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 3 絶体絶命

 事件から二日後。
 あたしは精密検査を受けた。
「CTスキャンも脳波も異常はありませんね。大丈夫です。血も出ていないし、包帯ももういいでしょう」
 病院の先生の太鼓判をもらったとこで、とりあえずあたしはほっとする。
 お姉ちゃんじゃないけど、これ以上頭がぱーになったら困る。
「これでもし、また頭が痛くなるようだったら来てください」
「はい」
 ありがとうございました、とお礼をいってあたしは診察室から出ていく。
「どうだった?」
 待合室であたしを待ってたママ。
「異常ないって」
「そう、よかったわね」
 ほんとに心配してくれたのか、ママはやっと笑顔を見せてくれた。
「学校にいくの?」
「うん。カバン学校に置きっぱなしだし、何か迷惑かけたみたいだし。校務員さんにあいさつしてくる」
「そうね。あんまり、無理するんじゃないわよ。あんたはほおっておいたら何するか分かんないんだから」
「はーい」
 ママったら笑顔をとりもどしたとたん、すぐこれだ。
 あたしはほんのちょっと苦笑いして首をすくめた。
 ……ママと病院で別れると、あたしはタクシーで学校に向かった。
 学校に着いたころは三時間目が始まって少し経ったぐらい。
 校内はとっても静かだ。
 階段近くのあるクラスでは、英語の文法を一生懸命教えてる。
 あらためて考えてみると、こんな大人数の人達が先生の話をじっと聞いてるのって異様な光景に見える。
 こんな中に「遅刻しましたぁ」って割り込むのはちょっと勇気がいるかもしれない。
 あんまりやりたくない役だなぁ。
 そう思いつつ、あたしは自分の行くべき教室に向かってもどかしい足を運ぶ。
 そこからもう一階ぶん階段を上り、突きあたりまで進んだとこがそうだ。
 二年A組。
 そこが今現在のあたしのクラス。
 中は恐ろしく静か。
 あたしは教室の手前で一回足を止め、身だしなみをもう一度確認した。
 ちょっとだけ気合を入れる。
 そして一度、迷ってからおそるおそる引き戸をあけるけど、反応は……ない。
 誰もいなかったりする。
 先生も、生徒も。
 ものぬけのカラだ。
 ぽかあんと拍子抜けするあたし。
 ちょっとぉ、どうしてみんないないわけ?
 みんなが授業放棄したわけじゃないよね。
 不思議に思いながらあたしは黒板の横に貼ってある時間割を見る。
 謎はすぐに解決した。
 今日の3時間目は体育と書いてある。
 ってことは、みんな体育館にいるってことか。
 今月は男女とも球技だし。
 ここでのんびり待っててもつまんないから行ってみよう。
 そう思ったあたしはくるり、ときびすを返して今度は体育館へと向かった。
 ボンッ、ボンッ!
 バスケットボールが体育館の床をとびはねる。
 ドタドタと体育館を揺るがす何人もの生徒の足音。
 バスケ部の生徒がファウルをカウントする。
 試合は隣のクラスの子達とだけど、得点はどんぐりのせいくらべってところ。
 応援の声がものすごい。
 けど、こんなごちゃごちゃした空間は不思議とあたしを安心させ、ちょっぴり悲しくさせた。
 きっと、みんなあたしのことなんか知らないんだろうな。
 ま、心配してくれっていうわけじゃないんだけど。
「明日美、明日美じゃないか」
 体育館の扉で一人、つっ立っていたとこでかかる声。
 げっ!
 振り返ったとたん、あと少しでそう言いそうになる。
 ずいぶん体格のがっちりした男の先生。
 あれは、風紀指導の吉田先生だ。
 忘れてた、この人男子体育の担任だったんだっけ。
「もう学校に来てもいいのか?」
「え、ええ。まぁ……」
 あたしは返事に口ごもる。
 やっばいなぁ、もう。
 先生なら、きっとあたしのことは耳に入ってるにちがいない。
 だとしたら。
 <授業をさぼってたむくいだな。おれはもうしばらくは病院のベッドでうなされてるかと思ったよ>
 とか、
 <頭打ったから、もう少し賢くなって帰ってきたかと思ったけどたいして変わりもしないようだな。もう一度、階段から落ちたらどうだ?>
 などど、毒を吐かれるかもしれない。
 もちろん、あたしに反論の余地なんか……ない、と思う。
 はぁ、と先生に気づかれないようにため息をついた。
 ここは覚悟して、あたしは先生の言葉を待つ。
 けど。
「明日美、おれが分かるか?」
 先生の言葉は予想をはるかにはずした。
「はあ?」
 わけが分からずぽかんと口を開けてしまうあたし。
「いや、記憶がないとかっておまえの担任の先生が言ってたからさ」
 先生の顔は真剣だ。
 この人ってば。
「やっぱり、全部忘れちゃったのか?」
「先生なにいってんの?」
 そのあとに、ばっかじゃない、とあたしは言う。
「そりゃ頭打った前後は忘れているけど、先生があたしをぶったのはハッキリ覚えてますよ!」
「そ、そーかっ。ならよかった。それなら」
 これからは気をつけるんだよ、と。
いつもにない弱々しいというか小さな声で先生はそう続けると生徒のいるバスケットコートの方に帰っていってしまった。
「なーにあれっ」
 先生の背中を見ながらあたしはぽつりとつぶやく。
 いつもとは大違いじゃん。
 しかも、あたしはまた髪の毛をしばってなかったのにそれすら気づかなかった。
 変なのっ。
 口を尖らせながら、あたしは足で何かを蹴るまねをする。
 空振り。
 今のあたしの気持ち、そのものだ。
 なんだかよく分からないけど、虚しい気分。
 一体どうしちゃったんだろう?
 そして、先生と入れ違いにやってきたのは、クラスメイトのみんなだ。
 けど、その中に親友の里美の姿はない。
 教室にカバンあったから居るのかなって思ったんだけど……
「美香ぁ、聞いたわよ。あんた階段から落ちて記憶喪失になったんだって?もう大丈夫なの?」
 噂というものは、どこからかもれるのが相場らしい。
 先生方だけで収めたつもりのあたしの事件も生徒の耳に入っていた。
 それだけならまだいい。
 けど、噂にはよけいな尾ヒレがついているから困ったものだ。
「髪切り魔がいたんだって?」
「頭、ぱーになったってやつだろ?」
 まだ、これぐらいならいい。
「なんでも、屋上から一階までの階段、ぜーんぶ転げ落ちて意識不明の重体って聞いたぜ」
 ここまで聞いたときはあたし、怒るを通りこして呆れてしまった。
 いったいどーやったらそんな話になるんだろう。
 とにもかくも、あたしはクラスの有名人になってしまった。
 でもこれって何か悲しい……

               
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