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 4 小さな魔法

 秋にもなると日が落ちるのが早い。
 日没前、昔はこの時間を逢魔が時と呼んでいたという。
 闇に包まれるか包まれないかの中で、洋子は人気のない公園にいた。


 ここを突っ切ると駅への近道になるかもしれない。
 「私」は辺りを見渡しながらそう思う。
 きっと被害者もこの道を急いで歩いていたのだろう。
 そして髪切り魔に襲われた。
 今立っているこの場所で。
 外灯も木で埋もれてしまう「ここ」では犯人の顔もはっきりと見えないだろう。
 私はため息をつく。
 髪切り魔が出没した場所はここを含めて三ヶ所あった。
 どこも似たような環境で、それらしき手がかりも見つからない。
「やっぱり視覚以外を頼るしかないのかなぁ」
 こういうとき名探偵とかは五感を頼りにしている。
 物語の中では地にはいつくばって、現場から犯人の残した跡を何かしら手にしているはずなのに。
 その跡すら見つからない。
 なんだかなぁ、私は口をへの字に曲げてしまう。
 素人が事件解決なんて、やっぱりフィクションの中の出来事でしかないのだろうか?
 その時。
「こんな所にひとりでいると危ないよ」
 声をかけてきたのはお巡りさんだ。
 見た目そろそろ定年という感じのおじさん。
 この間みた刑事さんより大らかで優しそうな雰囲気だ。
「ここは変質者が出るからね。早く家に帰りなさいな」
「変質者って髪切り魔のことですよね」
「知っててここに来たのか? ずいぶんと物好きな」
 お巡りさんが呆れた顔をする。
 と、私の中である考えが浮かんだ。
 ここは賭けに出てみよう。
 うまくいけば何か聞けるかもしれない。
 聞き込みは捜査の第一歩って言うし……ってお巡りさんに聞き込みするのも変な感じ。
 ま、いっか。
「妹も被害にあったの」
 たっぷり息を吸い込んで、言葉をお巡りさんにぶつけた。
 お巡りさんの動きが止まる。
「後ろから突然バッグを切られて……それが髪切り魔の犯行だったのか分からないんですけど。だから今まで事件があった場所を見ているんです。妹が襲われた時と何か共通点があるのかな、って」
 話しながら自分の中で妙にテンションが上がっていることに気づく。
 ちょっとした女優気分。
 とはいえ、半分は本当の話なんだけど。
 お巡りさんは難しそうな顔をする。
 仕事の立場と人情に挟まれるのは日常茶飯事のことだろう。
「……そういうのは警察に任せておきなさい。被害届は出したのかな?」
 事務的に言葉をかわすお巡りさん。
「でも……」
 私は地面に目を落とす。
 声のトーンを半音下げる。
「妹はあれから外に出るの怖がっちゃって。こっちも見ていられなくて」
 あえて妹思いの姉を演出する。
 演出――まぁ、美香がどうでもいいってわけではないのだが。
「そう……」
 お巡りさんは私の言葉に反応している。
 もしかしてなかなかの名演技、とか?
 でもここからが肝心だ。
「やっぱり塾変えた方がいいかも。あそこ夜遅いしなぁ……」
 ありもしない情報をさげなくお巡りさんに伝える。
 お巡りさんが引っかかりそうな言葉を選んだ上でのことだ。
「塾帰りに襲われたの?」
「ええ」
 私はうそぶく。
 お巡りさんはちょっと考えてから、私に欲しかった言葉をくれた。
「たぶん違うと思うよ。髪切り魔が出るのはいつも日没直前だったし、狙われている娘はみんな学校帰りの女子生徒だし」
「そうなんですか?」
 しめた。
 私は心の中でほくそ笑む。
「この辺だとK女子校とかありますよね。あそこ可愛い子がいっぱいいるから」
「そうだね。あとS学園の子もいたかな。隣のD中学校も被害にあっているって聞いたけど」
「S学園……」
 脳に引っかかった言葉をくりかえす私。
 しばらく考える。
 そして笑みがこぼれた。
 なるほど、パターンが読めてきたかも。
「じゃあ、妹を襲ったのは別人かも。模倣犯てやつなのかな?」
「それは分からないけどね。でも、夜遅くまで外にいるのは止めておいた方がいい」
 そりゃごもっともだ。
 はい、と私は素直に返事をする。
 もちろん空返事で、だけど。
 何も気が付いていないお巡りさんはそんな私を素直な子だと思ったのだろうか?
「それにしても。また髪切り魔が現れるとは思わなかったよ」
 つい言葉を落とした、そんな感じだった。
 また?
 お巡りさんの意味深な言葉に私は反応する。
 私が不安がると思ったのだろうか、お巡りさんは一瞬、しまったというような顔をする。
 その感情を私は悟る。
 なので、何か気になっちゃうんで、と前置きをしてから問いただす。
 相手に不安がっていないよ、と目で訴えながら。
「前も出たんですか?」
 お巡りさんは、苦笑した。
 何だかあまりいい話ではなさそうだ。
 まぁ事件自体、いい話なんてないわけだけど……
「犯人はもう捕まっているんだけどね。もう七年も前になるかな。あの時は殺されてしまった子もいて……やりきれなかった。あの子は十四、だったかな」
「十四……」
 美香と同い年。
 奪われてしまった命。
「かわいそう」
 素直に言葉がこぼれる。
 お巡りさんは微笑んだ。
 そして当時の事を、語り始めた。


