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 rozeが目を見開いたまま固まっていた。
「おい、大丈夫か?」
 最初はどこかぶつかったのか、とも思ったけど。
 そうじゃない。
 原因はrozeの手元にある「モノ」だ。
 rozeは携帯の画面を見つめたまま動かない。
 彼女の手がぶるぶる震え。
 顔がみるみる般若顔に近づき(おそらくおじさんが見たのはこんな感じだろう)
「ふざけんなっ! 人をバカにしやがって」
 折りたたみの携帯を勢いよく外側に曲げた。
 ばきん、という音。
 割れた先から七色の破片が散らばる。


 俺の知らない彼女。


 rozeがキレた瞬間だった。
 俺は両手を上げたまま、のけぞってしまう。
「復讐してやる……」
 一瞬、鋭い目つきになった彼女に、どきりとする。
「本当に死んで、あいつらをめちゃくちゃにしてやるんだから……」
 腹の底からわき起こった憎しみをびしびしと感じた……俺。


 一体、彼女の身に何が起こったというのだろうか?


 ……しばらくして、rozeが思いっきり引いている俺に気がついた。
 rozeはあ、と口を開け。
 両手に握りしめていた携帯のなれの果てを交互に見つめたあと。
 がっくりとうなだれる。
「ごめん、助けてくれたのに……こんな事言って……」
 俺にあやまる。
 さっきあやまってくれた時より声に多少の荒々しさが残っていた。
「いや、別にいいんだけど……」
 俺の答えに黙り込むroze。
 沈黙が再び訪れる。


「その……絶対気になっているよね?心変わりの理由」
「まぁ……ね」
 正直に答えるしかなかった。
 深いため息をつくroze。
 しょうがない、というような感じで、
「もともとは……付き合ってた彼氏、親友に盗られたせい、なんだけど、さ」
 彼女は自分のことを語り始める。


「どっちも大切だったからお互いを紹介したのに。あいつら……あたしのいない所で勝手に盛り上がって……Hまでしたって」
 ひどいと思わない? rozeは俺に問いかける。
「あたし、ずっと騙されてたのよ。彼氏は親友のこと本気だったって……謝りながらあたしと別れたいって言いやがった。 しかも親友は……あの女は彼氏とは会わないって約束しときながら、それを裏切ってた。悔しくて、許せなかった。だから」
 別れ話を持ちかけられるものなら、二人共呼び出して。
 最初は赤信号の横断歩道を渡った。
 次は神社の階段、てっぺんから後ろ向きに降りて。
 三度目は……家にあった酒瓶割って、火ぃつけようとしたんだっけ。
 そう、rozeは言う。
 いたって口調は穏やかだった。
 だが、内容がおぞましい。
 rozeは俺の困惑顔に気がついたのか、ふ、と含み笑いをした。
 俺の感情を読み取るかのように。


「今、怖い女って思ったでしょ?」


 言われてぞくりとする。
「自分でも分かってる。でも……どうしようもないの。彼氏がいない人生なんて考えられないんだから……」
 rozeの慟哭。
 俺はただ見つめることしかできなかった。
 別れたくない、だから彼を脅すことで自分の気持ちを訴えるしかなかった少女。
 「死」をエサにして。
 それが彼女なりの愛情表現というのなら。
 それはあまりにも幼稚で、危っかしくて……


「今度こそ自殺するって言ってやったのに。あいつら、あたしの遺書メールに『お前の嘘にはもう騙されない』って返信してきやがった。 ちょっとでも罪悪感持ってたなら、心配してたならここから逃げようと思ったのに…… あたしを裏切っておきながら、自分たちだけ幸せになろうなんて許さない。 だから本当に死んで後悔させてやるのよ。 あいつに二度と恋なんかさせないように、あいつらが二度とくっつかないように……」
 笑い声が、俺の中を駆け抜けた。
 狂気が彼女の中にじわじわと染みこんでいく。


 少女は復讐のために自殺しようとしていた。


 それはまるで昼のドラマを見ているよう。
 恋人と、それを奪った親友への抗議の死。
 それが相手にどれだけの傷を負わせるか、想像しただけでも鳥肌が立ってしまう。
 でも……
 彼女に、憎しみとは違う「もの」を感じるのは何故だろう。
 ふと温海に反論した時の彼女がふっと浮かんだ。
 ユウキをかばったrozeが。
 逃げようとしたことを詫びたrozeが。
 今憤っているrozeとうまく重ならない。
 ……いや、違う。


 本当は紙一重、なのかもしれない。


 俺だって。
 表である善の部分をごっそり削られたからこそ。
 裏に隠れていた悪がしみ出てしまった。
 もし……彼女も同じだとしたら。
 俺はrozeをもう一度見る。
 今度こそ、歪んだ笑いの中に淋しさを見つける。
 だから。


「醜くて……いいんじゃない?」

 言葉が、落ちた。


「なんで……そんなこと」
「なんとなく。rozeは……よくやったと思うよ」
 彼女は知っている。
 自分の行動が、憎しみがどれだけ醜いのか。
 大事なものを二つ同時に失うのが目に見えているからこそ。
 認めたくないのかもしれない、怖いのかもしれない。
 変わっていくことが。
 忘れられることが。
 でも、それを認めたら自分の想い全てを否定することになるから。
 それがたまらなく、辛いから……


