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 ふと、肩を掴まれた。
 肩を掴んでいたのは、この中で一番の年長者。
「いくらなんでも、子供にあんなことは……」
 だが俺は、
「そういうあんたはちゃんと調べたのかよ」
 自分でも驚くほど低い声で問いかける。
「葬式代だって軽く七桁超えるんだ。葬儀屋は遺族の心につけ込んで高い花や棺桶を勧めるし、坊主につけてもらう戒名だって見栄張って高いのにすれば百万単位だ。なのに親族以外の香典なんて五千円から一万円」
「う」
「香典なんて死んだヤツの甲斐性だよな。人望ゼロならトータルでマイナスもいいところだろうに」
「甲斐性……」
 その一言に、中年男が動揺の色を見せた。
 彼もまた、無限のループにハマっていく。
「結局遺族が金を払うんだよな。人の金で骨になって、墓にぶち込まれて。そいつらがいなきゃ何にもできないんだよな。まぁ……ガキの分は親がなんとかするんだろうけど」
あんたの為に金出す人、どの位いるんだろうねぇ?
 俺は冗談半分で笑っていると。
 掴んでいた五十代の手に力がこもった。
「あの……足りるんでしょうか?」
「は?」
「私が残したお金ですよ! 家のローンは退職金ですっからかんなんです。貯金は少しありますが……いや、あの妻じゃ遺産がわりの慰謝料だ、っていくら取られるか。年金だってまだなのに。足りなかったら、どうなるんですか? ねぇ? 成仏できないんですか? そのまま浮遊霊になっちゃうんですか? それともこのままゾンビに……」
「さぁ?」
 ひとつの可能性を、俺はわざと口にしなかった。
 引っついたままの腕を無理矢理引きはがし、投げ捨てる。
 狼狽した男のなれの果てが、そこにあった。
 情けない。
 人間なんて、結局そんなもの。


 現実を知れば、命の決断なんて――


「まったく、情けないわね」
 次々と倒れていく心の弱さたちに、一人無傷な温海が嘆息を漏らす。
「そんな『当たり前のこと』にびびってどうするの」
「うるさいっ。あたしたちはあんたみたいな最強ババアと違うの。繊細なの」
「……悪かったわね、最強ババアで」
 rozeの毒舌に、温海はムッとしたような顔をするが。
 生ぬるい風に飛ばされないよう、手で自分の髪をおさえる。
 でも青年、と口を開く。
 ゆらゆら揺れる黒い波。
「彼らをかばうつもりもないけど、この世の中、人間は他人のためって言って、結局自己満足で生きているのよ。自分が一番。誰がどう思ってたって、自分にとって幸せじゃなきゃ意味がない。私達はどう生きたとしても幸せじゃないから、だから死ぬの。最初に言ったけど、あとのことなんて考えたって意味ないの」
 この中で一番落ち着いている人間の言葉は、とても事務的だった。
 それはここにいる誰も、彼女本人ですら、感情が入り込む隙間なんてないくらいで。
 大人の余裕にも、見える。
 温海は俺よりも年上で。
 他の奴より口数は少ないし、時々不気味だけど。
 まとっている空気だけで分かる。
 その黒いワンピース。
 持ち込んだ怪しい薬からみても。


 彼女の覚悟は他の三人と明らかに違う。

 俺に近い、何かを感じる。


 俺は少しだけ冷静さを取り戻すと、
「そんなの、分かってるさ……」
 温海から目をそらした。
「俺だって……死ぬつもりでここに来たんだから」
 一番の目的が、最後になって、やっと、外に吐き出される。
 目の前で温海以外の人間が驚いていた。
 え、と叫ぶ声が、重なり。
「だったら!」
 一秒も経たないうちに、rozeが俺に掴みかかってきた。
 だが。
「やめなさい」
 それを止めたのも温海だった。
「だってこいつっ!」
「いいから。落ちつきなさい」
 息巻くrozeを穏やかに諭す温海はちょっと意外だった。
 戸惑いが交錯する中、彼女だけが頑なに冷静さを守っている……


「とりあえず、青年の言いたいことは分かったわ。確かに自殺って気軽じゃないし、そんな生ぬるいものじゃないわよね」
 でも、と温海は言葉を続ける。
 不健康になった三人をチラッと見、
「この三人には言い過ぎ」
 とたしなめる。
 まるで子供に叱る親のようだ。
「まぁ、死体はともかく、葬式のことまで詳しいのには驚いたけど」
「それは……」
 俺は自分を取り囲んだ木々を見上げた。
 苦い経験が、よみがえる。
 言葉を、ためらった。
 でも。
「親が……死んだから」
 二度目の衝撃。
 そう、俺の両親は。
「首、吊ったんだ」


