10 それはなかなかの冒険ではないですか
それから二時間後、事態は急変を告げた。
その時私は風呂上がりで、ジュースでも飲もうと台所へ向かった所だった。
ふいにインターホンが鳴る。
こんな時間に誰?
気になった私はリビングのドアを開ける。ちらりと伺うとインターホンの受信機の前で母親が困った顔をしていた。
「どうしたの?」
「それが……」
母につられて画面を覗きこんだ私。モニタに写ったいかつい顔に一瞬ビビる。
最初はそっち系の人かと思ったけど――あれ? よく見たらニシの護衛の人ではないか。名前は確か北山さん、だっけ?
四十は越えたであろうこの人はこれまでニシの危機を何度も救ってきた所謂スペシャリストだ。
「夜分失礼します。実は伺いたいことがありまして」
スピーカーから聞こえる北山さんの声は少し焦っていた。
私は母に大丈夫、と告げる。知ってる顔だったので私は反射的に振り返る。玄関の扉を開けに行こうとするけど――私の足はすぐに止まった。ちょっと待った、と自分にツッコミを入れながら。
もしかしたら新手の悪戯?。
私の脳裏に北山さんの後ろでニシがほくそ笑んでいる姿が浮かんだ。すぐ扉を開くのは危険だ。
私はひとつ咳払いした。そのあとで、どういった内容でしょうか、とよそ行きの声で彼に問う。
「こちらも暇ではないので、用件は手短にお願いします」
「晃さまが消息を絶ちました」
なるほど、そういうことですか。それは大変ですねぇ。
「今日は晃さまの希望で我々を一人もつけず外出したそうです」
ほう、それはなかなかの冒険ではないですか。
「運転手に連絡を取ったのですが携帯も繋がらず、車に乗せたGPSも切られてしまいました」
あれ? それってヤバくない? つうかヤツは何やってんの。
って、え? 冗談じゃないの?
「晃さまの親友であるあなたなら何か心当たりがあるのではないかと――」
「ちょ!待って……」
私はモニターを一旦切り、玄関に向かった。錠を開け、パジャマ姿のまま外に出る。門の前ではいかつい男性が背中を曲げてインターホンとにらめっこをしていた。私は声を張り上げる。
「あの、一体どういうことなんですか? 行方不明って、冗談とかじやなくて?」
「私は最初から本当のことを言っていますが?」
うわ、私ったら何て失礼なことを。もう穴があったら入りたい!
「とにもかくも晃さまの行方を」
「ああそうですよね。ええと、ヤツとはバイト先で会いました。いつものように南さんを家まで送るって聞きましたけど。南さんに連絡は?」
「南――というのは南亜理紗のことですか?」
「そうだけど」
私の言葉に北山さんのいかつい顔が更に険しくなった。
「まさか。いやそんなこと」
ぶつぶつと呟く北山さんに私は眉をひそめる。その様子をしばらく眺めていると、不意にこんな質問を投げかけられた。
「あなたは晃さまから蓮城紗耶香さんの話は聞いていましたよね?」
「まぁ。ニシの幼馴染ですよね? 昔事故で亡くなったって」
「ではどうして死んだか具体的な内容は?」
そう聞かれ、私は首を横に振る。それは深く突っ込んではいけないと本能が察したから。だから聞こうとは思わなかった。
「二年前のその日は晃さまと蓮城家の皆様が高原にある別荘で一週間ほど過ごすことになっていて、私は晃さまの護衛を任されておりました。
本来なら蓮城家の皆さまと合流した後で別荘に向かう予定でしたが、その途中に私達の乗っていた車が故障してしまい、蓮城家の皆さまには先に別荘に向かう事になったのです。そして彼らが別荘に到着してすぐに火災が起きました。
私達が到着した時はすでに消火活動が始まっていて――その時の晃さまは正直、見ていられませんでした。晃さまと紗耶香様はとても仲が良かったですし。晃さまのショックは相当なものだったと思います。
でも私は晃さまの命を守るのが仕事です。ここに居たら晃さまの身に更なる危険が起こるかもしれない、そう察した私は晃さまを別荘から遠ざけました。
その後、焼け跡からは三人の遺体が見つかったそうです。親族が警察で確認した結果、それは蓮城家の皆さまだということでした。
犯人は未だ見つかっておりませんが、おそらくニシ家を妬む者の犯行ではないかというのが警察の見解だとあとから聞きました」
北山さんは全て語り終えると私の顔を伺う。そして申し訳 ないような表情をした。たぶん私がどうしようもなく酷い顔をしていたからかもしれない。
彼の口から語られた過去はあまりにも重すぎる。
ニシは今も自分を責め続けているのかもしれない。紗耶香さんを守れなかったことへの後悔が今もニシを苦しめていたとしたら。それを考えるだけでも胸が痛む。
私はきゅっと唇を噛み締めた。ニシが抱える負の感情に私も引きずられそうになる。それを引き止めたのは他ならぬ北山さんだった。
「晃さんに同情するのは後に回して下さい。本題はここからです。
私は晃さまから蓮城家の墓がどうなっているか調べてほしいと頼まれました。できるなら遺骨がちゃんとあるか確認してほしいと。言われた通り私は蓮城家の墓がある寺を訪ねました。流石に遺骨の確認まではできませんでしたが墓石に刻まれていた記録を見ることができました。でも妙なことになっていたんです」
「妙なこと?」
「それを確かめるべく私は遺体を確認したという祖父母の家を探しました。しかしそこはすでに空き家になっていて――近所の人の話によると、祖父は十年前、七年前には祖母が他界したとのことです。確かに墓石にもそれが刻まれておりました。念のため、向こうの警察にも寄ったのですが、そこで私は当時の火災そのものが事件として扱われていないということを知ったんです」
「どういう……こと?」
私は北山さんの言葉を整理する。
爆破火災が起きたのが二年前。でもそれより前に紗耶香さんの祖父母は死んでいた。人が死んだのに警察はそれを事件として 扱わなかった。
じゃあ彼女の遺体を確認したのは誰? 爆発物を仕掛けたのは誰?
「一体どういう事? 訳わからないんだけど」
私が混乱していると北山さんの渋い瞳の奥に光が宿る。あくまで私の見解ですが、と前置きして私にひとつの答えを提示する。
「もしかしたらあれは蓮城家を救うための緊急措置だったのではないでしょうか」