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 5 秋桜

 翌日、あたしは早めに学校に行った。
 午前七時前。
 生徒はまだ誰もいない。
 もちろんこれは分かってた。
 けど、正門が閉まっていたのは計算外だ。
 頑丈な南京錠が人の出入りを拒んでいる。
 反対の裏門なら車通勤の先生達が使うから開いているかもと思うけど。
「めんどくさい」
 あたしは門をよじのぼる。
 プリーツスカートの中が通行人に見られないよう、細心の注意をはらって。
 うわ、ゆるくしばった髪がこぼれそう。
 それでも何とか門をのりこえたあたし。
 校舎の外をまわって校務員室へと向かった。
 外の窓からそおっと中の様子を伺うけれど。
「いない……」
 ドアも鍵がかかっている。
 早く来すぎたらしい。
 ま、いっか。
 あたしはドアの前に座り込む。
 買ってきた朝ご飯でも食べようと、バッグから紙パックのジュースを取り出す。
 朝ご飯にジュースだけってのも何だけど。
 ママってば、いつもより早く起きるのイヤだからって何も用意してないんだものなぁ。
 しかもご飯代すらくれないし……今月ピンチなのにな。
 あたしはママへの不満をストローを差し込む力に変換する。
 果汁百パーセントのジュースはあたしの体にすうっと染みこんでいった。
 と。
 ……どこからか水が流れる音がする。
 噴水なんてこの学校にはないのに。
 一体どこからだろう?
 誰かが水を出しっぱなしにしたのかな?
 気になったあたしはストローを口につけたまま、音の出ている方向へ向かった。
 連絡通路を飛び越え、校務員室に近い中庭へと。
 この学校の中庭は一年前に改装されたばかりだ。
 中庭の小道は縦と横の中心を走っていて、交差する中心には美術館にでもあるようなブロンズの彫像が建っている。
 少女が池の水を腰を曲げてすくいあげる姿。
 側には鳥や蛙がこぼれた水を今か今かと待ち受けている。
 少女は微笑みを絶やさずこちらを見ていた。
 その周りには彫像と同じ色をした一組のテーブルと椅子がある。
 彼らは雰囲気を壊すことなくたたずんでいる。
 ……音の原因はすぐに分かった。
「いた」
 あたしの口からストローが離れる。
 聡さんが花壇の草木に水を撒いていた。
 聡さんの持つホースからあふれる水に秋桜もうれしそう。
 あたしはいったんその場で止まり、深呼吸する。
 そして。
「さっとしさんっ」
 声をはずませて、名前を呼ぶ。
 Tシャツにジーンズ姿のお兄さん。
「やあ」
「おはよーございます」
 ぺこりとおじぎをした。
「どうしたの? 早いね」
「はい。あ、お手伝いしましょうか」
 そう言ってあたしは飲み干したジュースをテーブルに置く。
 聡さんからホースをひったくり、伸び盛りの草木や花に水をあげる。
 わき出る水が放物線を描きながら雨のように植物に向かって降っていた。
 わずかながらに虹ができる。
「聡さん、毎朝水あげてるの?」
「ああ。この学校には園芸クラブとかないから」
「大変だね」
「たいしたことはないよ。慣れれば楽しいことに変わる」
 聡さんに笑顔が広がる。
 あたしもつられて笑う。
「で、今日は?」
「へ?」
「おれになんか言いたそうな顔してる。そうでなきゃ、こんな朝早くに来ないかな」
 鋭い。
 聡さんは水道の蛇口を止める。
 水がしょぼしょぼとすぼまる。
「また何かあったの?」
「ううん。ただ……」
「ただ?」
「学校で冷静にしてられる自信がないんだ。この先、里美たちにどんな顔あわせればいいのかなって思って。それで」
 あたしは自分より背の高い聡さんを見上げる。
「聡さんにまた、髪を結ってもらおうかなって思って。そうしたら何か、あたしはあたしでいられるような気がするんだ」
 いい? とあたしは聡さんに聞いてみる。
 聡さんは少しの間、言葉を失っていた。
 そりゃ無謀な話だよね。
 聡さんだって学校の仕事がたくさんあってこんな朝早くから学校にいて。
 こんな死にそこないの中学生の相手をしてる場合じゃ……
「いいよ」
 え?
 聡さんの言葉に一瞬、耳を疑うあたし。
「そのかわり、頼んでいいかな?」
「何を?」
「花壇の水撒き、早く終われば髪を結う時間作れるから」
 にかっと白い歯をのぞかせる聡さん。
 その無邪気な顔があどけない少年のようで、一瞬まぶしく見える。
「だめかな?」
 あたしは首を横に振った。
 そんな、とんでもない。
「あたし早く起きて聡さんの仕事手伝う。水撒きでもなんでもするっ」
「じゃあ契約成立だね」
 そう言って聡さんは腰に手をあてる。
 落とし物袋の隣についている紐を手でたどった。
 フックに付いた何かを取り出す。
 それは少女の像と同じ色をした古時計のネジのような……
「ここの水道の鍵。予備だけど持っていて」
 聡さんは二つあるうちのひとつをフックから外し、あたしに差し出す。
 あたしは鍵を受け取るとポケットにしまった。
「こっちにおいで。結ってあげる」
 そう言って聡さんは校務員室に向かった。
 追いかけるあたし。
 思わず聡さんの腕をつかんだ。
 聡さんはあたしに微笑んでいる。
 それはあたしにとって何よりも安心できるのものになっていた……