 この森で。


 八年前、「彼ら」は借金の保証人になっていた。
 だが元の借り主が夜逃げしまい、取り立てがこっちにも回ってきて。
 小さな家も、貯金も全てはたいた。
 でも足りなくて。
 最期はじいちゃんにすがるしかなかったのかもしれない。
 けど、彼らは一言も言わず、逝ってしまった。
 それはじいちゃんへの優しさだったのか、それとも強がりだったのか。
 今となっては分からない。


 脳裏にはまだ残るのは、最後に見た彼らの姿。


 俺の誕生日の翌日。
 初めて泊まったじいちゃんの家の前。
 二人は大切な用事があると、じいちゃんに俺を預けていった。
 <二、三日で戻ってこれるかと……思います。たぶん>
 じいちゃんにそう言って、俺をしっかりと抱きしめた母さん。
 ごめんね、の言葉。
 <じいちゃんの言うことをちゃんと聞くんだ>
 そう言って微笑んだ父さん。
 <強い子になりなさい>
 ……思えば全て覚悟の上での言葉、だったのかもしれない。
 そして次の日。


 彼らは、死んだ。


 頑丈そうな木に登り、ロープで自分の首と枝を結び、そこから飛び降りた、らしい。
 その後、警察に呼ばれたじいちゃんと俺が、両親の死体を確認することになった。
 暗い死体安置室の中。
 鮮烈だったのは奇妙な形を残した、白い手。
 彼らはお互いの手を決して離すことはなかった。
 固く結ばれた「それ」はすでに死後硬直が始まっていて、離すのにかなりの時間がかかったという。
 ……葬式が終わった後、身の回りを整理していたじいちゃんは二人が保険に加入していたことを知った。
 自殺でも十分すぎる保険金。
 命の代償はすべて借金の返済に当てられ、俺だけが生き残って。
 <馬鹿者が>
 じいちゃんはずっと、位牌に罵倒していた。
 それでも大粒の涙を流していた。
 小学生だった俺は信じられなくて。
 悲しくて。
 後ろで痛いくらい唇を噛むことしかできなかった。
 まだ幼なすぎた自分。


 俺は、彼らの意志を絶対に認めようとはしなかった。


 病死とか事故ならともかく。
 勝手に諦めて、人生の最期を勝手に決めて。
 どうして気づかない?
 大事に想っている人間が。
 生きてほしいって願っている人間が本当はすぐ側にいるってこと。
 「あなたたち」は何故、気がつかなかった?
 やりきれない思いが、ぐるぐると巡って。


 でも、本当に許せなかったのは……気がつかなかった自分自身。


 あの時、俺が必死に引き止めていたら。
 じいちゃんに借金のことを話していたら。
 俺が無力だったばっかりに。
 大好きな父さんと母さんを死なせてしまった。
 見殺しにしたも同然だ。
 後悔ばかりが俺を苦しめ。
 白い手の悪夢を何度も見た。
 そして、それを救ったのは時間だった。
 時の流れは淀みなくて、穏やかで。
 深くえぐられた傷を徐々に癒していく。
 笑顔を少しづつ思い出させる。
 いくつもの年を重ね、両親のことを話しても。
 穏やかに過ごすことができるようになった。
 それでも、あんな思いはしたくないと思った。
 信じてる人が突然消えて。
 置き去りにされるのはもう嫌だ。
 なのに。


「じいちゃんを刺した時、警察に捕まることより、ひとりぼっちになったことが耐えられなくて、家にも警察にも行けなかった。 その先を想像するのが怖くて、それを乗り越えるために死ぬしか方法が見つけられなくて……そんなこと考えている自分がイヤでたまらなかった。 俺にとって自殺は一番最悪な犯罪なんだ。一番やっちゃあいけないコトだって……でも」
 自分からその場面を作ってしまった。
 同じ方法しか選べなかった。
 ここを選んだのは、両親に会えるかもしれないという感傷でしかなくて。
 でも、一人だけでは死ねなくて。
「あんたらに会った時、おかしいけど、嬉しくて。 死ぬのは別に悪いコトじゃないって……自分を許せるような気がした。死ぬなら、ひとりよりみんなと一緒がいいって、思った。 だから嘘ついて、隠して……でも結局バレちゃったけど」
 そして他人に「殺」を押しつけ、あわよくばと考えている彼らにキレた。
 否定されたのが、悔しかったんだ。
 だから俺と同じ絶望にあわせたくて。
 それでも俺は一緒に死にたくて。
 怖くて。
「何やってるんだろうなぁ……俺」


 ……最低だ。


               
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