「管理人さんはどうして死にたいって思ったの?」
はじめに聞いてきたのはユウキだった。
カレーのかかったごはんをごくりと飲み込んだ俺。
さっき、あれほど作戦を考えてたはずなのに。
いざとなると戸惑ってしまった。
こういう不意打ちは本当、心臓に悪い。
第一……俺は嘘をつくのが得意ではないのだ。
「ちょっと、お互いの事情には干渉しないって話でしょ?」
相変わらずユウキには厳しい温海。
だが、俺にとっては救いの手だった。
大人の威厳にユウキがたじろぐ。
それでも。
「そうだけど……管理人さん、自殺なんて考えなさそうに見えたから。掲示板でストレス解消しているような……そんな感じ? だから掲示板に『死にたい』って書いてあって、びっくりしたんだ」
本物と、俺の描いた管理人のズレを感じ取ったのだろうか。
ユウキの鋭さに一瞬焦る俺。
「その……掲示板にも書けないほど、辛いことがあったのかな、って思って」
その言葉に、揺れた。
俺を上目使いでみるユウキ。
ちょっと縮こまった感じは、小動物を思い起こさせる。
とはいえ……本当のことは言えるわけがないわけで。
温海の言葉を理由に黙りこもうとも思った。
でも。
「……信じてた人に酷いこと言われてたから、かな?」
俺はいつの間にか答えを口にしていた。
「何て?」
しばらく考え。
俺は過去に言われた中でワーストワンを勝ち取った台詞を思い出す。
ほんの少し前の記憶が引き出される……
「お前なんか生まれてこなければよかった。生き恥さらすならとっとと死ね、って」
あの時、言った本人は俺に向けて言った言葉じゃないのかもしれない。
けど、まるで自分に向けられたような強迫感を感じて。
俺は……
「ひっど。あたしだったらぶっ殺してるかも」
ノスタルジックな脳内で、rozeの言葉が走り抜けた。
それは現在へと俺を引き込んでいく。
実際にそのとおりになってしまったぶんの、何とも言えない気分と一緒に。
口に残ったカレー味がちょっとだけ、苦い……
俺の言葉を聞けたせいか、
「管理人さんの気持ち……分かるよ。僕も、ずっと言われてたから」
ユウキの緊張がふわりととけた。
少年の柔らかい猫っ毛が小さく揺れる。
安堵、とも呼べる表情。
そう、彼は今まで笑顔を浮かべながら、どこかおどおどとしていた。
そこからやっと、解放されたのかもしれない。
ユウキがここに来た理由は。
最初から、なんとなく想像できた。
この年頃の少年が抱える悩み。
それは――
「ユウキって……もしかしてイジメられてた?」
rozeが問いかける。
ユウキがこくりと頷いた。
「最初は無視された。関係ないフリしてようって思ったけど、そうしたらよけいに一人になっちゃって。怖かった。人はいっぱいいるのに、自分だけ一人なのがたえられなかった。
だから、『嫌い』って言われたら自分の悪いところも直すようにして。『キタナイ』って言われたら流行に遅れないように身だしなみだってきちんとした。
学校嫌だったけど……卒業するまではなんとか頑張ろうって思って。でも……」
自習時間、先生のいない教室で「裁判」が開かれたという。
被告人はユウキ。
原告である「彼ら」はさも被害者ぶってユウキを責めた。
ユウキの持ったもの全てが腐るから困るだの、笑う顔が気持ち悪いだの。
彼らはありもしない事を訴え。
しまいにはこの世界にいること自体が間違いなのだと笑った。
弁護士の存在なんて、最初からなかった。
判決は「死刑」
彼の周りは「死ね」のコールがこだまし、机には花が置かれ。
縄跳びの縄が首に巻きつけられた。
ケラケラと笑う彼ら、遠巻きに傍観するだけのクラスメイト。
先生にバレるようなヘマなんて彼らはしなかった。
全てが敵であり、絶望。
それがユウキの「今」を決定づけた。
だから。
少年はイジメから解放されるために「死」を選んだのだ。
ユウキの瞳から涙が流れていた。
音もなく。
「ごめん、こんな所で泣くつもりなかったのに。親とかにも全然言ってなかったから。言ったら何か安心しちゃって……こんなつもりじゃなかったんだけど、な」
着ていたパーカーの裾でぐしぐしと涙を拭くユウキ。
