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ヒガシの「ハレ」はニシの「ケ」(出会い編)


13 そこはかとなく極端な一方通行

 すっかりお腹が満たされた所で、私たちは店を出ようとする。だが、最後の最後で問題が起きた。ニシは現金を持ち合わせていないと言うではないか。
 下町のお好み焼き屋にはカード決済なんてものは存在しない。ニシが持っているのはカードと小切手で後者で払おうとしたものだから私は慌てて止めた。
「どうした? 小切手での決済もダメなのか?」
「そもそも高校生が小切手持ってること自体がおかしいから。お願いだから止めて」
 とはいえこのままでは無銭飲食になってしまう。
 おかみさんは今度でいいよと笑顔で言ってくれたけど、それはそれで何だかバツが悪い。なので私が支払う事にした。ふたり分の夕飯二千三百八十円。一時的な出費とはいえ庶民の私にとっては痛い。ああ、でも手切れ金と思えばいいのか。
 店を出ると外はすっかり暗くなっていて、見上げた空の上に星がまたたいていた。月がまんまるだ。
 私はニシの二歩先を意識して歩く。向かったのはさっきまで乗っていた車じゃなく河川敷に繋がる土手の階段だ。
 私は階段を一段ずつ昇る。上にある遊歩道までたどりつくと、ここから歩いて帰れるから、と宣言する。
 私の家はこの遊歩道を少し歩いた先にある。夜だけど街灯はついているし、散歩やランニングをする人とすれ違うからそんなに怖くない。
 それじゃあ、と私は声をかけてからニシに背中を向けた。二度と会う事もないけれど、と私は心の中で呟く。預かってもらった制服はさっきのお代と一緒に郵送してもらうことになったから、顔を合わせる理由はどこにもない。
 ニシはさっきの一件以来口数が少なめだ。
 やっぱりさっきのが地雷だったのかな?
 私の心が少しだけざわつく。すると数歩歩いた所でヒガシ、と声をかけられた。振り返るとニシの眼差しがまっすぐ私に向けられている。
「さっきの質問の答えだが。やはりゼロのようだ」
「え?」
「俺に友と呼べる人間はいない」
 あまりにもきっぱりと言うものだから私は一瞬だけ言葉に詰まった。私はすぐに口を動かすけどそうなんだ、としか答えられない。
 ゆっくりとニシが階段を昇ってくる。最後の一段を超えると、私と肩が並んだ。
「確かに俺の周りに寄ってくる人間はいるが、それはヒガシが思うような『友達』じゃない。皆俺のおこぼれに預かろうとしている。俺の気を引いて自分が有利になるよう事を運んでいるだけだ。
 生徒会だってすすんで立候補したわけではない。俺がトップに立てば生徒も言う事を聞くし、学園のイメージが上がると考えた大人たちの策略だ」
 それは私が聞きたかった答えでもある。回答までちょっとだけ時間はずれたけど。
 月明かりの下、私を見上げながらニシは言葉を続けた。
「今の自分には友達なんてものは必要ないと思っている。でもその一方でこのままでいいのかという思いもある。友達がいないというのは、人間として何かが欠けているような、そんな気がしてならなくてな。本心を言うなら、俺は親友というものに憧れている。だから親友がいるヒガシが羨ましい。ヒガシ、教えてくれ。どうしたら友達が手に入る。どうすればおまえたちのような関係を築ける?」
「それは――」
 こんな話、他の人間が聞いていたら何を今更って笑っていたかもしれない。
 でもニシにとってこれは大事なことで、私に話したのだって悩み抜いた末の結論なのかもしれない。冗談や生半可な答えはかえって混乱させるだろう。
 だからこそ私は頭を悩ませた。自分なりの答えを探す。すぐに思いついたのは漫画で読んだ台詞だ。
「気がついたら一緒にいたというか友達になってたというか? 友達って『作る』じゃなくて『成る』ものだっていうし」
「具体的には? 何をどうすればそうなる? 何がどうなって親友に発展するんだ?」
「知らないわよ。そういうのは勘がものを言うんだから」
 生まれ育った環境が一緒でも仲良くなるわけじゃない。共通の何かを持ってても慣れ合うわけじゃない。親友なんて特にそうだ。
「勘……か」
 ニシはふむと唸った。
「それは一理あるかもしれん。おまえの友も同じことを言ってた」
「へ?」
「初めてヒガシと話した時、仲良くなれると直感したらしい」
 それを聞いて口をぽかんと開けた。久実とはこれまでずっと一緒につるんでたけど、そんなこと一度も聞いてない。
 私は当時のことを思い出す。久実とまともに喋ったのは中学のキャンプの時。飯ごう炊飯で作ったカレーを食べていて美味しい? と聞かれたのが最初だったと思う。
 その時私は率直な感想を言ってしまった。誰が作ったのかは知らないけどどうしたらこんな不味いのが作れるのかな、と。それで久実を泣かせてしまったことも今となってはいい思い出だ。
 私と久実がここまで仲良くなれたのは何でだろうと私は考える。
 お互いの相性が良かったから? 信じあえるから?
