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「おう明日美。最近服装検査にひっかからないと思ったらこんなとこにいたのか」
 学校に着くと、そこには意外な人が人が待っていた。
 「あたし」にとって天敵に近い吉田先生。
 イヤミというか陽気な口調だった。
 この間みたいなおどおどした様子はない。
 しかし、なんでここにいるのよ。
 服にお酒のにおいがしみついているし。
「昨日飲んでそのままウチに泊まっちゃったんだ。夫婦ゲンカして帰るとこがないらしくて……」
 ぽつ、とあたしに耳打ちする聡さん。
 あたしの気持ちを知ってか、すまなそうな顔をしている。
 聡さんにお酒臭さは見あたらない。
 この差って一体……
 それにしても、ケンカの原因って何だろう?
「何でも、娘が結婚するときは教会式か仏前式かでもめたんだって」
「はぁ?」
「娘さん、まだ小学生だってのにね」
 ばかじゃん。
 あまりにもくだらなすぎて、笑う気も起きない。
 その先生はというと。
「ったく、何が教会式だ。寺の娘に生まれたからには仏前式が当たり前だろうが」
 未だに奥さんへの皮肉をぶつけてる。
 いや、親の意見を子供に押しけるのもどうかと。
 それ以前にお坊さんってのもどうか。
 先生がお経を読んでいる方姿が想像できん。
 あたしは不審者を見るような目で先生を見てしまう。
 先生はそんなあたしと聡さんを交互に見ながら、
「にしても、小川君は明日美と仲がいいとは。まさか、手を出していいことてるんじゃないだろうねぇ」
 にやりと笑う。
「なっ」
「小川君、だめだよぉ。こーんな子供に手を出すのは。そーゆーのをロリコンって言うんだから」
 このオヤジ……酔いが冷めてないのかっ。
 側にある散水ホースから流れる水をぶっかけたくなる。
 けど、聡さんは冷静だった。
「そんなこと言っていいんですか。吉田先生。たしかあなたも年下の教え子と結婚したんでしょ? 昨日言ってたじゃないですか」
「……そーだった」
 自分で墓穴を掘ったことに気づく先生。
「何でも教え子の方からアプローチをかけてきたって、自慢してませんでした?」
「げ。信じらんない」
 あたしは先生をまじまじと見つめる。
 こんなおっさん臭い人を好きになるなんて、一体どんな物好きが……
「失礼だな。昔は爽やかさが売りだったんだよ」
 あたしの心を察したのか、心外だというような顔をする先生。
「それにカミさんはすげー可愛かったんだよっ」
 と、開き直ったようにいうけれど。
 それってさりげなくノロけてないか?
 ……さすがに先生も恥ずかしくなったらしい。
 先生は少女の像の頭ををぽんとたたき、
「これ、最近作られたものなのかねぇ……中庭見るたびに気になってて」
 と、わざと話題をそらした。
 逃げに走ったな、あたしはこっそり思う。
「ああ。去年の卒業記念品らしいですよ。先生は四月にD中から転任されたばっかりでしたっけ?」
 聡さんがあたしに聞いてきたので、あたしはうなずく。
 あたしの胸の高さほどの彫像は相変わらず微笑みを絶やさずにいる。
「こんな吹きさらしの場所で、すぐに倒れやしないか?」
 先生は普通ついているはずの台座がないことが気になったらしい。
「ああ。これ、水道なんですよ」
 そう言って聡さんは少女の手首を指す。
 そこには直径二センチ弱のくぼみがブレスレットの装飾に違和感なくついている。
 聡さんは腰に下げている紐付きの鍵を先生に見せた。
「ここに水道の鍵を差し込むんですよ」
「そうか。ブロンズって中が空洞になっているから……管を埋め込んであるのか」
「普段は開けないんですけどね。最近水撒きの仲間ができたので」
 そう言って聡さんはあたしに微笑む。
 うわ、そんなやさしく笑うなんて。
 あたしは急に恥ずかしくなってしまった。
 他人の目の前だからだろうか?
