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ヒガシの「ハレ」はニシの「ケ」(過去編)


3 レンジョウサヤカ、その人は何者なのだろう

 その日の放課後、緊急のクラス会議が開かれた。別の先生から、担任の子供が今日生まれた、との情報があったからだ。
 昨日から奥さんが産気づいて今日の昼前に生まれたらしい。生まれた赤ちゃんは珠のような可愛い女の子だそうだ。今日ウチの担任は出産の立ち会いで休みを取っていた。
 クラスの中では前々から皆で何かお祝いを送ろうということになっていたけど、そろそろ準備をしなければならない。
 会議の結果、サプライズは明日の朝行うこと、一人五百円を出しそのお金で花と子供服を買うことになった。買い物担当は――私とニシだ。
 何故こうなったのか、理由は想像できる。この機会に二人の沈黙を破ろうという魂胆だろう。
 正直ニシと買い物をするのは気が重かった。でも頼まれた以上は最後まで遂げなければならない、そう思ってしまうのは私の悲しい性だ。
 私はニシが毎日乗っている黒塗りの車に乗った。ニシとは無言のまま、目的地まで向かう。
 最初に訪れた花屋で私は花束を注文した。予算と出産祝いだということを伝え、受け取りを明日の朝にする――ここまではよかった。問題は次に訪れた子供服の店だ。
 ここで私とニシの間に金銭感覚の違いが生じる。私は一万円そこそこの物を考えていたのに、ニシが選んだのはシルク素材のドレスだった。
 確かにニシが選んだものはセンスがいい。でもその品は集めた金額の倍以上する。更にニシが足りない分は自分が払うと言い出したものだから、さすがに口を挟まずにはいられない。
「そんなバカ高いものを買ったら先生も困るでしょうが」
「そんなことはない。上質のシルクは着心地がいいぞ」
「そういう問題じゃない!」
 私はニシにびしゃりと言い放つ。
「いい? 出産のお祝いってのは貰ったらお返しするのが礼儀なの。だいたい貰った金額の二割から三割だっけ?それ買ったら先生は皆が出した金額以上のお返しをすることになるの。そんなの失礼超えて迷惑っていうの! 分かった?」
 私の意見に不服そうではあったが、ニシは納得した。私たちは品物を選び直す。結局、ニシが選んだブランドで肌着とカバーオールと布のおもちゃが入っているセットを選ぶ。金額もなんとか予算内でおさまった。
 会計を済ませ店員さんにラッピング包装をしてもらう。その間、ニシにこんなことを聞かれた。
「それにしてもおまえはいろいろ詳しいな。もしやお前、出産経験が――」
「んなことあるかっ!」
 知っていたのはたまたま近所で赤ちゃんが生まれたから。親がお祝いを送るのにそんなことを話していたのを覚えていただけだ。
 ああ、どうせ買い物するなら他の人と一緒に買いに行きたかった。
 全く。なんでコイツに頼むのよ。
 本当、誰かこいつを世界の果てに飛ばしてやってほしいわ。
 結局ニシのせいで買い物に予想以上の時間がかかってしまった。このままではバイトに遅刻してしまう。
 私がバイト先に連絡を入れようとすると、ニシがそれを遮った。別に問題はない、と言う。その言葉の意味する所を私はすぐに理解した。
 私は通学路の途中にあるファミレス前までニシの車で送ってもらう事になった。ニシと一緒にいるのはアレだが、仕方ない。私は車に乗ると僅かな時間を耐えることにする。
 でにこういう場合、必ずと言っていいほど私は誰かに遭遇するのだ。
 案の定同じ時間から仕事が入っている南さんと店の前ではち合わせた。
「ヒガシ――さん?」
 異様な光景に南さんは目を白黒させていた。
 そりゃ知り合いがベンツで現れればそれは驚くわな。これは何事かって。
