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 6 本当のやさしさ

 中間テストが一週間後に迫っていた。
 部活動の縮小がかかった今、放課後の昇降口は生徒で溢れていた。
   あたしはその中をすり抜ける。
 もやもやとした気持ちのまま、上履きを靴に履き替える。
 のろのろと校門までの道を歩いていた。
 途中、中庭を横目で見送りながら。
 聡さんは、いない。
 それがいいのか悪いのか、正直自分でも分からない。
 ため息がこぼれた。
 ……ちりん。
 涼しげな音に体が反応する。
 鈴の音、だろうか。
 何となく気になって振り向いてしまう。
 すると……
「あ」
 神崎君が、いた。
「今……帰り?」
「そう、だけど」
 うわ、いやなタイミング。
 こんなトコ、里美に見られたら……
 反射的に辺りを見回すけど、里美の姿はないようだ。
 ちょっとだけ安心する。
「ひとりなの?」
「まだ明るいし……ひとりで大丈夫」
「そっ、か」
 神崎君が残念そうな顔をする。
 顔を見ていられないあたしは、そっと目をそらした。
 自然と神崎君のバッグに付いている鈴に目がいく。
 あたしが聞いた音はどうやらこれのようだ。
 鈴はつけてからだいぶ時が経っているのか、金のメッキが半分以上削れている……
「髪。最近きっちり縛っているんだね」
「まぁ、ね」
 ぎこちない返事しかできないあたしがそこにいる。
 不安だけが募っていく。
 聡さんの……せいだ。
 聡さんの言葉はあたしにひどくショックを与えた。
 結論を出すのはあたし。
 逃げてもお互い辛くなる、だから正直に話すべき。
 確かに、そうかもしれない。
 神崎君の告白を断れば、もしかしたら里美と仲直りできるかもしれない。
 里美を裏切れば、神崎君はあたしを大切にしてくれるかもしれない。
 答えを出すのは大変なようで……本当は簡単なのかもしれない。
 けど、そうしたらもう聡さんは会ってくれないような気がした。
 このままではいけないのは分かっているけど。
 その一方で聡さんが離れてしまうのはイヤだと、思っている自分がいる……
 心が、揺れていた。
「明日美さん?」
 現実に引き戻される。
 神崎君の声にはっとする。
 胸の鼓動は早いままだ。
「な、何っ?」
 声が裏返る。
 あたしのあわてぶりに神崎君は心配そうに、
「何か、思い詰めた顔してたけど」
 と聞いてくる。
「そ、そーかなぁ? 気のせいじゃない?」
「ならよかった」
 慌ててごまかすあたしに心から安堵する神崎君。
 その笑顔にあたしの心がちくりと痛んだ。
 やっぱり……聡さんの言うとおりなのかも。
 あたしは自分の気持ちを正直に話そうと思った。
 あたしは意を決し、神崎くんの名前を呼ぼうとする。
 が。
「お姉さん……」
 直前になって神崎くんがつぶやいたものだから、あたしはずっこけそうになる。
「え?」
「この間、お姉さんがウチの店に来てたよ」
「ああ……そう、みたいだね」
 何てこったい。
 あたしの気持ちは声に出す前に空振りしてしまった……
「ちょうど髪切り魔の被害にあった人がウチの店に来て、事件のこと色々聞いてたって。明日美さんのこと心配だったみたいって母さん言ってた。いいお姉さんだね」
「それは……どうなんだろ」
 思わず否定したくなる。
 単にミステリーバカな姉、と言いたいところだが、やめとこう。
「でもいいよね。きょうだいって」
 神崎くんが静かに微笑む。
 澄んだ瞳は遠くを見つめているかのようだ。
 ちりん、と鈴が軽やかに鳴る。
「神崎くんはきょうだい、いるの?」
 あたしの問いかけに神崎くんは困ったような顔をした。
「姉ちゃんがいたけどね。今はひとり」
「何で?」
「それは……」
 ふと、神崎君の声が途切れた。
 正門の前に大人の男性が2人いたからだ。
 あたしはあ、と声をあげる。
 2人のうちの1人は、刑事さんだったから。
 と、いうことは。
「何か……用ですか?」
 刑事さんにかけよるあたし。
「今日は明日美さんではないんです」
「え?」
「木下里美さんに、話を伺いたくて来ました」
 それ、って?
 刑事さんの視線があたしから離れる。
 門から出てきた里美を彼らはじっと見つめていた。
「何、ですか?」
 警戒心を強める里美。
 刑事さん達は自分の身分を明かすと、あたし達にしか聞こえない位の声でこう言った。
「明日美さんの側に落ちていたハサミから、貴方の指紋だけ検出されました」
 里美の強ばった顔が蒼白になる。
 うそ。
 あたしは言葉に詰まる。
「よければ警察で話を伺いたいのですが」
 そんな……まさか。


 吉田先生に助けを求めたのは神崎君の考えだった。
 こんな時に呼ぶのはシャクだったけど、あたし達にどうすることもできないのが現実だった。
 先生の気転で里美が警察に連れていかれることはなんとか免れたけど。
 学校の応接室で、里美は警察の人と話をすることになった……