「ごめんなさい急に泣いたりして……」
 ずいぶんと時が経っていた。
 すっかり校務員のお兄さんにすがっていた「あたし」にも、ようやく落ち着きが戻ってきた。
「それで、あの……え、と」
 お兄さんの名前を言おうとするけど、いっこうに思い出せないあたし。
 うわ、完全など忘れだ。
 何やっているんだろう、あたしってば。
 あたしは自分自身に突っ込みをいれてしまう。
 でも、お兄さんはそんなあたしにも、ふてくされることなく教えてくれた。
「聡でいいよ」
「じゃ聡さん。どうしてここに?」
「昼休み、お菓子の箱もってきてくれたんでしょ? きっと君だなって思って。お礼言いにきたんだ」
「そんな、お礼なんかよかったのに」
 お礼のお礼じゃ、きりがなくなってしまう。
「ん、そうしたらもっといいものがもらえるかなって思ったんだけど」
「やあだ」
 本気に言う聡さんに、何のとりとめもなくぷっ、とふきだすあたし。
 今までのしかかっていた重みが、いつの間にかはじける。
「さて、気持ちが落ちついたところで、いったい何があったのかな? 話し相手ぐらいしかできないけど……」
 あたしの前の席に座る聡さん。
 その姿は普通に同級生の男の子って感じだった。
 あたしは返答に一瞬迷う。
 けど、泣き顔まで見られちゃ、この人にも聞く権利ってものがあるかもしれない。
 そうでなくても誰かに相談したい……そんな心境だった。
 あたしは今までのことを話す。
 神崎君にキスされたことや、里美に「死んじゃえ」って言われたこと、全部。
 言葉にすればそれは十分ももたない話だったけど、あたしにはそれが長く長く感じた。
 聡さんはあたしの話をちゃんと聞いてくれる。
 ときどき、相づちも打っていた。
 こんなに誰かが真剣にあたしの話を聞いてくれたのはたぶん、久しぶりのこと。
「そっか」
 ……話を聞きおわった聡さんは、ありがと、とでもいうようにあたしの頭に手を置く。
 やさしい、手
 不思議と神崎君のときのような怖さは感じられない。
「それは辛かっただろうね。けど、君ぐらいの年頃は自分の気持ちをうまく制御できないから、時々自分でも思ってもないことを口走ちゃうんだろうな」
「人って恋をしたらその人しか見えないってゆーけど、本当?」
「そうだね。恋愛経験が浅いおれはなんとも言えないけど」
「聡さんって年いくつ?」
「十九」
 若い。
「けどおれビンボーだったから。小さい頃はそんな余裕がなかった。だから本当の恋愛なんてしてないんだろうな」
 うっ、それはかわいそう。
 なんか人ごとなのにそう思ってしまうあたし。
「けど、まだまだこれから、なんじゃない。人を好きになるのって……あたしもだけど。幸せになる権利は誰にでもあるもん」
「やさしいんだね」
 うっ!
 聡さんの笑みに思わずどきっとしてしまう。
 やだ、照れちゃうなあ……
「その、神崎って子が君を好きになるのも無理はないかもな」
「いや、それは……」
「大丈夫。仲直りできるさ。友達だって分かっているよ。自分がどんなことを君に言ったか。気持ちの整理がつかないんだよ。どうしようもなく分かっててもつい傷つけてしまうってこと、あるでしょ」
 聡さんの言葉は納得させるものがある。
 なんだか救われたような気がした。
「ありがと」
 今の気持ちをありのままに伝える。
「少しはお役に立てたかな?」
「ずいぶんね」
「ならよかった」
 そっと微笑む聡さん。
 そして何かを思い出したようにそーだ、と続ける。
「櫛、ある?」
「あるけど……」
 あたしはカバンの中からブラシを取り出した。
 ま、櫛もブラシもそれほど変わり合いはないでしょ。
「じゃ、後ろを向いて。髪ゴムは落とし物袋のがいくつかあったっけ」
 そう言って、聡さんは手持ちの落とし物袋を出す。
 落とし物袋とはその名のとおり、校内で拾った落とし物を入れる袋だ。
 たいていはみんな、自分だと名のりでるのがイヤでそのまま処分されちゃうんだけど。
「……まさか髪を結ってくれるとか」
「そうだよ」
 えっ!
「昔、よく姉貴に髪を結わされたんだ。これでも三つ編みには自信がある」
 いや、そういうことじゃなくて。
 聡さんはブラシをもって髪をすきはじめる。
 ちょっとちょっとちょっとっ。
 心の準備ができてないあたしはぎくしゃくしちゃったけど。
 もうすでに時は遅い。
 どんどんと手を動かす聡さんに、あたしは動けるはずがない。
 男の人に髪を結ってもらうってのもなんか変な感じ。
 けど、聡さんの場合はそんなにイヤでもなかった。
 ちゃんと髪がつらないようにやさしく、それでいて、きっちりと三つ編みを結ってくれる。
 やさしい手つき。
 とっても気持ちいい。
 なんだか、ずっとこのままでいたいな、とも思ってしまった。
「よしっ、こんなもんでいっか」
 こと、とブラシを置く音。
 聡さんはあたしの肩に手を置き、教室の隅にある鏡へと連れていく。
 鏡の中はもう一人の自分が映し出されていた。
 二つにしばったおさげは久しぶりにあたしの首筋をくすぐる。
 全然ちがうあたしがそこにいるみたい。
 でも違和感があった。
「ん、我ながらいいできばえだ」
 そんなあたしをよそに聡さんはにこにこと自己満足。
 ぽんぽん、と毬をつくようにあたしの頭を軽くたたく。
「おろしたままでもいいけど、こっちもかわいいよ」
「そっかなぁ……」
「ま、雰囲気変わっても君は君のままなんだけどね」
「え」
 言葉は川を流れるかのように自然だ。
 けど、あたしの中で重くのしかかる。
 この人……
「あー、もう夜になっちゃった」
 日も短くなったもんなぁ、と聡さんは続ける。
 ぼんやりと考えていたあたしははっとする。
 そこではじめてまわりの景色に気がまわった。
 時計は五時半をさしている。
 窓の外はすでに真っ暗だ。
「帰らなきゃ」
 あたしはカバンを手にとった。
「大丈夫?」
「何が?」
「髪切り魔。髪のながーい子はねらわれるぞ」
 そう言って聡さんは手で作ったハサミを動かす。
 げ、そうだった。
「前回切り損ねたようだし。今日あたり来るかも。」
 わーっ、やめてっ。
「なーんて、冗談だよ。髪切り魔は髪しばってる女の子は襲わないから」
「なにそれ」
  呆れるあたしにはは、と聡さんが笑った。
「先生に送ってもらうように頼むから」
「はい」
 ……職員室までの道のりを聡さんと肩を並べて歩く。
 すると。
「美香ー」
「お姉ちゃん」
 昇降口前にさしかかったところでお姉ちゃんに出くわした。
「どうしたの? 中学校になんか来て……」
「何いってんの。あたしがきもだめしに来たように見える?」
 あんたを迎えにきたのよ、とお姉ちゃんは言った。
「やーそれはありがたい」
「まったく、こんな暗くまで何してたのよ。ただでさえあんたは病みあがりだってゆーのに。それにその頭……」
「へへーっ」
 いたずらがバレたときみたいに、あたしはごまかし笑いに近い笑い方をする。
 そのわきで聡さんはお姉ちゃんにぺこりとおじぎをした。
 お姉ちゃんも、どうも……とおじぎを返す。
「女の子2人で大丈夫?」
「はい。しばらくはタクシー使えって言われてますんで」
「じゃ聡さん、ばいばい。いろいろありがとう」
「ばいばい」
 まともに話したのは二日もないのに、あたしは聡さんとうち解けている。
 それは不思議な感覚でも、あった……。

