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 予想通り、カレーの香りはそこから放たれていた。
 鍋の中をかき混ぜているのは髪をひとつに束ねた女性。
 かけている眼鏡が曇っていて。顔の表情は見えないが。
 年は頑張って見ても三十代、と見た。
 黒い服を着ているものだから魔女っぽく見えてしまう。
 その側では少年が料理ができるのを今か今かと待っていた。
 こっちはくりくりっとした目をした、某アイドル系グループのいでたちを思わせる少年。
 黄色のパーカーに迷彩色柄のズボン、こっちはいい意味で違和感がないのだが。
 気になることがひとつ。
 七輪の上にカレー鍋って……どういう調理法してるんだ?


「なんでレトルトとかコンビニのにしなかったの? あっちの方が簡単だったのに」
「あーゆーのは慣れているからイヤだったんだもん……最後くらい手作りの食べたいじゃん」
「全部消化するのに最低一日、最悪三日かかるのよ。何考えてるの?」
「だって……」
 少年が口をとがらせる。
「だって僕だけ来年の林間学校行けないんだよ。キャンプファイヤー……やりたかったけど、できないんだよ? 思い出くらい作らせてくれてもいいじゃん」
「んなの今更作ったって意味ないし。というより、何で私がこんなの作らなきゃならないのよ」
 ねちねちと不服を訴えている女性はめんどくさそうに鍋をかき回す。
 少年はしゅんと縮こまってしまった。
 なんて大人げないことを言うのやら。
 俺は苦笑する。


「まぁまぁ。食べる食べないはみんなの自由ですし。終わっちゃえばそんなの関係ないですから。ごはん、できましたよ」
 そう言ってレトルトの袋をもってきたのは、ロマンスグレーな髪を持つ男性。
「これ、便利ですねー。水だけでごはんができるなんて」
「それ、僕がみつけたの」
 一発逆転、少年の顔がぱあっと明るくなる。
「そうですか」
 にっこり笑う男性。
 齢50ン歳というところか。
 着ているスーツがしわくちゃで、年季というものを感じてしまうが。
 正直、夜の山奥にこの格好は異色である。
 そして異色な格好の人がもう一人。


「ねぇ。ごはん食べるんだったら一日延ばそうよぉ」
 四人目は舌っ足らずな声の持ち主だった。
 肩につくかつかないかの髪。
 上目遣いに人を見上げる姿。
 裾が長い白のニット、緩く結んだ首もとのリボン。
 見るからに学校帰りな少女だ。
 彼女は倒れた丸太に座っていた。
 時々足を組み替え、パステル色の携帯をいじっているが。
 その前に、俺はスカートの短さにくらっとしてしまう。


「あたし最近便秘だから食べたほうが大きいのでるかも。そしたらこのむくみも消えちゃうよね?」
「うげ、これから食べるって時にそんな話しないでよー」
 少年が胸元に手をあてて顔をしかめる。
 俺の顔もしかめっ面になる。
 想像しそうになって……あやうく声を漏らしそうになった。
 あわてて自分の口をふさぐ俺。
 自分で自分を落ち着ける。


 彼らは一体何者なのだろう?

 家族でキャンプに来た……にしてはどうも不自然すぎる、ような。


「それにしておじさん。カレーにコーヒー入れて大丈夫なの? あたし、初めて聞いたよ」
「隠し味に使う人、多いみたいですよ。コクが出るって、私の家ではいつも入れてましたけど?」
 おじさんが得意げそうに語る姿に俺は釘付けになる。
 鍋のそばに置かれたインスタントコーヒーの瓶。
 ずっと探していた答えがそこにあって。


「そうだよ!」
 コーヒーだよコーヒー。
 俺の口から思わず声がこぼれた。
 意味もなく太ももを二回叩く。
 もやもやした心も、ムカムカしていた胃もその一言ですっかり吹き飛んだ。
「そうか、コーヒーか……」
 一人で勝手に頷く。
 興奮がなかなか冷めなかった。
 これで心おきなく成仏できる、と思ったのもつかの間。
「あ」


 しまった。


 俺を見つめる4組の瞳。
 その中に俺がすっぽりと収まっていた。
 やばい。
 遠くからこっそりのぞくだけのつもりだったのに。
 うっかり声をあげてしまったばっかりに……


「あんた……誰?」
 不審者を見るような目で少女が声をかける。
 車のライトが逆光になっているせいか、まぶしそうに目を細めていた。
 それを瞬時に悟った俺は自分の着ていた上着を脱ぎ捨てた。
 自分の立場がばれないように。
 だが、その先どうごまかすかなんて考えていない。
「誰?」
「あの……俺は」
 顔がひきつる。
 まさか自殺しにきました、なんて言えるわけがない。
 どうしよう。
 と、その時。
 目に入ったのは<私有林>と書かれた看板。
 これだ!


「俺、管理人です。ここの」
 とっさに嘘をつく俺。
 適当にごまかして退散するつもりだった。
 意味もなく腰に手をあてて威張ってみる。
 だが。
 反応は薄い。
 あれ?
「あ、のぉ……」
 もう一度声をかけてみるものの。
 その声はあっという間に森に消えていく。
 彼らの神妙な面持ち。
 沈黙がやけに重く感じる。
 やっぱり……バレたのだろうか?
 ゆっくりと、おじさんが近づいてくる。
 緊張が、張りつめる。
 そして。


「あぁ、管理人さん。待っていたんですよぉ」
 おじさんの満面の笑顔が広がった。
「いやぁ、なかなか来ないから心配してたんですよ」
 ぽんぽん、と肩を叩かれる俺。
 な、何だ?
 待っていた……って。
「道が混んでいたんですか? それとも身の回りの整理に時間がかかった、とか」
「はぁ?」
 おじさんの言っている意味が分からない。
「なにー? この人が管理人?」
 近づいてきた少女が俺をまじまじと見上げる。
 くっきりとした二重まぶたが上下に動いた。
「掲示板じゃいつも過激なこと書くからどんな奴かと思ったけど、意外と普通じゃん。顔は好みじゃないけど」
 いや、俺にとってはあなたの言葉の方が過激……というかキツイかも。
「へー。書く内容と人相って必ずしも一致しないんだね」
 少年は興味深そうに俺の周りを一周する。
 隣では女性が、
「私はてっきり逃げたかと思ったわ。そういう奴って肝が小さいのかと思ったけど……青年、あんたは違うみたいね」
 と、感心したように頷いていた。
 ? ? ?
 何だ? この歓迎ぶりは?


 俺は困惑を隠せずにいた。
 だがおじさんの、
「これでみんな心おきなく成仏できますね。よかったよかった」
 という言葉に俺の思考が一時停止する。
 言葉を巻き戻す。
 今、成仏って言っていたよな?
 自分が少し前に言ったような言葉にまさかと思う。


 もしかして、もしかしなくても。


 ガムテープで目張りされた車のサイドガラス、七輪にくべられた練炭。
 そして掲示板。
 彼らにとって「管理人」が意味するもの。
 俺は彼らの姿を改めて見据え。
「はは……」
 口元がゆがんだ。
 ……何てことだ。


 俺は「お仲間」と遭遇した……らしい。


               
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