「何で誉めるのよ。あたし、あいつらに酷いことしようとしてるのよ。ここって……怒るところじゃないの?」
 意外、いや異常だというような顔でrozeが俺を見上げていた。
 確かに。
 言葉はごもっともだと思う。
 でも。
「怒れない……」
 俺の言葉にrozeはもともと大きい目を更に大きくした。


「さっき、俺が酷いこと言われたって言った時、自分ならそいつを殺しているって言っただろ。  でも本当は……状況違うけど、同じ目に合ってもそいつらを殺す事をしないわけだから……」
 それは偉いと思った。
 rozeは彼らを傷つけても、彼らに「生きる」という選択肢を残している。
 俺は……それすら奪っているから。
 怒る権利なんて、もともと……ないわけで。


 rozeはしばらくの間ぽかんとしていたけど。
「変なの。掲示板だったら『歪んだブスの戯言なんて糞だ』って書きそうな勢いなのに」
 そう言って、ふっと笑みをのぞかせた。
 その中に狂気という感情はもう消えている。
 毒気が抜かれたのかもしれない。
 一方、俺は『掲示板』という言葉にどきりとした。
 しまった!
 rozeとって俺が管理人であることをすっかり忘れていた。
 しかも自分を出してしまうなんて……


 一気に吹き出た汗は引力に導かれるまま額を伝っていく。
 前髪をかき上げるフリをして、その汗を拭った。
 俺は自分のことに精一杯で。
「管理人?」
 rozeの呼びかけに、俺は唇を噛んだまま。
 何も答えられない……


 静けさがまた、訪れる。


 俺の深刻そうな顔に耐えられなくなったのか。
 rozeがシートベルトを外した。
「せっかくナビ設定してくれたのに……ムダになっちゃった」
 ナビのリモコンに手をかける。
 ボタンを押してルートを消そうとするが、やり方が分からないのか。
 画面がくるくる変わり……やがてFM画面に落ち着いた。
 流れてきたのは少し前、テレビのCMで流れていた曲。
 たしか、生命保険のCMで、家族達の写真がくるくる変わるやつだ。


 ピアノが奏でる壮大な音が心を打ち付ける。
 サビしか知らない俺は、大切な人への感謝の唄だと思っていたけど。
 今、最初から聞いていて、その意味が違うことを知る。
 これって、わかれうた、なんだ。
 認めたくない心の叫びが。
 淋しさが。
 歌詞が今の彼女とリンクする。
 ふわり。
 彼女の上半身が横に倒れ、俺の肩で止まった。
 ちょうちょのように。
 緊張が、走る。


「本当は死ぬの……怖い」


 涙混じりの声とともに本心が突き刺さる。


「でも、管理人みたいな人が一緒でよかった。気持ち……少し楽になった」
 管理人がいい奴でよかった。
 思いがけない言葉に、俺は動揺が隠せなかった。
 ふっと……心の奥で、もうひとりの自分が問いかける。


 彼女を死なせたら、俺は後悔するのだろうか?


 どくん。
 今まで「不安」ばかりだった動悸が違うものへと変わっていく。
 温かい気持ちが体内を流れていく。
 rozeを見た。
 やばい。
 男なら……いや、女がみてもドン引きな事をしてかしている奴なのに。
 とても可愛く見えてしまうなんて。
 俺の脳みそが狂ってしまったのだろうか?
 ふと、吊り橋理論というのを思い出した。
 狭い吊り橋を歩いている男女が、生死の危機に感じる鼓動を異性への恋だと勘違いする心理。
 きっとそれだ。
 ……rozeが不思議そうに俺を見上げていた。
 ふってわいたまやかしから逃れようと、俺はrozeから目をそらす。
 でも。
 もう一度だけ、彼女を見つめた。
 心を覗かない、無垢な瞳。
 俺の中で、世界が変わる。
 わずかな期待、儚い夢。
 ……一瞬でもいい。


 衝動的にrozeを抱きしめた。


 rozeの驚いたような声が耳元を突き抜ける。
 でも彼女が俺の腕から離れることはなく。
 それどころか、ぶら下がっていた彼女の腕が俺の後ろにまわった。
 彼女の手のひらが、背中をやさしく包み込み。
 俺は安心して、少しだけ力が抜ける。
 心地よさに酔いしれる。


 このまま、自分の中に閉じこめたい。


 体を少し引いて、彼女の顔を探した。
 そっと頬に手をふれる。
 「その時」を感じたのか、rozeは一瞬戸惑ったけど。
 ゆっくりと瞳を閉じていく。
 瞼の動きにあわせてまつげが細かく揺れていた。
 彼女も緊張しているのだと知った。
 鼓動が先に重なったのを体で感じる。
 今度は素直に、可愛いと思った。


 彼女の名と同じ色、潤いのある唇を指でそっとなぞってから。
 その感触をはっきりと確かめようと俺は瞳を閉じる。
 お互いの顔が近づいていくのを気配で感じていた。
 rozeの前髪が自分のものと重なる。
 わずかに漏れる息が、唇をくすぐる。
 意識を集中した。
 そう、俺は。


 何もかも、忘れたかったんだ……


               
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