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 2 事件発生

「今日、君は放課後になにかの衝撃で屋上につながる階段から転げ落ちた。そして、ちょうど見まわりに来た校務員の小川聡君がそこで倒れている君を見つけたってわけだ」
 説明は簡単で、わかりやすい。
 刑事さんに言われてジーンズの男の人は軽くおじぎをした。
 まだ、ハタチにもならないような人。
 この人が校務員のお兄さん――らしい。
 年はお姉ちゃんのよりもちょっと上って感じ。
 落ちついた感じの……まあ、かっこいい人。
 けど、あたしは見事といっていいくらいその人のことは知らない。
 たぶん顔を合わせたこともないような気がする。
 あ、でも、一度聞いたことはあったな。
 うちの学校にはあたしたちと変わらない位の年の校務員さんがいるって。
 それがこの人、か。
「で、ただ転落しただけなら別にいいんですけどね。実は現場にこのようなものが」
 そう言って刑事さんがスーツの内ポケットから出したのはビニール袋に入ったハサミ。
「このハサミ。実はある事件に使われていたものと切り口が一致したんです」
 ある事件?
「分かった。髪切り魔事件のじゃない? ハサミといえばそれしかないわ」
 あたしの問題に答えてくれたのはお姉ちゃんだった。
 やけにはりきったような口調。
 待ってました、って感じがバレバレだ。
 もしかしてあんた、この状況を楽しんでない?
「ここ1ヶ月ぐらい、この地区でロングヘアーの女の子が襲われてるやつでしょう? 犯人はまだつかまってない。でも今度は学校内で、凶器のハサミが見つかった。ということで、美香が髪切り魔に襲われたんじゃないかと思って聞きにきたわけだ」
「まぁ、そういうことです」
 完全にお姉ちゃんにくわれて言うことがなくなってしまった刑事さん。
 あーあ、かわいそうに。
 思わずあたしは同情しちゃうけど、そんな場合じゃなかったんだ。
 あたしってば事件のカギをにぎってるわけじゃない。
 ひー、どうしよう。
「階段から落ちたことはおぼえてないの? 誰か人影を見たとか」
「そういわれてみても」
 刑事さんの質問に、あたしはしばらくその時のことを考えてみる。
 はて、あたし階段から落ちたのかな。
 まるっきりおぼえていなかった。
 頭の中真っ白で思い浮かびもしない。
 犯人どころか何もかも。
 これってヤバくないか?
「おぼえてない……みたい」
「ほんとにぃ?」
 疑いの目でみるお姉ちゃん。
「ほんとだってばっ。頭のなか真っ白になっちゃってるもん」
 あたしはお姉ちゃんに刃向かう。
「こらこら、こんなとこで言い争いしないの」
 どうもすいません、とママは刑事さんや用務員のお兄さんにあやまる。
「いえいえそんな……それにしても美香ちゃん、おぼえてないって、1日まるごとおぼえてないの?」
 いや、そういうわけじゃないけど。
 あたしは首を横にふる。
「そう。じゃ君のおぼえているかぎりでいいから、その日に何があったか刑事さんに話してくれないかい? はじめっから。そうすれば思い出すかもしれないし」
「はあ」
 あたしは気のない返事をしてしまう。
 確かにそうかもしれない。
 そうかもしれないけど。
「何か言いづらいことでもあるのか?」
 あるといえばある。
 話したらパパが何て思うかな、ってことが。
 ママが心配するようなことが。
 しばらくあたしが黙っていると、お姉ちゃんが、
「ねぇ。外に出た方がいいんじゃない? 美香も親の前よりかは喋りやすいでしょ」
 と、提案した。
 さすがお姉ちゃん、頼りになる。
 お姉ちゃんはパパとママはもちろん、用務員のお兄さんを病室の外へと連れ出すが。
「あ」