***

   美香の様子がおかしい。
「ほんっと、最近起きるのが早いわねー。いったい学校で何をしてるわけ?」
「いいじゃない。学校に貢献してるんだから……あ、コーヒーちょうだいっ」
 そう言って「私」の飲みかけのコーヒーを口に入れた美香。
 ゆがんだ顔が広がっている。
 まだまだ甘いな、と思う。
 この苦さに耐えられなきゃ世間の波に流されるっての。
 朝六時前のリビング。
 両親はまだ起きていない。
 テーブルの上には教科書とノートが広がっている。
   椅子に座っていた私はテーブルにほおづえをつき、ぱたぱた動く美香を観察していた。
 いそいそ出かける姿。
 嬉しそうな顔つきはいやいや早起きしているわけではなさそう。
 しかも出かける時と帰宅する時で髪型違うし。
 ころころ自分を変えるのは目立ちたい、相手に良く見てもらいたい、って思いから?
 そうなると。
「男かぁ?」
 美容院の神崎くんかどうかは知らんけど。
 ばかばかしく感じて、思わずため息をつく。
 美容院、で早起きした目的を思い出す。
 切りたての髪に手をあてたまま、そーいやさぁ、と洗面所に入った美香に届く声で話をする。
「知ってた? この頃髪切り魔が出てないの。美香がケガしたあとからずっとよ」
「そうなの?」
「変よね。やっぱりあんたのことと関係があるのかしら?」
「まっさか」
 美香が鼻で笑う声が聞こえる。
「あの時のことなんか、あたしはなんとも思ってないよ。やっぱりあたしがボケてて転げ落ちたんじゃん。ハサミは偶然、そこにあったとか」
「そおかなぁ……」
「お姉ちゃんって偏屈だよね。もうどうでもいいじゃん」
 美香の発言に私は自分のことだろうが、と突っ込みたくなってしまう。
「あれから一週間、か」
 天上を見上げ、私は呟く。
 美香の件に関してはマスコミに漏れることはなかったから、髪切り魔が出なくなって実質二週間強だ。
 事件はこのまま風化されてしまうのだろうか。
 それとも……七年前の悲劇がまた起こってしまうのか。
 私は自分の髪をかき上げ、近い過去を思い出していた。
 三日前の土曜日。
 私は神崎くんの親が経営する美容院を訪れた。
 七年前の事実を確かめるために。
 でも、そこには意外な出会いが待っていたのだ……