 ――美香が屋上にいるのは分かっていました。
 何かイヤなことあったとき、屋上で空を見上げるのが癖だったから。
 ハサミは家庭科室に置いてあったのを持ち出しました。
 神崎君が褒めたその髪を切ってやろうって……本気で思いました。
 でも……できなかった。
 あの子ってば熟睡してて、無防備なんだもん。
 そしたら、自分のやろうとしていることが怖くなって…逃げて。
 ハサミはその時、落としたんです。
 そのまま美香を置いて帰りました。
 本当です。
 詳しい時間は分からないけど……日が沈む前でした。
 気が付いたこと……階段で誰かに会いそうになったんで連絡通路から遠回りしました。
 そういえば……音を聞いた、ような気がします。金属がぶつかったような……よく響いた音でした>

 そう、里美は泣きじゃくりながら話していたという。
 隣の会議室にいたあたしと神崎君はその話を刑事さんから聞くことができた。
「その後、別の教師が昇降口で木下さんを見たと証言しています。彼女の話が本当かどうか、もう少し聞いてみないと分かりませんが、ハサミの件だけは嘘でないと思います」
「そう、なんですか?」
 あたしが手に汗を握る思いでいる中、刑事さんは淡々と自分の話を進めていく。
「家庭科室に行って先生にも確認しました。共用で使っているものに間違いないそうです。最近授業中に持ち出してそのまま返さない生徒がいるそうで、ハサミは事件当日に箱ごと下ろしたばかりだとか。木下さんはそこから一本抜き取ったのでしょう」
「だから指紋が里美のだけだったんだ……」
「結局、髪切り魔が使っていたハサミとメーカーが同じなだけで、直接事件とは関係ないことになりますね。彼女が明日美さんを階段から突き飛ばしたかどうかは分かりませんが……」
「そうですか。でも明日美の階段からの転落と髪切り魔事件は無関係、ってことですよね」
 先生の問いかけに、刑事さんはまぁ、と言葉を濁す。
「だったら……あたしの事はもう終わりにして下さい」
 もともと被害届も出してないし、とあたしは続ける。
 事件の事をこれ以上詮索されたくなかった。
 里美の言葉を信じたいから。
 もう誰かがあたしを突き飛ばしたなんて……考えたくない。
 しばらくして先生もそうだな、と同意する。
 けど、今まで話を聞いていた神崎君は、
「明日美さんのことと髪切り魔、全て無関係とは言えないと思う」
 と、意外な言葉を口にした。
「どうして……?」
「おれも木下さんは嘘ついてないと思う。でも、気になるんだ」
 気になる、って。
「刑事さん。木下さんが聞いた金属音というのは……誰かが身につけていた何かの音、なんですよね?」
「おそらく、そうだと思うけど?」
「あの。この間母が髪切り魔の被害者に会ったんですけど……その人も金属音を聞いたって言っていたそうです。もしかして木下さんが聞いたのと同じ音なんじゃないですか?」
 神崎君の指摘に刑事さんは言葉を失う。
 参ったな、というような顔をする。
「……確かに髪切り魔の被害者にあった子達はみんな、金属音を耳にしたと言っています。マスコミには公表してませんが。彼の言うとおり、木下さんが聞いたのも同じものかもしれません」
「じゃあ明日美が髪切り魔と接触した可能性も……校内に髪切り魔がいる、と?」
 刑事さんは頷かなかったものの、言葉の流れを想像した先生は息を呑んだ。
 あたしはぞく、と寒気を憶える。
 まさか……お姉ちゃんの推理が当たるなんて。
「よく響いた金属の音……」
 先生は里美が言った言葉を繰り返す。
 顔が厳しいものへと変わっていく。
 刑事さんがあたしを見て、
「思い出しました?」
 と聞いてきた。
 もう何回聞かれただろう?
 その期待を裏切ると思うと……気分が沈みそうだ。
「すいません。まだ記憶が空っぽです」
「そうですか……」
 自分のふがいなさに嫌悪しそうになったけど。
「まぁ、仕方ないですね。気長に待ちますよ」
 刑事さんの言葉に少しだけ救われた……あたし。
 刑事さん達が応接室から去っていく。
 取り残されたあたしは、欠けてしまった親友の事が気にかかっていた。
「里美は?」
「情緒不安定になっていたから保健室に連れていった。木下は俺が家まで送っていくから、お前らも帰れ。神崎、明日美を家まで送ってってくれ」
「はい」
「悪いな」
 先生が神崎くんの肩をぽんとたたく。
 先生の真剣な面持ちが、不思議と安心感を持たせてくれた。
 嫌いな先生でも、こういう時頼りになるって思ったことはない。
 感情抜きで思い知らされた……あたし。
「お願い……します」
 あたしは素直に頭を下げた。
 そして。
「先生、帰る前に里美に会ってもいいですか?」
 あたしは先生にそうお願いしたのだ……

               
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