 ドアが閉まる直前、何かを思い出したようにお姉ちゃんは振り返った。
「でも。刑事さんとはいえ知らない男性と一緒ってのは危険だから、私は残ってもいいよね」
 そう言ってちゃっかり居残るお姉ちゃん。
 しかも内鍵までかけるあたりが計画的。
 頼りになるなんて嘘、この人は単なる知能犯だ。
 さすがの刑事さんもお姉ちゃんの行動に苦笑を隠せないようだ。
 あたしは怒るを通りこして呆れるしかなかった。
 まぁ、いいや。
 こんなんだけどお姉ちゃん、意外と口堅いし。
「じゃ、話してくれる?」
 刑事さんの問いかけにそっとうなずいて、あたしは話しはじめた。
 今日あったことをすべて。
 まわりはすでに夜になっていた。

 そう、今日はこの世で一番ともいっていいくらいサイアクな日だった。
 まず朝、パパと大ゲンカ。
 原因はパパがあたしのコロンを全部使っちゃったということ。
 そりゃ身だしなみだから男の人がコロンをつけてもかまわないわよ。
 でもよりによってあたしがお気に入りの使うことはないでしょうが。
 しかもパパときたら文句をつけたあたしに正当防衛だと、とやかく理由をつけて無罪を主張する。
 そりゃあ置きっぱなしにしたのはあたしが悪いわよ。
 けどあれすっごく高かったんだから。
 海外ブランドじゃないけど、限定品だったんだよ。
 あたしはそう言って弁償を請求したんだけど、パパはいっこうにひきさがらない。
 と、そこで裁判官にでもなったかのようにお姉ちゃんが「あんたが悪い」って言ってくるんだもん。
 お姉ちゃんはあのとおりだから、今度はお姉ちゃんとケンカする始末。
 ママは早く朝ごはん食べろと、もともと朝は機嫌が悪い。
 まったくと思いつつ、不機嫌顔で学校に行くけど、そこでまた衝突発生。
 抜きうち検査にひっかかり、先生に頭髪が校則違反だと指摘されたんだ。
 うちの学校は髪が肩より長くなると切るかしばってくるかしなきゃならなくて。
 でもあたしはいつもおろしたままで登校している。
 というのも、あたしにはこの髪がたったひとつの自慢で(自分で言うのもなんだが)質もかなりいいらしい。
 だから、しばるのがもったいなくていつもおろしていたんだけど。
 風紀指導の吉田のやつときたら。
 怒る必要ないじゃない、ほおを叩く必要ないじゃない。
 髪なんて勉強のときにジャマになんないなら何だっていいじゃない。
 あれは思い出すだけでもムカついてくるわ。
 あれはれっきとした体罰だっての。
 そして今にも切れそうな時に、今度は親友の里美に絶交宣言された。
 原因は、あたしが男の子に告白されたから。
 同じ二年の神崎君。
 生徒会の会計でそれなりに人望もあって、同年からも後輩からも慕われている好青年。
 彼の家は美容院を経営していて、ママはそこの常連さんだ。
 あたしもそこで何度かカットしてもらったことがある。
 何を隠そう、あたしの髪を最初に褒めてくれたのは神崎くんだった。
 そりゃ寝耳に水な話で驚いたわよ、あたし。
「返事は後でいいから……」
 一方的に告白して神崎君は逃げてしまった。
 しかもその一部始終を里美に見られていた。
 里美が神崎君を好きだったのをあたしは一番知っていたのに。
「あんたとは絶交っ!」
 悲鳴に近い声で言った里美の言葉は今でもこびりついている。
 けど、いきなりそれはないでしょう?
 あたしが悪いんじゃないんだから、とため息も更に増えるばかり。
 もーやってらんない、と思って午後の授業をさぼったのはいいけど。
 いつの間にか屋上で居眠りしてて。
 気がついたときには病院のベッドの上にいた。
 そして、今のあたしがいる。
 あたしは忠実にそれを語った。
 けどどう考えても、分からない。
 あたし、そのあと何をしてたんだろう?