だが、涙は止まらない。
無理もないと思う。
ずっと心の奥にしまっていたものをようやく吐き出せたのだから。
だが。
「そんな『本当は死にたくないのに』って顔しないでくれる?これからって時にスパっといけないでしょうが」
温海の言葉がその雰囲気をすっぱりと切り落とした。
rozeがキッと睨みつける。
「温海さん」
さすがのおじさんも恐る恐る……温海をたしなめる。
が。
「別に。私は本来の目的を忘れないでほしいだけよ」
温海は二人の視線も何のその、堂々とした口調で切り返すではないか。
先に行ってるから、とくるりと踵を返した温海。
そのまま車の中へと入っていく。
結局、彼女は自分の作ったカレーを食べることはなかった。
「何あれ。感じ悪っ」
rozeが眉間にシワを寄せたまま言葉を吐く。
「オバサンのヒステリーって最悪。あの人更年期障害なんじゃない? あんな言い方しなくても……」
rozeはそれ以上小言を口にすることはなかったが。
きっと内側でメラメラと燃えていたのだろう。
まあまあ、となだめようとしたおじさんが、rozeの顔を見た瞬間、びくっ、と体を揺らがせた位だから。
そうとう怖い顔をしていたに違いない。
これが原因でいざこざがなければいいのだが……
とりあえず、この計画がポシャらないようになんとかした方がいいのかもしれない。
「なぁ、ユウキ」
俺はユウキに問いかける。
たわいもない会話で周辺の空気を和ませようとする。
「ここに来るのに、親の目盗むの大変だったんじゃないか?」
「別に……友達の家に泊まるって嘘ついてきたから。親も仕事で家にいないから、抜け出すの簡単だった」
鼻をぐすぐすしながら、それでもユウキは答えてくれる。
「へー。親って何してるの?」
「……」
俺の質問に少しためらってから、ユウキはもごもごと口を動かす。
恥ずかしそうに。
「……芸人」
「え?」
「『福笑』って、知ってる?」
ユウキの台詞にrozeがくるりと振り返る。
福笑って、ここ2〜3年前に出てきた飛ぶ鳥を落とす勢いの夫婦漫才師ではないか。
身内の葬式に本妻と愛人が大激突とか、夫婦ゲンカの仲裁人を病院送りにしちゃった話とか。
自分の不幸をネタにした自虐さが受けているという……
親が芸能人の発言に、真っ先にrozeが食いついてきた。
さっきの怒りなどすっぱり切り捨てて(切替え早っ)あんたの家すごいじゃん、そう褒め称えた。
「そう、かな?」
「っていうか意外。そういう家の子って人気者になるような気がするんだけど」
「そうかもね……でも」
僕、親みたいに笑いは取れないから、とユウキは言う。
さすがにrozeもはしゃぐのを止める。
「そっ、か……まぁ、ユウキが死んじゃったら『福笑』のイメージダウンになる、んだよね」
「どうだろ? 僕が死んでもネタにされるのがオチだと思うけど」
「……全然ありえそう」
「まぁ、僕も最後くらい笑える死に方ってのを考えていたんだけどさ。でも……僕にはボキャブラリーってのがないみたいで」
そう、困ったように笑うユウキだが。
十分あるだろうと思うのは俺だけだろうか。
普通、死ぬ直前に他人を巻き込んでカレーなんて作らないだろう?
おかげで俺が釣れちゃって、しかも殺人犯で。
……もちろん秘密だけど。
「でも、やっぱり泣くのかな? 僕がいなくなっちゃったら……」
「ユウキ……」
rozeの声が消え入った。
「ウチの親、あんなことやってるけど本当はすごい泣き虫なんだよね」
ユウキがうつむいた。
地面に足で線を描き、何度も往復する。
俺も返す言葉がなかった。
自分がいなくなった後の世界。
それは誰もが考えていながら口にしなかった言葉、なのかもしれない。
言ったらきっと、淋しくなるから……
今ならわかる。
温海の言葉はキツかったけど、確かに正しい。
自分の意志を貫くのに、迷ってなどいられないのだ。
でないと、現実に押しつぶされる。
死ぬよりずっと辛い地獄が待っている。
だから絶対に迷わないようにと皆、この方法を選んだはず――
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