9 「俺は君の本心が知りたい」
数日後、俺は彼女に例の招待状を手渡した。
「パーティと言っても内輪だけのお祝いだから。堅苦しく考えないでほしい」
「でも――私が来たら場違いなんじゃ……裕福な方が多いんでしょう?」
「そんなことはない。実は今回ヒガシも呼んでいるんだが同じ理由で渋っているんだ。だから南さんにも来てもらえないかな。友人として南さんに祝ってもらえたら俺も嬉しい」
駄目かな? 俺は彼女の表情を伺う。彼女の強張った顔はヒガシの名を告げた瞬間に消えていた。やはりヒガシの存在は効果てきめんだ。
数秒後、彼女の口からわかりましたという声が聞こえた。
「喜んで参加させて頂きます」
「本当に?」
「ええ。ヒガシさんと一緒なら安心だし」
付け加えられた最後の言の葉に俺の心が少しだけ痛む。親友をダシに使ったことについて罪悪感もあったが、彼女を確実に誘うにはそれが一番の方法だったのだ。仕方ない。
「じゃあ、当日はヒガシさんと一緒に行きますね」
「そのことだけど――二人が普通に来て祝うのも面白くないよね?」
「え?」
「例えばヒガシ一人で来させて逆に驚かせるとか? もちろん、あいつが南さんが来ることを知らないってのが前提だけど」
「ちょっとしたサプライズ、か。何だか面白そう」
俺の提案に彼女は快く乗った。俺は招待状を渡す。受け取った彼女は当日を楽しみにしてます、と言い満面の笑みを浮かべた。
サプライズ当日、俺はいつものように彼女を家へ送るべくファミレスに赴いた。
俺が乗った車が入ると店の駐車場が満車になる。店内へ入れば騒々しさが広がる。どうやら今日は繁盛日のようだ。
入口の前で立っていると、彼女が前を通り過ぎた。目が合い、彼女があ、と言葉を漏らす。
「ごめんなさいニシくん。もうちょっとで上がるから。よかったら席に座って」
「わかった」
ほどなくして俺は窓際の席に通される。ただ待っているのも何なので俺はメニューからパンケーキのセットを頼むことにする。
待っていると携帯が鳴った。通話ボタンを押すと受話器から聞き覚えのある声が届く。相手は北山だ。先ほど俺は北山に頼んだ案件がどうなったか、経過報告だけでも知らせてほしいとメールを打っていた。
彼の報告を聞き、俺は分かった、とだけ返事をする。通話を切ると先に出されていた水を飲んだ。全てを流し込み、一息つく。先ほどの話を一つ一つ自分の中で咀嚼する。
北山は予想以上の働きをしてくれた。彼には あとで礼のひとつでも言うべきだろうか――
丁度その時俺の頼んだ品が届いた。運んできたのはヒガシだ。親友はマニュアル通りの文句を告げると静かに皿を置いた。一連の作業を終えたところで、その口が躊躇いがちに聞いてくる。
「今日も南さん送っていくの?」
「そのつもりだが」
そう言って俺はナイフを手にする。薄っぺらい小麦粉の生地を切ろうとするが、紗耶香さんと南さん、どっちが好き? と話を振られ、俺は手の動きを止めた。見上げればヒガシが神妙な顔をしている。
「ニシは南さんと一緒に居て辛くない? 紗耶香さんのことを思い出したりしない?」
まさか、このタイミングで聞かれるとは思いもしなかった。俺はナイフを置き親友をまじまじと見つめる。最初は冷やかしかと思われたが、そうでないという事はこいつの目を見ればわかる 。こいつは俺を心配しているのだ。
なんだが嬉しくなって、俺は胸の奥が少しだけ温かくなる。こいつと出逢えたことを俺は心から感謝した。
だから俺は親友の名に恥じないよう、ありのままの思いを口にする。全てを吐きだすと、ヒガシは何とも言えぬ複雑な顔をした。
「……南さんに、紗耶香さんのこと話したの?」
「まだだ。でも彼女は気づいているんじゃないかって思う」
俺が未だ罪悪感に苛まれていること、ふたりの間で揺れていたことも。
南亜理紗には聞きたいことが沢山ある。でも俺だけが一方的に聞くのはフェアじゃない。
だから俺も包み隠さず話そうと思う。
自分のこと。昔のこと。今のこと。思いのたけを伝えようと思う。
ヒガシがいなくなって十分後、学生服に着替えた彼女が現れる。彼女は大きな紙袋を抱えていた。それは何? と聞くと秘密、とかわされてしまう。その思わせぶりな態度に俺は苦笑した。中身はおそらく、これから貰うプレゼントなのだろうか。
俺は彼女をエスコートすると、外に待たせていた車の中へ促す。運転手がサイドブレーキを戻した。車がゆっくりと動き出す。
俺の右隣りに座った彼女は車が動いても店のある方向を気にしていた。
「ヒガシさん、今日残業するって言ってたんですけど……パーティ間に合うのかしら? 本当に何も言わなくてよかったの?」
そう、彼女は心配そうな顔をする。俺は大丈夫だから、と答えた。
「ヒガシは今日のことを知らない」
「え?」
「実はヒガシには招待状を送っていなかった――というよりあいつは最初から行く気がなかったんだ。でもそれを言ったら南さんも来ないかもしれないと思ったから、嘘をついた」
「どうしてそんなこと」
「南さんと二人きりで誕生日を祝いたかったから。俺の話を聞いてほしかったんだ」
俺の言いわけにに彼女は眉をひそめる。それは想定内の反応だ。彼女は騙されたのだから気分が悪くなるのも無理はない。
だから俺は悪意はなかったんだ、と言葉を続けた。
「望むならここで車を停めて君を降ろすこともできる。俺の誕生日を祝ってくれなくても構わない。そのかわり話を聞いてほしい。長くなるかもしれないけど――とても大切な話だ」
どうする? と問いかけた後で俺は彼女の名を口にする。その瞬間、彼女ははっとしたような顔をした。俺は小さく頷く。彼女は自分の視線を膝に置かれた手に向けた。その指先がわずかに震えている。
「選ぶのは君だ。俺は君の本心が知りたい」
この車には付添いや護衛の者はいない。今日だけ俺がそうさせたのだ。運転手も必要なら車から降ろさせる。彼女に失礼なことは一切させないつもりだ。
俺は口を閉ざした。彼女の返事をひたすら待つ。長い沈黙は怖くなかった。
たっぷり時間をおいたあとで、彼女は口を開いた。うつむいたまま分かり ました、と言う。
「その『大切な話』というのを聞くことにします。けどその前に――」
彼女は自分の左腕を俺の右腕に絡めた。俺を押さえつけ、反対の手で黒い「何か」を首元に突きつける。一瞬しか見えなかったが火花を散らすあれは――スタンガン、か?
体が痺れ、目の内側に花火が咲く。俺は短い呻き声を上げると、彼女の腕の中へ崩れ落ちた。