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 5 保健室の姫君(前)

 学校を歩いていればイヤでも児童の声が耳に入ってしまう。ハナコさんの話は俺も知っていた。学校に現れる幽霊だと聞いていた。だが、そのハナコさんは今、俺の目の前にいる。保健室にはそぐわないキラキラしたドレスをまとって。
「で、お話って何ですか?」
 ハナコさんはパイプ椅子に座ったまま俺に話しかける。小学生とは思えない落ち着きぶり。堂々とした姿はオーラを感じる位だ。気圧されそうになった。いやいや、ここでひるんでどうする。俺は自分を戒めた。
「話というのは、昨日のことなんだけど」
 俺のクラスの児童が危うく誘拐されそうになった事を思い出す。ハナコさんのおかげで事件は未遂に終わったが、それをなかったことにしてくれと言われた時は驚いた。俺が着ていたのと同じ服を与えられ、血と砂にまみれた服は処分された。負った傷はなかったかのように特殊メイクまでさせられたのだ。その後、校長からだいたいの事情は聞いたのだが俺の驚きは許容量を遙かに超えていた。
 話によるとこのハナコさん(仮名)、家の事情でクラスとは隔離された状態で授業を受けているらしい。もちろん、彼女だけに担任がつくわけではないから、もっぱら自習状態だという。俺はそのことに疑問を持っていた。
「君が裏児童としてこの学校に通っていることは校長から聞いた。でも、僕個人としては納得がいかない部分があるんだ」
「裏児童、か……面白い言い方」
 ふっと笑みを覗かせるハナコさん。一瞬見えた色っぽさにどきりとした。
「で。納得いかない所は何処ですか?」
「あ、いや。君が家の事情で大切に守られているって言うのは分かるんだけど、あまりにも頑丈なものだから、ちょっと気になって」
 聞くところによると、彼女の周りには軍人あがりの護衛がおり、彼女の服にも位置を知らせる発信器と盗聴器が仕込まれているというのだ。箱入りどころじゃない。厳重に梱包され、鎖までつけられて。普通とはかけ離れすぎている。
「君はこの生活をいつまでするのかなって、このままでいいのかなと聞きたかったんだ」
 俺の問いかけにハナコさんは視線を落とした。何かを考えているようだった。だが、表情は変わらない。沈黙が重く感じる。やがて、ハナコさんは、
「でも、これが私に与えられた自由だから」
 と、きっぱり言った。真っ直ぐと見つめる目が俺を射抜く。俺は思わず、
「自由っていうよりあれは監視じゃないのか?」
 と、言ってしまった。
 閉じこめられた状態で、他の児童はもちろん先生達にも存在を隠している事が彼女にとって良いことなのかだろうか。違う気がした。俺はハナコさんの肩を掴んだ。
「勉強だけじゃなく、みんなと遊んだり、思い出を作ったりするのも学校生活だと俺は思うんだ。今のままだと君は本当に一人ぼっちになる。それでいいと」
 俺ははっとする。我に返ると同時に自己嫌悪が走った。冷静に話すつもりだったのに。つい、熱くなってしまった。
「すまない」
 俺はため息をつく。ハナコさんは首を横に振った。ハナコさんの微笑みはあたたかい。何だか自分が恥ずかしくなってしまった。これではどっちが子供か分からない。
「先生がそう思うのも無理ないと思います。でも、これ以上は深く突っ込まないで欲しいな」
 ハナコさんは困ったような顔をした。
「ただ、誤解されると困るから言うけど、私はこういう学校生活でもすごく楽しいんです。学校に通える、それだけでいいんです」
「だったら他の学校でもよかったんじゃないの? ハナコさんの家なら私立の学校とかでも。そしたらもっと自由がきいたかもしれないよ」
 岸谷先生が問いかける。だがハナコさんは、
「ここがよかった。前の学校と同じだったから」
 そう答えたのだ。ハナコさんは窓の外を見つめた。過去を想うような遠い目。俺はこれ以上言葉をかけることができなかった……

「意外でした」
 岸谷先生がそう言ったのは、ハナコさんが保健室から出ていった後だった。
「幹先生がハナコさんのことを納得したから」
 別に納得したわけじゃなかった。だが本人が今の生活に納得してしまっている。俺にはこれ以上説得する勇気がなかった。それだけのことだ。俺が何とも言えない顔をしていると、岸谷先生は俺の気持ちを察したようだ。きっと岸谷先生も俺の過去をどこかで聞いたのかもしれない。その気遣いが逆に申し訳なかった。
「正直、幹先生にバレた時はちょっと不安でした。でも今はハナコさんを知る仲間が増えてちょっと嬉しいかな。って思いますけど」
「そうですか。それにても、謎が多い娘ですね」
「それにあの話っぷりでしょ。私ってば最初、ハナコさんが何か大きな病気を患っているのではって思ったんです。でも聞いてみたらハナコさんに笑われちゃって」
 そういうことにしておいて下さい、そう言われたのだという。
「これって肯定なのか否定なのか分からないでしょ? モリくんもハナコさんの家のことは絶対言わないし」
「モリ?」
「ハナコさんのボディガードです。というよりは王子様ってトコかしら」
 そうか、お姫様って可能性もあるんだ、岸谷先生は自分で言った言葉に納得する。俺は何のことだかさっぱりだ。
「ハナコさんですよ。どっかの国のお姫様かもしれませんよ。それならあのドレスだって、軍人ばりの護衛だって納得いきます。それに幹先生、あの事件の犯人捕まえた時言った言葉覚えてますか? 『野党の過激派』に『首相』ですよ。きっと国を挙げて隠したい事実をハナコさんは持っているんですよ。だから狙われているとか?」
 岸谷先生は少女のように目を輝かせている。さすがにそれはないだろう、と俺は思うが、岸谷先生は自分の世界へ行ってしまっている。何だかんだ言ってこの人もハナコさんの謎にとりつかれた一人なのかもしれない。俺は苦笑した。
 俺は保健室を後にする。次の授業の準備をしようと職員室に向かった。途中、廊下に展示されている校舎の模型に目がとまった。
 ふと、ハナコさんの言葉がよみがえった。前の学校と同じとはどういうことなのだろう? じっと模型を見つめる。デザイン性を重視した校舎のせいか、ガラス張りの校舎はベランダもなく、教室の中が丸見えになっている。
「同じ、か」
 もしかしたら、と思う。俺は設計者の名前を確認すると職員室を素通りした。階段を昇ると目の前にある教室に入る。そこは児童達が特別授業で使うパソコン室だ。パソコンの電源を入れ、インターネットにつないだ所でキーボードを叩いた。キーワードは設計者の名前。検索をすると何件かが引っかかる。その中に設計者のホームページがあったので、中に入ってみるとそこには今まで設計した建物の名前が表記されていた。その中で小学校は二件。俺がいるこの学校と、もう一つは地方にある小学校だった。画像で見た校舎の雰囲気はこの学校と似ている。おそらく、ここのことを言っているのかも知れない。ハナコさんの過去が少し見えた気がした。だが。
「知ったところでどうする」
 俺は頭をかき上げた。相手の事を必要以上に知って、また同じことを繰り返してしまうのだろうか。あの時のように。
 過去が今も自分に問いかける。あの時の選択は正しかったのだろうか、と。

               
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