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ヒガシの「ハレ」はニシの「ケ」(過去編)


4 今そこに触れてはいけない

 私のバイト先はファミレスだ。ホールで接客を担当している。
 私は注文の品を届けると、先ほどまで人が座っていたテーブルに向かった。空になった食器をお盆にまとめ、布巾で机を机を拭く。
 厨房に戻ると壁にかかった時計は仕事終了十分前をさしていた。
 ちょうど客がひけたので、私は南さんと少しだけ話をすることができた。
 今日南さんは残業してから帰るらしい。何でも交代の人が三十分ほど遅刻するとか。それを聞いて私は心配になった。仕事前に起こったことがアレなだけに、不安が募る。
「あの、もしよかったら一緒に帰りません? 私待ちますよ」
「大丈夫。これから家の人に迎えに来てもらうことになってるから」
 そう言って南さんは朗らかな笑顔を見せる。
「ヒガシさんの方こそ大丈夫? あの時腕痛めたんでしょう? 無理しないでね」
 思いがけない優しさに私は泣きそうになった。
 ああ、何ていい人なんだ。
 結局私は定時で上がらせてもらうことにした。
 ロッカーで学生服に着替えた私はそそくさと店の裏口から出ようとする。ドアノブに手を伸ばした所でそういえば、と思い出した。
 店に入る直前、ヤツの護衛さん達が包囲網作ってたけど――その後はどうなったのだろう。
 私はそおっとドアを開けて外の様子を伺う。きょろきょろとあたりを見渡すけど不審者がいたとか道に穴があいていたとか、そういった変化は見られない。どうやら護衛さん達が上手くやってくれたらしい。
 穏便に片付いたならそれでいいや。
 私は家までの道を歩き始める。数秒後いきなりベンツが歩道に横づけしてきたので私はげ、と声をあげた。後ろのウィンドウが開く。そこから現れたのは自称私の親友――ニシだ。
「おまえに大事な話がある」
 真剣な顔のニシを私は無視した。
 私は歩調を早める。車を追い越しどんどん先へ進む。待てと言われるけど構わず先を進んだ。
「おい、待て、ヒガシっ。俺の話を聞け!」
 誰が聞くかこの馬鹿。勝手に人違いした上、私を投げ飛ばすとは何事だ。
 絶対許さないんだから。
「いいから聞け! レンジョウサヤカのことだ」
 レンジョウサヤカ――ニシが叫んだ名前に私は足を止める。振り返ると、すでに車の後ろの扉が開かれていた。覚悟を決めた私が車の中へ乗り込む。ふかふかのシートに座ると、斜め前にいたニシが私に携帯電話を差し出した。これを見ろ、ということらしい。
 私は携帯を受け取ると、画面に軽くタッチした。節電モードが解除され、待受画面がぱっと浮かぶ。現れた人物に私は目を見開く。
 それは苺のホールケーキを抱えた少女の画像だった。
 生クリームにそっと乗せられたチョコプレートには「紗耶香ちゃん14歳おめでとう」の文字が入っている。誕生日のお祝いなんだろう。
「そこに写っているのが蓮城紗耶香だ。ミナミという女性によく似ているだろ?」
「そう、ね」
 私は携帯の画像ををまじまじと見つめる。小さな画面で少女は愛らしい笑顔をのぞかせていた。
 幼さはあるけど確かに。南さんに似ている。
「紗耶香は俺の幼馴染だった」
「だった?」
「これを撮った二日後に、事故で亡くなった。二年前のことだ」
 思いがけない事実に私は言葉を失う。想定内の反応だったのか、ニシは少しだけ肩をすくめた。
「だからあの女性を見た時は本当に驚いた。紗耶香が生き返ったんじゃないかと思った。そうだったらどれだけ嬉しかったか――」
 そんなことあるわけないのにな、私が返した携帯を見つめながらニシは笑う。それは慟哭と表現するのがぴったりなのかもしれない。ニシの瞳は憂いと慈しみを帯びていた。
 私は昼間ニシが久実に言っていた言葉を思い出す。
 あの時ニシは恋愛に興味がないと言いきった。
 まさか。いや、まさかじゃなくてもニシは――
 私はニシに問いかけようと口を開くが、すんでのところで言葉をのみこむ。たとえ私の想像が正解だったとしても今そこに触れてはいけない、そんな気がしたからだ。
「俺はお前に謝らなければならない」
 私の腕についた絆創膏を見ながらぽつり、ニシが言う。
「さっき俺はおまえを投げ飛ばした。動揺してたとはいえ、あんなことをすべきじゃなかった。本当に悪かった。あの女性にも明日改めて謝罪しようと思う」
 ニシの謝罪に私はわかった、と頷くことしかできなかった。ニシから語られた理由は私の想像を遥かに越えている。もやもやが消えたのはいいけど、何とも言えない気まずさだけが残る。
 用件はそれだけだ、と言われたので、私は退出を余儀なくされた。
 私は席を立ちドアに向かおうとする。
 けど――
「なんで話したの?」
 私は一番気になっていたことを口にする。
「その、あんたにとっては辛い話なんじゃないかな、って。どうして私に話したの?」
「それはおまえが心の友だからだ」
「それだけ?」
「それだけだが?」
 悪びれもなくニシが言う。納得のいかない答えに私が口をへの字にしていると、ああそうだ、とニシが思いだしたような声をあげた。
「この間のことだが」
「この間?」
「時計のことだ。もしかしたらお前は俺に借りを作りたくなかったのか?」
「え?」
「言ったじゃないか。何か貰ったらお返しをしなければならないと。それが負担だったのか?」
「それは――」
 違う、と私が答える前にニシが口を挟む。だったら気にするな、と言葉を重ねた。
「俺はただ、おまえの喜ぶ顔が見たかっただけだ。俺との間にそんな気づかいは必要ない。親友とはそういうものだろう?」
 ニシの親友談義に私は何とも言えない。その前に知ってしまったことが重すぎて、どう返していいのか分からなくなってしまったのだ。
 私の中でニシ勘違いを訂正する気力はすでに失われている。
 だから最後まで黙りこむしかなかった。

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