 あたしは照れ隠すように、
「水撒くからどいて下さい」
 と先生を追い払ってしまった。
 自分の持っていた水道の鍵を少女の手首に差し込む。
 無くさないようにつけた赤いリボンがふわりと揺れる。
「へーめずらしい」
 先生の含みをもたせた笑みがあたしの目に映る。
 何か、いやらしくも見えて腹が立ってくる。
 だが。
「で。手伝ってくれるかわりに僕が彼女の髪を結ってあげてるんです」
「は?」
 聡さんの言葉があっけなくその表情を壊してくれたのだ。
 絶句、って感じの先生は唇をわなわなと震わせる。
「結ってあげてるって、美容師でもないのに男に髪を触らせてるって……」
「はい?」
「怪しい。怪しすぎる。やっぱり二人でいいことしてるんじゃ」
「ちがうってば」
 先生の疑いの目にムキになるあたし。
「言っておくけど今は児童保護の条例があるんだからな。何かやったら小川君が罪に問われるんだぞ」
「何かやったらって……」
 ふと聡さんを見上げる。
 一瞬想像して、顔が沸騰したように赤くなったのはあたしが先だった。
「ばかっ! そんなことあるわけないじゃない」
「なっ……先生にバカとは何だ?」
「これってセクハラですよ。しかも暴力教師。捕まるのはそっちじゃない」
「まだ叩いたのを根に持ってるのか?」
「もちろん」
 はっきりというあたしに先生はがっくりとうなだれる。
「どうして女ってそう根に持つんだろうねぇ。カミさんといい、明日美といい」
「そういえば、先生、この間はやけにあたしに気をつかってくれたじゃないですか。あれ、何だったんですか」
「え……」
 あたしの質問に、急に先生の表情が変わる。
 まるで手のひらを返したかのように。
 さっきから表情がよく変わるなぁと思ってはいたけど。
「ああ、あれは……」
 その態度、なんか怪しい。
 ふっとお姉ちゃんの犯人説が浮かんだ。
 まさか……
 とその時。
 う、と変な声を聞いた。
 ブロンズの少女にもたれこむ先生。
 どうしたんだろう?
 答えはすぐにわかった。
 数秒後、朝からあまりいたただけないような声が、広がる。
 あたしは顔を歪めた。
 ……サイテー。
 これからあたしは朝ごはん食べるってのに。
「悪、い…水っ、出してく……うっ」
 悶絶する先生は教師もへったくれもない。
 ブロンズの少女が何だかかわいそう。
 あたしは聡さんと顔を見合せ、首をすくめた……

「まーったく、あれじゃご飯食べる気、なくしちゃう」
 じょうろを手にあたしはため息をつく。
 吉田先生は私の背中の向こうにいる。
 今も酔った分の嘔吐と戦っていた。
 じゃぶじゃぶと水道の水が滝のように流れる音がやけに響いている。
 やれやれ。
 水道がひとつ占拠されてしまったので、あたしは別の水道を聡さんと譲り合いながら使っていた。
 ホースを片手に聡さんは仕方ないよ、と言う。
「酒に酔えばよくあることだ」
 そりゃそうだけどさ、あんなトコでされてもなぁ……。
 あたしはたっぷりと水の入ったじょうろを草木の方にかたむけた。
 シャワーの口から水がしとしとと流れる。
 聡さんは静かだった。
 どことない、よそよそしさ。
 どうしたのだろう?
 まさか先生の冷やかしを気にしている、とか?
「聡さん」
「ん?」
「その……先生の言うことなんて気にしないで」
「何が?」
「だから髪を結うのがどうの、って……」
「ああ。別に気にしてはいないよ」
 ただ、と聡さんは続ける。
 しゅわわ、と水があわのような音をたてていた。
 そして、それに便乗するように。
「神崎君にきちんと返事したほうがいいんじゃないかな、って思ってただけ。君もおれとのこと、吉田先生みたく誤解されても困るでしょ?」
 言葉、つまった。
「このまま彼に気を持たせても不安だけを与えるような気がする。里美ちゃんともそう。逃げてもお互い辛くなるだけだ。答えは出そう。つきあいをするしないに関係なく、ね。けっして問題から逃げることはできないんだから」
「聡さん……」
「おれには君を元気にする手助けしかできない。結論を出すのは君だ」
 そう、はっきりと聡さんは言う。
 あたしのとまどった表情に、顔一つ変えない。
「きっと彼、君を大切にしてくれると思うよ。友達から少しづつ好きになっていく恋もあるだろうし」
 それ、って。
「おせっかいだったかな?」
 ふっと聡さんは笑みをのぞかす。
 けど、それははじめて遠く、感じた。
 あんたにそんなこと、言われたくない。
 心のすみでささやく声。
 でも言葉にできなかった。
 そんなことを言われた事が悲しくて、切なくて。
 今までにない気持ちに、あたしは戸惑いを隠せなかった。
「髪、結おうか?」
 ホースを片付けた聡さんがあたしに声をかける。
 変わることなくあたしに微笑む。
 それが、あたしには辛くてたまらない。
 そして。
 辛そうに見ている人がもう一人いたことに、あたしは気づくこともなかった……

               
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