第三章 儚い夢
時は刻一刻と迫っている。
rozeが別行動をしたい、と言うと。
「はぁ?」
車の中にいた温海は、やっぱりイヤそうな顔をした。
「あんた、ここまできて何言ってるの?」
「ちょっと喉が渇いたから買い物に行きたいの。できればコンビニでメイクセットとかも買えれば……って。まぁ、それは冗談だけど」
温海が更に怖い顔をしたので、さすがに言葉を濁すroze。
「とにかく。温海さんの言うようにすぱっと逝きたいから、小さな事でも未練を残したまま死ぬのがイヤなの。それから……一度車も運転したいし。管理人も車貸してくれるって言うし」
抜け出すって……そういうことか。
rozeの言葉の意味を理解した俺はふう、とため息をつく。
てっきり逃げるのかと思ってしまったから。
俺ってば車に向かう前に色々と考えてしまったではないか。
「運転ならこの車でいいじゃない」
温海はrozeの提案を簡単にへし折る。
ごもっともな回答に俺は頷きそうになるが。
ガン。
rozeのかかとが俺の「弁慶の泣き所」に入る。
何かフォローしなさいよ、と流し目で訴えられる。
……わかりましたよ。
「あの、さ。ここはアスファルトじゃないし、初心者には運転し難しいだろ? 俺の車停めてある場所はちょっと離れているけど……まだ舗装されているし。
確か……ちょっと行った先に自販機あったと思うんだ」
まぁ、俺も一緒に行くし、と俺は付け加える。
「本当にジュース買うだけだから……ユウキだってカレー食べたいって言って叶ったんだからさ。いいでしょう?」
「……」
温海はしかめっ面のまま唇を結んでいた。
車内灯に、かけていたメガネがきらりと光り。
一緒にいるユウキやおじさんにも緊張が感染る。
「まぁ、いいんじゃないんですかねぇ。死ぬんだったら……未練がない方がいいし」
「うん。いいと……思うけど」
しばらくして。
「青年はそれを認めたってことよね?」
温海が俺に問いかけた。
「まぁ……そうだけど」
成り行き上、返事をする俺。
やがて温海がため息をついた。
「わかったわよ……青年が言うなら仕方ない。もともと、この計画の決定権は管理人であるあんたにあるわけだし。私一人反対しても……仕方ないし」
意外な反応だった。
自分しか考えてないような温海が俺(というか管理人)の意見を尊重するなんて。
よし、とガッツボーズをするroze。
そんな彼女に温海はぬかりなく釘を刺しておく。
「ちゃんと戻ってくるんでしょうね」
「もちろん」
「なら、とっとといってらっしゃい」
しっし、とネコを追い払うように温海が手を振った。
それに呼応するようにrozeが踵を返し、後部座席に飛び込む。
隅に置いてあったスポーツバッグから長方形の財布を取り出すと。
大切そうに両手で挟んで、俺の方へと戻っていく。
「行こ」
行こ、って……言われても。
その財布でかくないか?
「山道歩くから……両手空いてた方が安全だと思う、けど」
「いいじゃん。あたし、貴重品は目の届く所にないと不安なの」
やれやれ。
しょうがないなぁ、と思いつつ、俺はrozeのあとに続こうとする。
と。
ぐるっと車内を見渡していたのはユウキだった。
「そっか。二人が帰ってくるまで時間空いちゃうんだ……何していよう」
運転席の側にあるものに注目する。
「テレビ見てていい?」
そう言ってユウキは前の座席に陣取った。
車のキーを30度ほどひねり、車内の電源だけを入れた少年は。
体を少しずらして、カーナビのボタンを適当に押す。
画面に砂嵐が現れた。
砂の隙間から人の姿がかろうじて確認できる。
そして。
<今日の夕方、Y市で男性が死亡しているとの通報がありました。死亡していたのはこの家に住んでいたミヤマショウザブロウさん83歳で、胸に血を流していたことから殺された可能性が高いと思われます。また、被害者と同居していた孫が事件後、行方不明であることから警察は慎重な捜査を進めています……>
車から降りる直前。
そんな声がしたものだから俺はびくっ、としてしまう。
「ねぇ。Y市ってここじゃなかったっけ?」
