12 「庶民の女にうつつを抜かすなんて、ニシ家も落ちぶれたものですね」
あのあと、私はニシの車で再び学校へ向かった。
ナノちゃんと別れた地点で車を降りるともう一度駅へと向かって歩き出す。どっかで見落としがあったのかもと思い目をこらしながら探したけど、歩道を歩いているのは帰宅途中の会社員がほとんどで、ナノちゃんの姿は見つからない。寄り道でもしたのかと通学路の途中にあるコンビニを外から注意深く見てみたけど、その姿を見つけることができなかった。
一体どこに行っちゃったの?
私は何度目かのコールを鳴らそうと携帯に手をかける。返ってくるのは同じ文句ばかりだ。
駅前の道路をふらふらしているとクラクションを鳴らされる。振り返るとニシの車がこちらに向かっていた。車は私を追い越すと道の脇に寄せられる。お抱えの運転手が後ろのドアを開けた。
「ヒガシは見つかったか?」
車から出てきたニシに私は首を横に振る。不安が一気に押し寄せた。
「これって誘拐かな? ナノちゃんの家や警察に連絡した方がいいんじゃ――」
「いや、それはこっちの調べがつくまで待ってほしい」
ニシの視線を追いかけると襟元のマイクに向かって何か呟いていた運転手さんと目が合った。その口が晃さん、と言葉を紡ぐ。
「先ほど防犯カメラに映っていた車ですが――ナンバーを調べた所、やはり巽家の車でした」
その報告にニシの表情が曇る。
何かを知ってるようなそぶりだったので私は問わずにはいられない。
「タツミ家って、ニシの知ってる人なの?」
「巽はあの女の苗字だ」
「え」
「巽芹華は――文化祭で俺らが何かしてくると踏んで先回りをしたらしい」
相変わらず食えない女だ、とニシは言葉を吐き捨てた。
「北山、巽家と連絡が取りたい。テレビ電話を繋げてくれ」
ニシの指示を受け、北山と呼ばれた運転手が車へ向かった。一分後、液晶タブレットを手にして戻ってくる。すぐさまニシの手に渡される。回線はすでに繋がれていて画面にはあの女の姿が映し出されていた。
久々に見る女の姿は麗しい。時代遅れの縦巻きが残念だが、くりくりとした目に長いまつげ、筋の通った鼻は申し分がない。西洋人形を思わせるような顔立ちは美人の部類と言えるだろう。
綺麗に着飾った女は待ってましたと言わんばかりの微笑みで喋りはじめた。
「ごきげんよう。もう生徒会長ではないから今は晃さん、と呼べばいいのかしら?」
女の馴れ馴れしい口ぶりにニシの眉がひくついたのを私は見逃さなかった。ニシに嫌悪感とも言える表情が浮かぶ。
「おまえ、ヒガシに何をした?」
「あら、いきなり何ですの?」
「茜が丘近辺の防犯カメラに巽家の車が映っていた。巽家はこんな所をうろつくような柄ではない。ヒガシを連れ去ったのはおまえだな?」
「連れ去ったなんて人聞きの悪い。私はただ、彼女を招待しただけ――」
「何が招待だ! これはれっきとした誘拐じゃないか!」
ニシが通常の三倍ともいえる大声を上げたので私は体を強張らせた。物騒な言葉を聞きつけた通りすがりがいぶかしげに私たちを見ている。だが、言った本人はそんなのは全然気にしていない。目の前の問題を解決するのに必死だ。
ニシは怒っている。出会ってまだ間もないけど、彼がこんなにも感情をあらわにする所を見たのは初めてだ。
一方、疑いをかけられた女――巽芹華に動揺したようなそぶりは見られない。むしろこの状況を楽しんでいるかのような表情だ。
「庶民の女にうつつを抜かすなんて、ニシ家も落ちぶれたものですね」
「何だと?」
「ご心配なく。明日の夕方になったら彼女を家まで送りますから。それまでは巽家が丁重にお預かりします。もちろん、晃さんのご招待は謹んでお受けしますよ。文化祭楽しみにしています」
それは文化祭が終わるまで自分に手を出すなという宣告とも取れた。それは何かした場合、ナノちゃんの身の保障はできないみたいに聞こえて――
「ナノちゃんに変なことしたら絶対に許さないから!」
私はニシを押しのけ声をあげた。
突然画面に割り込んできた第三者に巽芹華はぱちぱちと瞬きを繰り返す。そのうちくすくすと笑い始めた。たかが庶民が何を、とでも言いたげだ。
「何を誤解しているのか知りませんが、変な勘繰りはしないで下さい。私のわがままに『ちょっと』付き合ってもらうだけですよ」
ではまた会いましょう、そう言って巽芹華は電話を切った。画像がぷつりと途絶えたあとでタブレットが小刻みに揺れたのはニシの腕がぶるぶると震えていたせいだ。
ニシがタブレットを投げつける。時代の先端をいく機器はシリコンでカバーされていたから衝撃にも耐えられる。だけど、私ら庶民にとっては高価なものに変わりはないわけで。だから私はとてもひやひやした。