 ――美香ちゃん大変だったって、子供から聞いたわよ。
 神崎君の母親はとてもさばさばとした人だ。
 ――病院に運ばれたって……ケガしたの?
 ――あ、でもたいした事ないですよ。もう学校に行っているし。
 ――ほんっと、物騒よね。
 ――最近は私達くらいの年でも犯罪起こしたりしてますからね……でも、おばさんの息子さんはしっかりしてるし。大丈夫でしょ?
 ――さぁ、どうだか。
 ――生徒会の役員しているし、気さくで男女関係なく好かれてるって聞いてますよ。きっと、おばさんに似たのかも。
 ――そう言ってくれるとうれしいわね。でも。
 子供との血の繋がりはないのよ、とおばさんはさらりと言う。
 あまりにも簡単に言ってくれたから、こっちが面食らってしまう。
 ――びっくりさせちゃったかしら?でも本当のことだからねぇ。まぁ隠してもしょうがないし……髪、少しすくわね。
 おばさんはざくざくとハサミを入れる。
 だが、その手つきは大雑把というわけではない。
 計算された上での緻密さが鏡越しに見える。
 気さくな会話をしながらも、髪を切る目は真剣だ。
 もしかしたらおばさんは年齢以上に人生の修羅場ってやつを乗り越えてきたのかもしれない、と思う。
 でなかったらあんなさっぱりと言い切ることなんてできない。
 技術といい人柄といい、他に美容院ができてもこの店はたくましく生き残るだろうな。
 ――ひとりでここを切り盛りしていたダンナと再婚してあの子のお母さんになったけど、本当に真っ直ぐに育ってくれて。怖いくらいよ。心の中に何かため込んでいないか、それだけが心配。
 仕上げに、私の襟足をそろえながら、おばさんは言う。
 ――まぁ、何かやらかしたら鉄拳ぶちかますつもりでいるけどね
 はは、と豪快に笑う声。
 私は愛想笑いで返すしかできなかった。
 おばさんは強者だ。
 これじゃあ男性陣は毎日尻に敷かれてるだろうなぁ。
 ――さ、できたわよ。
 そして私が財布を出した時だった。
 カラン。
 ドアにかけられていたカウベルが音を立てる。
 お店に入ってきたのはショートカットの女の子。
 学校帰りらしい、セーラー服を着ていた。
 年は私と同じ位……だろうか。
 ――和枝ちゃん。
 ――あの、この間カット代払わないまま帰っちゃったから支払いに来ました。
 ――あらぁ。いつでもよかったのに。
 ――でも休みの日に来て、いろいろ迷惑かけちゃったし……
 ――いいのよ。でも残念だったね。一年かけて伸ばしたのに。
 ――いえ……
 ――まぁ、髪はまた伸びるから……ああ、洋子ちゃん。この子も髪切り魔の被害者。
 まさかというかやっぱりというか。
 私の頭の中で何かきらきらしたものが走る。
 ――和枝ちゃん。彼女、洋子ちゃんの妹さんもこの間被害にあったばっかりなの。
 ――そう…なんですか?
 ――まぁ、妹の場合は未遂なんですけどね。
 ――でも美香ちゃんは階段から落ちたんでしょう?
 ――ああ大丈夫。姉としてはもうちょっと頭良くなってほしかった位。
 ――……面白い人。
 和枝さんの顔がゆるんだ。
 私への警戒心は薄れたようだ。
 私は笑いながらも、さりげなく和枝さんの髪に視線を移した。
 細くて柔らかそうな感じ。
 美香とは髪質が違うけど……きっと綺麗な長い髪だったんだろうな。
 ――あの、失礼だとは思うのですが……警察に話したことでもいいんで、質問してもいいですか?
 和枝さんは少しためらった。
 でも、おばさんの微笑みの後押しが私を助けてくれる。
 ――いいんじゃない。知らない人に話すより、同じ被害にあった人の方が共感できるでしょうし。
 ――……
 意を決したのか、和枝さんは私を真っすぐな瞳で見つめる。
 そして、穏やかな口調で話し始めた。
 ――あの時……後ろから髪を掴まれて、切られたんです。私が振り向いた時にはもう犯人は走り出していて……顔は暗くてよく分からなかった。
 ――その間に何か気づいたコトってあります? 声とか、服の色とか。
 ――あの時は本当にあっという間で。でも私が声をあげた時に犯人が『違う』って言ってました。あと音、かな……チーンって、高い金属音。
 ――音?
 ――妹さんは聞きませんでした? 私以外の被害者の子たちも同じような音を聞いたみたいなんですよね。
 何の音だったんだろう、和枝さんの言葉が私の中へするりと入り込んでいった。
 謎という言葉に変換されて。

「じゃああたし、学校行くから」
 ゆるく髪を縛った美香が私の前をさっと通り過ぎる。
 私は美香を引き止めた。
「私、今日帰りが遅くなるから。あんた迎えに行けないけど、早く帰って来るのよ。家の鍵、渡しておくから」
「鍵って」
 あたし持っているよ、と続ける美香に自分の持っている鍵を投げる。
 綺麗な弧を描く。
 でも距離が足らない。
 案の上、金属の小さな固まりは美香の足下にだらしなく着地した。
 ちゃりん。
「へたくそ」
 美香は鍵を拾うと、リビングのローテーブルの上に置く。
 じゃあねと家を出て行く。
 反応はなかった、ようだ。
 記憶がなくても体が反応するんじゃないかと思ったのだけど。
 やっぱり美香の事件は髪切り魔とは関係ないのだろうか?
 それとも。
「音が違うのかなぁ」
 私はぬるくなったコーヒーを口に含んだ。
「まっず」

               
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