「そうよ」
ユウキの質問に答えたのは温海だった。
さっきの事なんてすっかり忘れた、というような声。
「でもパトカーのサイレン聞こえないから、だいぶ離れた場所じゃない?」
「こんな土地でも殺人事件があるなんて」
物騒ですねぇ、とおじさんは俺とrozeに振ってくるものだから。
俺は黙り込む。
行こうか、とrozeの背中を押した……
後ろを振り返らずに。
現実から目をそむけた。
そして、俺は彼らに出会うまでの道を。
今度はrozeを引き連れて戻っていく。
途中、斜面を登る場所があった。
騒ぐ落ち葉に時々足下を取られそうになった俺。
そのへん滑るから気を付けろ、と声をかけようとするが。
「うわっ」
その前に、rozeは俺の視界から消えていた。
……言葉も出ない。
やがて、起きあがった彼女から悲痛の声が広がる。
「あーっ。財布汚れてるーっ! これ、高かったのにぃ」
だから最初に言っただろう、と俺は思うけど。
ふと、違和感を感じる。
そういえば。
さっきまで温海しか居なかった車内。
スポーツバッグから出しておきながら、あの台詞。
まさか……
「ねぇ」
一方で、地べたに座り込んだrozeは憮然とした顔をしていた。
上目遣いで俺に何かを訴えてるようだが。
「何……か?」
今回だけは分からず、つい、聞き返してしまう。
「だーかーらー。こういう時って普通、男が手を貸すものじゃないの?」
ああ、そういうことか。
「ったく、気が利かないなぁ」
我が儘娘は引き上げろ、と言わんばかりに手を伸ばしてきた。
日に焼けていない、白い肌。
俺は渋々彼女の手に自分の手のひらを重ねるが。
「!」
握った一瞬、俺の中で悪寒が走る。
無意識にのけぞり、俺は彼女の手を離してしまった。
俺に体重をかけていたrozeは、見事に地球の引力にやられてしまい。
うわ、さっきと同じ声が耳を突き抜けた。
「ちょっと! 何やってんのよ」
「ああ……ごめん」
本当、無意識だったんだ。
俺はあらためてrozeの手首を掴み、彼女の体を起こしてあげる。
今度は転ばさないように、先を歩かせた。
自分が踏み倒した草や土のあとを頼りに歩き。
最初に選んだ死に場所を通過する。
更に進んで。
やがて……森の終わりがやってきた。
車が一台しか通れない道。
遠くにぼんやりと灯された外灯。
「相棒」は暗闇の中にたたずんでいた。
白い乗用車。
「ち・380」のナンバー。
これが俺の愛車だ。
二年前に免許を取った後、すぐ購入して(中古だけど)
足回りが良くて、俺にぴったりの車。
俺はいつも相棒、と声をかけていた。
何てことだろう。
さっき、今生の別れを惜しんだばかりなのに。
カッコ悪い……また、戻ってきてしまった。
でも相棒はそんな俺を何も言わず迎えてくれる。
rozeは俺の相棒を見るなり、
「嘘つき」
とつぶやいた。
怖い声で言われたものだから、え? と聞きかえすけど。
はっとする。
まさか……さっきのニュース。
何か、気づかれた?
「な、何のことかなぁ?」
「とぼけないで」
rozeが俺を見上げる。
じっと見つめられるのに慣れてないせいか、俺の目が泳いでしまう。
そんな……ボロが出ないようにしてたのに。
鼓動が早まる。
落ち着け、と自分の中に言い聞かせ、rozeの言葉をじっと待つ。
「『俺の車』って言ったくせに……これ、レンタカーじゃん」
「へ?」
俺は間抜けな声をあげてしまう。
rozeが車のナンバーを指した。
「地元ナンバー。管理人、今まで東京以外に住んだことないってwebに書いたくせに」
品川でも練馬でも足立でもない、そう、rozeがぼやく。
どうやら、rozeは車検の地域名だけを見てレンタカーだと思いこんだらしく。
「ひらがな」の意味までは気づいていない。
……つくづく心臓に悪いと思う。
「あ、そうそうそう、そーなんだよ。ちょっとカッコつけたくて」
わざと明るいトーンで答える俺。
話を合わせてごまかす。
こんな時までカッコつけてどーするのよ、と。
rozeの呆れた声が夜の道を駆けめぐった。
|