「思い出しました?」
 いろいろと苦悩するあたしにのーんびりと質問する刑事さん。
 ええい、せかすなっ、今一生懸命思い出そうとしてるんだからぁ。
「刑事さん、急にそんなこと言ったって無理ですよ。頭打った前後なんて記憶があいまいなんだから」
 救いの手を差しのべたかのようにそう言ったのはうちのお姉ちゃん。
 ううっ、やっぱりお姉ちゃん、いいこと言ってくれるわ。
 と思ったのもつかの間のこと。
「ま、何もかも忘れてよけいぱーにならなかったんだからいいじゃない。ね」
 こいつ、あたしの気も知らず傷を開くようなことを……
 うらめしい思いでお姉ちゃんをにらむあたし。
 けど刑事さんはそれで納得してしまったようだ。
 おいおい、それで納得してもらっても困るんですけど。
 刑事さんはメモ書きしていた手帳を閉じた。
「ま、焦っても仕方ない。じっくり思い出しましょう。何か思い出したら教えて下さい」
「はい……」
 刑事さんがお姉ちゃんに目配せをした。
 お姉ちゃんは頷くとドアを開け、外にいるパパとママに声をかける。
 もちろん校務員のお兄さんにも。
 再び3人が病室に戻ったとき、最初に目に飛び込んだのはパパの不機嫌顔だった。
「洋子だけ残るなんてずるいぞ」
「美香は『親の前』では話しづらかっただけ。だから姉は聞いてもOK」
「ぐ」
 お姉ちゃんのへ理屈に言葉を詰まらせるパパ。
 あーあ。最近はお姉ちゃんの方が口達者みたい。
 でもパパはひるまない。
「なぁなぁ。何を話していたんだ?」
 と心配顔でお姉ちゃんに体を寄せてしつこくからんでくる。
 お姉ちゃんは、さあ? とかぶりを振ってすり抜ける。
 なんだかペットがじゃれ合っているにしか見えない光景。
 そんな2人のやりとりに恥ずかしそうな顔をしたのはママだった。
「すみません。どうしようもない父娘で……」
「いや。仲のよろしい家族で」
 はは、と刑事さんが朗らかに笑う。
 でもすぐに刑事さんは顔を引き締めた。
「一応私はこれで失礼します。また日をおいて来ますので。どうぞお大事に」
「どうもお世話さま……」
 両親の声を背に刑事さんは去っていく。
 ぱたん、とドアが閉まる。
 瞬間、静けさが襲った……
「それじゃあ、僕もそろそろ失礼します」
「ああ、小川さん、でしたっけ? 今日は本当にありがとうございました」
「いえ」
 若い校務員のお兄さんはわずかに微笑むとあたしのほうを見る。
「早くよくなってね」
「はい。いろいろありがとうございます」
 あたしは素直にお礼を言った。
 じゃ、とお兄さんは一礼してから病室を出ていく。
「ずいぶん礼儀正しい人だね」
「うん、そうだね」
「でも、美香が無事で何よりだったよ。電話で洋子から聞いたとき、パパ、美香が朝のことで世をはらんで自殺したんじゃないかって心配だったんだ」
「まっさか」
 そりゃコロンはおしかったけど、そんなんで自殺するようなあたしじゃない。
 と、そこへお姉ちゃんがダメ押しに聞いてきた。
「でもあんた、ほんっとにおぼえてないの? 階段から足をすべらしたとか、誰かと会ってたとか」
「それが……全然」
 こればっかりはお姉ちゃんに反抗することはできない。
「ふーん、変な話よね。ミステリーだわ。これって」
 お姉ちゃんの口調がはずむ。
 やっぱりこの状況を楽しんでない?
「お父さん、この場合って事件として捜査できるの?」
「どうかなぁ。現場にハサミがあったからといって髪切り魔がいたとはいえないし、肝心の美香の記憶があいまいだからなんとも」
「やだ、あたしが足すべらしたかもしれないじゃん」
「けど、あんたが足をすべらせるほど寝ぼけてたとは思えないし……」
「三人で何言ってんの。無理にひきはがしてとんでもないことだったらどうするの?」
「やだなぁ、お母さん。ただ聞いてみただけよ。そんな真相をつかもうなんて思ってないから」
「そうかしら」
「そうかなぁ」
 みんなの視線がお姉ちゃんにぶつかる。
「な、何よ。みんな信用してないよーな顔して」
 当然だ。
 さっきのちゃっかりといい、最近のお姉ちゃんときたらミステリーに詳しいんだもの。
 きっと、あたしのこともめったにないチャンスだと思ってるにちがいない。
 まったく、冗談じゃないわ。
 消えた記憶にしても、お姉ちゃんにしても。
 先が思いやられるなぁ。
 そう思いつつ、あたしは気のないため息をついた……

               
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