや……」 
 そんな趣味はございません。 
 ここまできて、彼女が何をしようとしていたのか……ようやく分かった俺だったりする。
 
  
 俺が一歩下がって離れると。 
 温海はベッドまわりのカーテンを引いた。 
 レールのすべる音が室内をすりぬける。 
 俺はカーテンに背中を向けたまま。 
「温海さん」 
 布越しに温海に声をかけた。 
 柔らかい光の中、二人だけの時間が緩やかに流れていく…… 
「あの、温海さんは不本意だったかもしれないですけど……その、ありがとうございます」 
「そう」 
 喜ぶ反応すらみせない温海。 
 布の向こう側で何かがはためく。 
「だったら私よりあの三人にお礼を言いなさい……確かに私は応急処置したけど、実際に病院まで運んでくれたのは彼らなんだから」 
「え……」 
「落雷で仮死状態になったあんたを必死に蘇生したんだからね。あの子、泣きながら心臓マッサージして。rozeだって、何だかんだ言っても人口呼吸して……手伝ってくれて」 
 ふっ、と鼻で笑うような息。 
 彼らを誉めているのだろうか。 
 金属が噛み合う音が耳に届く。 
 そして、突然カーテンを開けた温海は、 
「そういえば……おじさんはどうなったのかしら?」 
 と気になるセリフを吐いた。 
 何も知らない俺は……首をかしげてしまう。
 
  
「本当はあのまま動かさない方がよかったんだけど。場所が場所だし、救急車呼ぶにも時間かかるだろうから無理言って車飛ばしてもらったのよ。
おかげでパトカーに追われちゃって」 
「え?」 
「あれは完全に切符切られたわね。下手したら警察捕まっちゃってるかも」 
 警察、って。 
 俺を救うために、おじさんはスピード違反したってことか? 
 目が覚めて、最初に見舞われた疑問の答えに。 
 俺は立ちつくした。 
「じゃあ、rozeやユウキも警察に?」 
「それは分からない。おじさんは病院に着いた後も車に残ったけど、あの子達は私が倒れる直前まで病院にいたし……
でも、あんたの素性がここから漏れていたなら、あの子達が警察にいてもおかしくないと思うけどね。場合によって病院は警察に報告する義務があるんだし」 
 温海の言葉には説得力がありすぎて。 
 自分の過ちに嫌気がさすほどだ。 
 そして。 
「ねぇ、温海さん」 
 俺はずっと、気になったことを聞いてみる。
 
  
「雷落ちた時……死んだ俺に何か声かけなかった?」 
「ああ……意識レベルの確認?」 
「誰かが俺に、『生きてくれ』みたいなこと、言わなかった?」 
「まぁ……最初は『大丈夫ですか』な程度だったんだけど。そのうち誰からともなく、『生きろ』って言ってた……かな?」 
「そっ、か……」 
「でもおかしいわよね。私達、死ぬつもりでいたのに……」 
 温海の言葉は皮肉めいた部分もあったけど。 
 俺を揺さぶるには十分な答えだった。 
 俺の耳に届いたのは。 
 彼らの必死の叫び。 
 酷いことをしたのに。 
 死んで当然だったのに。 
 それでも、彼らに救われた。 
 生きろって言ってくれた。 
 俺は…… 
 凶器を握ったその右手を見つめた。 
 爪に残る赤いかけら。 
 生死をさまよっても、これだけは消えない。 
 それが俺の現実。 
 でも。 
 今度は、俺が彼らを救わなければ。 
 償わなければ。
 
  
 俺は全てを受け止められる気がした。
 
  
  
                 
  
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