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 視界が少しづつ広がる。
 白い壁に囲まれた世界。
 窓にかかった同色のカーテンが揺れている。
 時折、自然の眩しさに目が眩む。
 冷たい風を肌で感じた。
 遠くからは金属の入った台車を動かす音。
 消毒液の匂いが窓から入ってくる硫黄の匂いと混ざって。
 鼻につんときた。
 ここは……


 俺は、病院のベッドに寝かされていた。


 右手の窓から漏れる、カーテンを通したあたたかさは。
 俺に心地よさを与えてくれた。
 反対側には小さなチェストがあって。
 その上に、ガラスでできた水差しと。
 自分が身につけていた服が洗濯され、折り目正しくたたまれていた。
 奥には十四インチサイズの小さなテレビ。
 どれも、下から見たアングルはとても新鮮に見えて……
 まだ頭がぼおっとしていた。
 何が起こったのかもわからない。
 でも。
 動く手足。
 穏やかに波打つ心臓。


 俺は……生きている?


 目覚めてからもしばらくの間も。
 俺は夢の余韻から抜け出せなかった。
 心だけが取り残される。
 あの時。
 俺は「彼ら」と一緒にいたいと本気で思った。
 でも、彼らはそれを許さなかった。
 何故?
 気持ちだけが空回りする。
「いつか……また」
 俺はじいちゃんが言った、最後の言葉を口にする。
 ため息が、こぼれた。
 自分の気持ちがまだ、もやもやしていて――
 ……ちょうど水差しが置いてあったので、その恩恵にあずかろうと手を伸ばす俺。
 自然と、隣のベッドに目がいった。
 心臓が、揺れる。
 目の前で眠っている人物のおかげで、自分の現実がぐんと近づく。
 俺の記憶が間違いなければ。
 彼女、は……


 目の前にいる人が誰なのか、はっきりしたくて。
 俺はゆっくりと起きあがった。
 まだ、頭はふらふらするけれど。
 さっきより、意識ははっきりしている。
 硫黄の匂いを感じるということは。
 近くに温泉のあるということ。
 だとしたら、隣町の病院、なのだろうか?
 左右対称に配置されたベッド。
 テレビだけが共通で使うもののようだ。
 二つ目のチェストに置かれた黒い服が、俺の頭に残像を残す。
 眼鏡をかけていなくても、その顔は憶えている。
「温海さん……」


 彼女は点滴を受けていた。


 スタンドに固定された液体が一滴一滴、静かに落ちる。
 それが温海の体を癒していく。
 穏やかな顔だった。
 目元を覆う睫毛の一本一本に。
 意外と長かったんだ、俺は今更ながら気づく。
 静かな寝息が、一定のリズムを保っていた。
 深い眠りに入ったのだろうか。
 彼女はぴくりとも動かない。
 そういえば。
 俺が倒れる前、貧血を起こしたって言っていたけど。
 それが仇となったのだろうか?
 ……今更だけど。
 rozeやユウキや……おじさんは何処にいったのだろう。
 その前に。
 何故、俺はここに居る?
 急に不安になって、身震いを起こした。
 これは夢の続きなのだろうか。
 一瞬、そんな思いがよぎってしまう。


 ふと、近くに置かれたバッグが目についた。
 バッグは半開きの状態で。
 ペンライトやら薬瓶が無造作に詰め込まれている。
 そして。
 白く面長な封筒が本の間に挟まっていた。
 おそらく、昨日見た温海の遺書に違いない。
 一度雨に濡れてから乾いたせいか、はみ出た紙は見た目にもゴワゴワしている。
 ……昨日とは明らかに違う様子に、俺は眉をひそめた。
 昨日はきっちりと封がされてあったのに。
 今ここにある遺書は一度開封して元に戻したような跡がついているのだ。
 そして、バッグの隅っこに追いやられた紙くずに、手が止まる。
 これは……
 俺は紙くずをそっと開けた。
 rozeが話していた、男性と少女。
 まだ学生とも呼べそうな男性は優しそうな顔をしている。
 少女は満面の笑みをファインダー越しの人物に向けていた。
 俺は少女を支える白い杖に、少しだけ違和感を覚えつつも。
 写真の二人に惹きつけられていた。
 きっと、温海に関わりを持つ人たち。
 あの時、彼女は自ら写真を握り潰したけど。
 捨てることは出来なかった。


 本当に潰して捨てたかったのは、もっと違うもの、だったのかもしれない。


「……」
 ちょっとの好奇心と、緊張。
 今の自分の情況も気になってはいたけれど。
 冷静沈着な、彼女の秘密も知りたくて。
 俺は封筒に手を伸ばした。
 小さな罪にほんの少し、手が震える。
 予想通りの感触が、俺の指先を刺激する。
 昨日は見落としていたらしい。
 最初の文字が滲んでいるが、封筒の表には<野辺山様>と書かれていた。
 音を立てないように、中身だけを抜き取る。
 手のひらに乗ったのは、白い便せんと、固い素材でできたカード。
 便せんには、横書きで温海の想いが綴られていた。
 俺は静かに文面を追いかける……


 ――この手紙が届く頃、私はもの言えぬ姿になっていることかと思います。
 野辺山様。
 貴方がたにとって私は病気がちな娘のミキさんの友人であり、心の支えとなった看護師なのかもしれません。


「看護師?」
 その三文字に驚いた。
 俺は思わず声を上げてしまう。
 自分の声に一瞬、温海が起きてしまうのではないかと思う位。
 手で口を覆って、俺はおそるおそる振り返る。
 ……よかった、まだ目覚めていないようだ。
 改めて温海を見据えた。
 ふっと頭の中で想像したナース服を彼女に重ねてみるけど。
 だめだ。
 最初の印象が強烈すぎて、コスプレにしか見えない……
 でも。
 状況からして。


 俺は彼女に助けられた……のだろうか。


 彼女の意外な行動に、驚きと。
 素直に喜べないような、複雑な気持ちが俺の中で絡み合った。
 でも、ここで思いをはせても先には進まないわけで。
 仕方ない。
 続きを読むしかなかった……


 ――私は貴方がたが思っているほど、良い人間ではありません。むしろ憎むべき人間であるということを知っていただきたく、この手紙を残すことにしました。
 ミキさんをあんな目に合わせてしまったのは、私です。
 あの日。外来の患者に追われていた私は、隣にあった、別の患者さんへ投与する薬を注射してしまったのです。
 私が投与前にカルテを確認していればこのような事態は起きなかったのかもしれません。でも、それも言い訳にしかなりません。私は看護師としてやってはいけないミスを犯し、結果、肺炎で済むはずだった彼女に脳の障害を残してしまったのです。
 私は怖くなって、事実をもみ消しました。嘘を重ね、何も無かったようにして……幸い、病院は何も気づきませんでした。ただ、薬が彼女に合わなかったのだと判断を下し、私は追及されることもありませんでした。でも、私はミキさんと顔を合わせるのが辛くて仕方なかった。だから病院を辞め、事実から逃げたのです。


 ――全ては私の犯した罪であり、責任でもあるのです


 ここまで読んで、便せんを持つ手に力がこもる。
 言葉に突然首元を掴まれた錯覚を覚えた。
 息ができるのか、確認するかのように唾を呑みこむ俺。
 俺の罪に驚かなかったのは。
 生死に関わる職業に携わっているだけじゃなく。
 彼女自身も罪を犯した、から――?


               
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