その日、あたしがお風呂から出てくると、最近使いはじめたというメガネをかけたお姉ちゃんが手まねきした。
「ちょっとこっち来て」
「なに」
タオルで洗いたての髪をふきとりながら、あたしはお姉ちゃんの隣にくる。
「事件のことだけどさぁ。一応、あれからあたしなりに考えてみたんだけどね」
事件のことって……お姉ちゃん、首つっこまないって言ってなかった?
あたしがそれを指摘すると、
「そんなのいいじゃない。あんたのためを思ってなんだから」
と、お姉ちゃんは当然のように言う。
「さようですか」
あたしは半ばあきれてしまう。
けど、あたしのために考えてくれたってのは本当のようだったから、一応はお姉ちゃんの話に耳を傾けた。
お姉ちゃんはパパやママがそばにいないのを確認すると、テーブルに置いてあるルーズリーフをあたしに見せる。
いちばん上の行には横書きで、
<明日美美香の転落事故に関するメモ>
と書かれていた。
そして次からは事件の起こった日にちや時刻、あたしが刑事さんに言ったことすべてが箇条書きで簡単に書かれている。
時々、ラインが引かれている場所もあった。
裏には古文の訳が途中まで書いてある。
どうやらこれを書いたのは、ひどくたいくつな授業だったらしい。
「とりあえずあたしが知ってることはすべて書いたけど」
「はぁ」
「まず、あんな時間になぜ髪切り魔が屋上にいたのか分かんないのよ。凶器があったことも気になるし。制服のこともあるし」
「制服?」
初めて聞く話にあたしは首をかしげる。
「ああ、今日髪切り魔の現場に行った時、お巡りさんから聞いたのよ。被害者の女の子はみんな学校帰りに襲われてるって。しかも、被害にあった生徒はみんな制服がセーラーの学校に通っているのよ」
と、お姉ちゃんははさらりと流すけど。
お巡りさんから話を聞き出した辺りがらしいというか何というか。
これみて、とお姉ちゃんが側に置いてあった冊子を広げる。
それは高校案内の本で、各高校の制服が写真やイラストで紹介されている本だ。
「現場近くにあるK女子高、そして私立のS学園」
見てみるとどの学校も女の子はセーラーを着ている。
そういえば、D中もセーラー服だったような。
「これって髪切り魔がセーラー服に執着しているってことね。何か因縁でもあるみたいだけど」
目をきらきらと輝かせて喋るお姉ちゃんの声は高らかだ。
本当に楽しそうに推理している。
その神経、どうかしているって思うのはあたしだけかしら?
思わずイヤミをこぼすあたし。
「でも、ウチの中学はセーラーじゃないよ」
「そこよ」
意地悪で言ったつもりが核心を突いたらしい。
お姉ちゃんはあたしに顔を近づけた。
「あんたの学校はブレザーの制服。今までの犯人の傾向とは全く違ってくるの。で、そこから考えられるのはふたつ。ひとつは自分が髪切り魔だと美香にばれたから突き落とした。もう一つは美香に恨みを持つ誰かが髪切り魔を装って美香をつきおとした。つまり髪切り魔と美香を突き落とした犯人は別人ってこと。美香にはつらいかもしれないけど犯人は美香のことを恨んでいるってわけ」
「そうだね」
あたしは言葉を流す。
「そうだね、って。あんた、あたしの推理を信用してないわね」
「信用してないわけじゃないよ。ただ信じたくないだけ」
「同じことじゃない」
まぁいいわ、とお姉ちゃんは続ける。
「で、前者だと髪切り魔が美香の学校の中にいるわけ」
「学校の中に?」
「そう。先生か、生徒か、誰かがね」
ほんの少し顔をこわばらせてお姉ちゃんは言う。
緊張が、あたしの体をかけぬけた。
あたしの学校の中に髪切り魔が?