「でもめずらしいわね。美香が髪をしばるなんて……」
 校門でタクシーを待っている間、お姉ちゃんはずっとめずらしそうにあたしのおさげをつんつんとひっぱっていた。
 もうっ、ひっぱらないでよっ。
 あたしはお姉ちゃんからおさげを取り返す。
「髪をしばってる子には髪切り魔が襲ってこないんだってさ」
「なにそれ」
「聡さんが言ってたの」
 ふーん、だったらあたしが来なくてもよかったんじゃない、とお姉ちゃんは続ける。
 ちょっとふてくされたところを見ると、どうやら迎えにきたのはママの押しつけ命令だったと見た。
 ったく、ちゃーんと妹のことを心配してるのかしらね。
 暇だったから軽いステップでお姉ちゃんを一歩二歩と追い越す。
 くるり、と振り返る。
「ねーお姉ちゃん。あたしってしばってる方も、かわいい?」
「どうして?」
「いいから」
「……べつにいいんでないの?」
「もうっ」
 どうでもいいようなお姉ちゃんの態度に口を尖らせる。
 あたしの中には聡さんの言葉がリフレインしていた。
 雰囲気変わっても君は君のまま。
 あたしはあたし。
 お姉ちゃんにこだわる必要はないんだよね。
 かすむ夜空にぼんやりと灯火をあげる星を見ながらあたしは思った……

               
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