第四章 カウントダウン
どんどんどん。
遮光ガラスを勢いよく叩く音。
夢に浸っていたはずの体が、突然、揺れた。
目が覚める。
それこそ唇が重なるまであと数ミリ、というところだった。
どんどんどんどん。
「なっ、何?」
rozeの目がぱち、と開く。
俺の最大級のどアップを見た後で。
「ぎゃあ!」
容赦ない力で俺を押しのける彼女。
平手を顔面に押しつけられ、俺はうげ、と情けない声をあげた。
自然と車のフロントガラスが目に入る。
すると。
闇の中、ぼおっと現れる白い何か。
「お願いだから、開けてよぉ!」
ユウキがものすごい形相で車にへばりついている。
な……何だぁ?
一瞬で、空気が、変わった。
俺は後部座席のドアまで手を伸ばすと、ロックを解除する。
待ってましたとばかりに、ユウキが転がりこんだ。
なりふり構わず走ってきたのだろうか?草の蔓が頭に引っかかっている。
ほおが紅潮していた。
「どうしたの? あっちで待ってたんじゃ」
「そうだけど……あの人何か怖いんだもん」
rozeの質問に息を切らせながらユウキがぼやく。
「あの人?」
「温海さん。おじさんの腕見て血管の浮き具合がいいとか、僕の肌がすべすべしてて柔らかそうとか、瞳が澄んでいるとか」
「それって……逆セクハラ?」
「っていうより食べられちゃう感じ? おじさんは全然気がついてなかったみたいだけど」
あーもう怖かった、とユウキは胸をなでおろす。
……この様子からすると、ユウキはおじさんを残して逃げてきたらしい。
おいおい、さっきまで仲良くしていただろうが。
思わずツッコミたくなるけれど。
「そりゃあ、おじさん残すのは心配だったけど……でも、二人とも消えたら不自然だし。でもやっぱり怖いし」
それより前に、しょんぼりとした声でユウキが答えた。
子供なりに悩んだ上の決断らしい。
とはいえ、なんだかおじさんが気の毒に思えてしまった。
本当……食われてなければいいけれど。
「……で」
「で?」
rozeが不思議そうな目でユウキの顔をのぞきこむ。
「あの……いいの?」
「は?」
「いや、さっきの……」
恥じらうユウキ。
「二人……キス、しようとしてたでしょ? いいトコ邪魔しちゃってごめんなさい。あの……もしアレなら気にせず続きを……僕、後ろ向いてるから」
「な」
俺の顔から火が吹いた。
rozeと目があってしまう。
恥ずかしくなって、すぐまた目をそらす俺。
今頃になって胸の高鳴りが復活する。
が。
「なーにいってるの。止めてくれてありがたいくらいよ。危うく自分が立てた操をぶっ壊すところだったわ」
あはは、と笑い飛ばすrozeに俺の頭がぐらん。
サイドガラスに頭をぶつけてしまう。
ごん、と鐘が鳴る。
「いやー雰囲気に流されるとこだったわ。ね、管理人」
確かに、確かにそうなんだけど。
吊り橋なんだけど。
それでも俺はがっくりとうなだれてしまう。
何だろう? 自分の中が粉々に砕けたような……この衝撃。
儚い夢はあっさり壊れた。
ダメージを受けたまま、俺はのろのろと体を起こす。
話題は温海の話に戻っていた。
それにしてもあの人キモいよね、とrozeが言う。
「なんかお局様? っていうか何様って感じよね。変な薬も持ってるし……あんなコト言うなら集団じゃなくて一人で死ねっての」
「そういえば……別のレスに何度か自殺しようとしたけど全て未遂って書いてあった。だからここに来たんじゃないのかなぁ?」
「うそ。最悪じゃん。そんなのと一緒なんて」
……最悪、ねぇ。
本当、どっちが最悪なんだか。
俺はrozeの毒舌を聞きながら、一歩引いた感じで苦笑する。
と。
「ん?」
ユウキの着ている服が違うことに気がついた。
げ、叫びそうな思いを必死でこらえる俺。
何でユウキが着ているんだ?
柔らかい生地でできた、前あきの長袖シャツ。
それは最初に棄てたはずの……。
「俺の上着っ」
「あ。これ? 管理人さんの服だったんだ。どーりで大きいと思ってた」
車のそばに落ちてたんだ、とユウキは続ける。
たっぷり残った袖の部分をぷらぷら揺らす。
「さっきの温海さん見てたら寒気がしちゃって。外に出たついでに借りちゃった」
いいよね? とユウキは笑顔で聞いてくる。
俺の顔が引きつっているのにも気づきやしない。
おいおい、さっきは変に気を回したくせにこういう事はスルーかよ。
いやな汗がじわりと吹き出ていた。
そしてユウキの着ている服を身を乗り出して見ていたrozeが、
「やだ、胸元が汚れているじゃない。ユウキも途中で転んだの?」
人差し指で服をひっかきながら、一番触れて欲しくないことを口にする。
「あ、汚れが移っちゃった」
rozeが親指で払おうと人差し指を重ねたとき、
「ん?」
首をかしげた。
「これって泥じゃない……」
その一言に俺は心臓を貫かれた気分になる。
「うそぉ。違うの?」
「ざらざらしないもん。ネトネトっていうか……ひっつく感じ?」
お願いだから気がつくな、と心の中で願ってしまう。
「んー」
rozeが車内灯に人差し指をかざした。
さらに首をかしげ、
「赤……いやもうちょっと濃いな」
世の中にある近い色を声にする。
「トマト……ワイン……というより血の色、か?」
言った後で眉をひそめるroze。
血、という言葉にユウキがびくっとする。
見事な回答に俺はびくびくしてしまう。
冷や汗が、首筋をなめるように伝っていく……
「ねぇ、管理人。これって何こぼしたの?」
俺を見るその視線が……とても痛い。
rozeの詰めよりに、思わず後ずさりをしてしまった俺は。
バランスを崩しそうになった。
俺はカーナビに手をついて、なんとか均衡を保つが。
カチッ。
どこかのボタンを押してしまったらしい。
ナビの画面がテレビに変わる。
旧道に佇むワンボックスの車内とは違い。
ここは電波も良好のようだ。
見覚えのある風景が目に止まり。
俺はぎょっとする。
テレビに俺の家が……映っている!
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