「まさか……ね」
そんなことないよ、とあたしは心の中でつぶやく。
「でも、可能性はアリだとおもうんだよね」
「何か根拠でもあるの?」
「ないけどある」
きっぱりと言い切るお姉ちゃん。
いったいどっちなんだか。
でも当の本人はというと、それとは別に気になる事があるんだよなぁ、とぼやいていた。
「これもお巡りさんに聞いた話なんだけど……」
またお巡りさんかい。
一体どんな手を使って聞き出したのやら。
おそらく上手いこと誘導尋問に引っかけたんだろうなぁ。
それはともかく、あたしはお姉ちゃんの話を聞くことにした。
話はこうだ。
七年前、当時あたしと同い年の少女が髪切り魔に殺されたらしい。
彼女の生い立ちは複雑で、幼い頃から弟と施設で暮らしていたという。
とても素直で優しかった彼女の命は無惨に奪われた。
残された弟は当時小学生。
その後、彼は里子に出されたという。
彼が幸せに暮らしているのかはお巡りさんにも分からないとのことだ。
「でね、その里親なんだけど……」
お姉ちゃんが何か言おうとする。
その時だ。
「ふたりとも、なにやってるんだ?」
突然割り込んだ声にびくっと体を揺らがせてしまう。
振り返ってみると、新聞を持ったパパがお姉ちゃんの書いた紙を見る……寸前。
あわててお姉ちゃんはルーズリーフを裏返しにした。
「な、なあに?」
つとめて、なんでもないように返事をするあたしとお姉ちゃん。
パパはきょとんとした顔で、
「だから、なにやってるんだ?」
と、のんびり繰り返した。
どうやら何も見てなかったみたいだ。
「何もしてないわよ。お父さんこそ、どうしたの?」
「いや、テレビでも見ようかと」
「ならどーぞどーぞごゆっくりと。美香、こっち」
さあさ、とお姉ちゃんはパパに席をゆずって、子供部屋に逃げ込んだ。
あたしもあとからついていく。
「あぶないあぶない。お父さんにバレたらとんでもないとこだった」
部屋に入るなり、ふうとため息をつくお姉ちゃん。
子供部屋はあたしとお姉ちゃんの部屋だ。
十畳の中には二人分の机と二段ベッド、本棚と洋服ダンスがあり、それだけで部屋の大部分を占めてしまう。
本棚には、お姉ちゃんが最近買いためている推理小説がたくさんある。
お姉ちゃんは自分のイスに座ると、くるりとイスを回転させてベッドにいるあたしの方を見た。
「で、さっきの続きだけど……里親は美容師らしいのよね」
「は?」
美容師?
それって……
「そういうこと」
おねえちゃんは肩についたばかりの自分の髪をつまむ。
そろそろ切りにいこうかなぁ、とつぶやく。
でもそれは口実で、本当の目的は違うに決まっている。
「まぁ。確認してみないと分からないけどね」
そりゃそうだ。
まさかあの人が、と思う。
あたしは首をぶるん、と振った。
「それよりも。髪切り魔を装って突き落としたって方はどうなの?」
話の方向を元に戻す。
「あんたの話から推理すると……怪しいのはやっぱ、吉田先生と里美って子と神崎ってゆー子ね。三人とも少なからず美香と衝突しているし。でも、誰をとっても決定的な証拠がない。なぜ、髪切り魔と同じ凶器を持っていたのかも説明できないし」
完全に第三者であるお姉ちゃんは、勝手に容疑者を作っている。
「神崎君は衝突とはちがうんじゃない?」
「そうかもしれないけど。でも美香が大好きなのよね」
「らしい……けど」
人ごとのように言ってごまかすあたし。
「人って恋すると好きな人の全てを知りたがるし、全てを欲しくなる。ましてや、あんたの髪を最初に褒めてくれた人でしょ? いろいろあったかもしれないけど。あんたの髪、欲しくなってやっちゃったかも」
「そんなの。家が美容院なんだから簡単に手に入りそうだけど」
あたしもあの美容院行ってるし、とあたしは続ける。
言葉にしてみて改めて想像する。
神崎君が私の髪を集めて嬉しそうな姿。
変態っぽくて、鳥肌が立ってしまった。
「やだやだ。変なこと想像しちゃったじゃない」
身震いをしたあたしはお姉ちゃんをにらむ。
けど、お姉ちゃんは推理に集中してるようで、あたしのことなんか目にも止まらない様子だ。
こういう時のお姉ちゃんは声をかけても返事は絶対にしない。
あたしはため息をつく。
さっき浮かんだ容疑者という人達を思い浮かべてみる。
いつもは厳しい吉田先生。
あの時だけは、あたしに妙に気をつかってくれた。
これって変というか、怪しい。
大切な友達の里美。
死んじゃえって言ってたけど……まさかね。
あたしを好きだと言ってくれた神崎君。
はっきりいって、あの時の神崎君は怖かった。
触れた唇に手をあてる。
あたしのファーストキスがあんな簡単に奪われるなんて、不覚だった。
あんなに思い詰められると、ふる時が怖い。
はぁ、とまたため息がこぼれる。
明日からこの三人と顔を合わせづらいなぁ。
こーゆー時はどうすればいいんだろう。
しばらくぽす、と抱きしめていたクッションをこぶしでたたき続ける。
そして十秒後。
「……そーだっ」
あたしにある考えが、浮かんだ。
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