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 4 カウンセラーの憂鬱

 保健室に来る児童は具合の悪い子だけじゃない。心に悩みを持った子もたくさん訪れる。そんな迷える子羊たちの話を聞き、アドバイスをするのも私の仕事だ。
「ケンくんってばあたしの約束破ってハナコさん探しにいっちゃったんだよ。ひどいと思わない? 私とハナコさんどっちが大事なのって聞いたら、ハナコさんだってゆーの。幽霊に負けるなんてありえない!」
 今日も悩みを持つ女の子が保健室に来た。児童が持つ悩みはいろいろ。周りにとってはたいした事がなくても、本人にとっては真剣な話なのである。だから真面目に話を聞いている。
「で、カスミちゃんはどうしたいの? ケンくんのこと嫌いになった?」
「まさか」
「ならいいじゃない。一緒にハナコさん探したら? ケンくんとずーっといられるよ。それに敵を知るのも作戦だと先生は思うなぁ」
「そうか」
「でも。授業はさぼっちゃいけないから、休み時間に探すこと。いいわね」
 カスミちゃんがこくりと頷く。さっきまで曇っていた顔がばあっと明るくなっている。
「さぁ、もうすぐ授業が始まるわ。一人で帰れるわよね」
「はぁーい。先生、ありがとう」
 カスミちゃんはにこにこ顔で保健室をあとにした。普通ならここで、子供ってかわいいな。この仕事をやっててよかったなぁ、と思える所があるのだが、今日は違った。なぜなら。
「どうしよぉ。ハナコさん」
 カーテンの閉まったベッドに声をかける。奥から女の子が顔だけ覗かせた。
「原因作ったのは先生でしょ。自業自得」
「確かにそうだけどさ。このままハナコさんがらみの悩みがいっぱい来たらヤバイよぉ」
 私はがっくりとうなだれる。そう、目の前にいる彼女がウワサのハナコさんなのだ。ハナコさん、と名付けたのも私。でもウワサがここまできているとは。想定外の出来事に正直困っている。
 かつん。カーテンから赤いミュールが一歩前へと出た。ハナコさんが姿を現す。
「あら、かわいい」
「こういう色、あんまり好きじゃない」
「何を言うか。大人サイズなら私が着たいんだから」
 今ハナコさんが着ている服は女性誌にも出ているブランドの最新作だ。しかも彼女用にサイズを合わせている所がにくらしい。ノースリーブの赤いワンピースは胸元から下にかけて細かな刺繍とスワロフスキーの宝石で作られた薔薇の花が咲いている。そしてボア素材の白いボレロが肩をふんわりと隠していた。首元のネックレスにもワンピースと同色の宝石。まるでお人形さんのようないでたちに、こっちがため息を漏らしてしまう。一体いくらかかっているのだろうか。
「今日はどのお偉いさんのパーティなの?」
「さあ」
 ハナコさんはさっきまで自分が着ていた服をたたみはじめた。首にぶら下がっているルビーを払いながら古着のTシャツを丁寧にたたむ姿は見ていて滑稽だ。どっちが高価なのか分からなくなる。でもハナコさんは正真正銘のお嬢様らしい。校長が言うのだから間違いないのだろう。
 どういうわけかこの学校に通うことになったハナコさん。この事を知っているのは校長と教頭、そして私だけだった。校長も厄介なことを引き受けたものである。更に編入時には奇妙な約束事があった。学業より家の事情を優先させ、家のことは一切聞かないこと。保健室学級にして先生や児童と顔を合わせないこと。本名を聞いてはいけないこと。その三つだ。

「お嬢様が公立の学校に通うのはかなりのトップシークレットでして、この事がばれたら大変なことになります。肝に銘じて下さい」

 あの時。ハナコさんの編入の時点で言うことをちゃんと聞いていればよかった、と思う。
 名前がないと呼べないからと名前を付け、保健室に閉じこもりは良くないと授業の隙間を狙って体育館や音楽室で自習をさせた結果がハナコさんのウワサのはじまりだ。まだウワサだけならよかった。だが先日はハナコさんを狙った誘拐未遂事件も起きている。しかもハナコさんと間違えられた児童が襲われ、その子の担任である幹先生にもハナコさんの事がばれてしまった。
 まぁ、児童には、あれは夢だよ、とごまかしたからいいが。
「幹先生がなぁ」
 私はぼやく。他の先生ならともかく、幹先生なのが心配だった。最近の幹先生は児童の言動にかなり敏感だ。もし彼がハナコさんのことを必要以上に気にかけたら。ふと、私の脳裏に彼が起こした過去のトラブルがよぎった。変に首を突っ込まなければいいと思うが、やはり気になってしまう。誘拐未遂の件は一応報告したから、幹先生には校長からの説明が来るはずだ。果たして幹先生は納得してくれたのだろうか。
 ハナコさんはそんなことも忘れているのか、鏡の前で髪の毛をつまんでいた。私は鏡の向こうにいるハナコさんに向かって話しかけた。
「髪、結った方がいいかもね。やろうか?」
 ハナコさんは首を横に振った。もともと口数が少ないハナコさんだが、今日は特にそうだ。理由は分かっている。
「素っ気ないなぁ。やっぱりモリくんがいないからかしら」
 モリくん、はハナコさんの世話役兼ボディガードだ。最近は家の事情でハナコさんのもとを離れているらしい。モリくんの話題にハナコさんの声が裏返った。
「別に、そんなんじゃないですっ」
 ハナコさんは否定するけど、りんごのように赤らめた顔が真実を語っている。こういうところはまだ小学生だなと思う。先生の立場で見るならそれは良いことだった。ハナコさんは他の児童より落ち着きすぎている。大好きなモリくんの前でも彼女は一線をひいていた。最初はモリくんに合わせようと無理にそうしているのかと思ったが、違うようだ。ハナコさんはもっと別なモノの為に、大人になることを急いでいる。きっと家の事情がからんでいるのだろう。
 大人びたハナコさんは時々私を切なくさせる。だがこれ以上は追及できない。本人から喋ってくれない限り。それがハナコさんを預かった時の決まり事だ。それがもどかしかった。
 私ができることなんてたかが知れている。けど、
「何かできることがあったら言ってね」
 と、言わずにはいられなかった。やっぱり私もお節介な先生だ。
「だからモリとはそんなんじゃないって……」
 ハナコさんがムキになる。空振りな答えに私は思わず微笑んだ。
 トントン。
 ドアをノックする音がした。
「岸谷先生、幹ですが。いいですか?」
 イヤなタイミングだなぁ、私はハナコさんに問いかけた。
「幹先生だ。どうする?」
「いいですよ」
 即答だった。ハナコさんが振り返る。そこにはもう大人の表情があった。私は保健室のドアを開け幹先生を迎えた。

               
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