 私は一度肩をすくめてから、お辞儀をする。
「おはようございます」
「一体どうしちゃったの?」
「ええと、理由を話すと長くなるのですが、簡潔に言えば私の本意ではないんです。はい」
 言葉を濁す私を見て南さんが首をかしげる。そこへ折り重なるように窓が開く音がした。後部座席にいたニシに声をかけられる。
「これは俺が預かっておいていいのか?」
 その言葉に私は振り返り、窓越しに荷物を受け取った。普段ならここで余計な一言がついてくる所だが今日はそれがない。ニシの視線は一点に集中していた。
 ニシが黒塗りのベンツから飛び出す。おもむろに南さんの腕を取った。
「おまえ――サヤカなのか?」
「え?」
「サヤカだろ? そうじゃないのか?」
「ちょ、離してっ!」
 南さんが大きな声をあげたので、私は二人の間に割って入った。何やってるのよ! と怒鳴る。
「ちょっと! 南さんに変なことしないでよ」
「ミナミ? この人はミナミというのか? レンジョウサヤカじゃなくて?」
 私は眉をひそめる。彼女は南亜理紗。私のバイト仲間だ。
 というか、レンジョウサヤカって誰よ?   ちらりと横を見れば南さんの顔がどんどん険しくなっていく。そりゃ、初対面の人間にあんなことされたら不審顔にもなるだろう。
 まずい。このままじゃ仕事も遅刻だし、南さんにも迷惑がかかる。それに何より、バイト先に嫌な噂が回るのだけは勘弁したい。
 ヤツをかばうののは不本意だけど、ここは穏便に済ませた方がいいかも。
  「すいません。この人、人違いしたみたいで――あの、先にお店に入って下さい」
 私はバイトで培った営業スマイルを振りまく。背中でニシの体を押さえつけ、彼女を店へ促した。
「待て、待ってくれ!」
 ニシの切羽詰まった声に私は困惑する。それでもニシを逃がさないよう、私は踏ん張った。腕に痛みが走る。ニシにもの凄い力で腕を掴まれた――と思ったら、あさっての方向へ投げ飛ばされた。私は地面に叩きつけられ、肘をすりむく。
「ちょ、何するのよ!」
 私も負けじと声をあげるがニシはこっちの方を向きやしない。南さんにまっしぐらだ。
 まずい、このままじゃ南さんが絡まれる。
 すると突然、黒づくめの人達がニシを囲んだ。
 彼らはニシの護衛だ。彼らが現れる時はニシに危険が迫っている時。
 空気を察した私は立ち上がり、南さんを追いかけた。
 彼女の腕を引くとスタッフ専用の扉から店へ入り、ロッカールームへ向かう。ニシとも離れ、これから起こるべき災害からも逃れた。
 とはいえ隣りにいる南さんの表情は硬い。小刻みに肩を震わす彼女を見て、何だか申し訳ない気持ちになる。
「あの、びっくりしましたよね?」
「……え?」
「でも気にしないで下さい。ヤツはもともと特殊というか、ウチらとは別次元の人間なんで無視しちゃって下さい。というか警察を呼んじゃってもいいですから」
「そう、なの?」
「そうです」
 私は自信を持って頷いた。そこでようやく南さんの表情が柔らかくなる。ニシのせいでとんでもない目に遭ったけど、とりあえず事は穏便に収まったようだ。
 見せの制服に着替えた南さんが先にホールに入る。私も慌てて着替えた。
 すりむいた場所に絆創膏を貼りながらそれにしても、と思う。
 あの時のニシの行動は異常ともいえた。南さんの腕を突然掴んだり、私を投げ飛ばしたり。あの時護衛さん達が止めなければニシはどこまでも彼女を追いかけてただろう。
 鏡の前で身だしなみを整えたあとで、私はニシが言った名を繰り返す。
 レンジョウサヤカ、その人は何者なのだろう。
 その問いに対する答えは意外にも早くやってきた。

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