 理由をあれこれ考えてはみるけれど、全ては後付けでしかない。でもこれだけははっきり言えた。
「相手の前では何でも言える――から?」
 私が出した答えにニシが身を乗り出した。
「それが心の友の条件なのだな」
「私と久実の場合はね。私にとって久実はいい事も悪いことも言いあえる存在なんだ。たぶん、久実も同じことを思っていると思う」
「それだとたまに意見がぶつかることはないか?」
「そりゃあ喧嘩もするよ。でも今日みたいに久実に何かあったらすぐに駆けつける。向こうに突っぱねられても私は手を差し伸べる場所で待ってる。損得とか関係ない。好きで心配だから側にいるんだ――って、何言ってんだろ私」
 同性異性に関係なく「好き」という言葉を使うとどうも気恥しくなる。小さい頃はもっと簡単に言えたはずなのに。でも「好き」という言葉の重さを知ってしまったからこそ、私はその言葉を大切にしたいと思っていた。大切な言葉は大事な瞬間にしか使いたくないと。
  「まぁ、とにかくそういうことだから」
 私は火照る顔を手のひらで冷ましながらニシに言う。果たしてこんな答えでいいのだろうかという迷いを残しつつ。
「こんなんで参考になった?」
「ああ」
 ニシは満足げな笑みを浮かべながら今後参考にさせてもらう、と言った。どうやら恥ずかしい思いをした甲斐はあったらしい。向こうも私に悩みをぶちまけたわけだし、これでおあいこだ。
「アンタにもそういう人見つかるといいね」
「見つかるだろうか」
「私には分からないけど――そういうのって意外と近くにいるかもしれないよ」
 灯台もと暮らし、ってよくいうじゃない、と私は続ける。お節介が働いたのは同情だ。
 私の言葉を真に受けたのか、ニシはしばらくの間考え込んでいた。少しして小さくあ、と呟く。そのあとで私の方をまじまじと見つめた。
「いや、でも……いやいや」
 ぶつぶつと独り言を呟くニシに私は首を横にかしげる。相変わらずニシの思考は読みづらい。でもまぁ話は一区切りついたようだし、向こうもある程度の方向性を見つけたようだし。私はこの辺でお暇をいただこうかしら。
 そう思って私は家のある方向に一歩二歩と後退する。くるりと踵を返そうとするとふいにこんな言葉を投げかけられた。
「ヒガシは――男女の間に友情は存在すると思うか?」
「え?」
「同姓の親友はいても異性の親友はそうそうできないと聞いた。そういった関係はいずれ恋愛に発展するんだとか。ヒガシはそこの所をどう思う?」
 今思えば、あの時適当にあしらっておけば、と思う。でもニシが真剣な目でどうなんだ? と訴えるものだから私もつい真面目に答えてしまった。
「そりゃ、男女の友情はあってもおかしくはないんじゃない?」
 お互いが同じ価値観でいられるならね、と私は条件を加える。ニシは顎に手を乗せそうかそうか、と一人納得したように頷いた。
「なるほど、そういうことか。分かったぞヒガシ」
「何が」
「喜べ。俺にも親友と呼ぶ人間がいたんだ。それもすぐ近くに」
「あ……そうなんだ」
 あまりにもあっけなく見つかったので私は拍子抜けだ。でもよかったと私は素直に安堵する。
「で、誰だったの?」
 問いかける私にニシがにやりと笑う。その人差し指が私の前につきあげられた。
「俺の心の友はおまえだ、ヒガシ」
 ――はい?
「俺はおまえと初めて出会った時手を差し伸べた。大した得もないのに、だ。これは俺にとって大事件だ。出会いは勘、これを運命と言わずして何と言う?」
「……えーと」
「ゲームを中断させた時もそうだ。今思えば俺はおまえの不調を一目で見破ったということになる。普段ならスル―して構わない所を俺だけが気づいて止めたのだ。これはもう親友に対しての情としか――」
「いや。それは――違うんじゃないかと」
「謙遜するな。今日からヒガシは俺の心の友だ。俺が許す」
「そうじゃなくて!」
 私はありったけの声を上げた。
「私はね、アンタと友達になる気はさらさらない! つうか金輪際関わりたくもないわ!」
 放った決定打にニシがう、と言葉を詰まらせる。胸元を抑え体を強張らせた。
 全力で言い切った私は肩で呼吸する。言い方はキツかったかもしれない。けど、こういう勘違いはすぐに直さないと。これ以上ヤツの厄介事に巻き込まれるのはごめんだ。
 私はヤツに踵を返すと早足でその場を立ち去ろうとする。数メートルほど歩くとふふふふ、と不気味な声が耳に届く。思わず足が止まった。恐る恐る振り返る。
「そうか、それがおまえの正直な気持ちか。そうだな、おまえは親友の前では何でも言えると言ったな。いいじゃないか、いいじゃないか……」
 それは恨み節というより、恍惚ともいえる「萌え」発言と言ってもいい。
 つうか親友の定義がどっかで間違ってないか? そこはかとなく極端な一方通行にしか見えないんだけど。
「ヒガシよ。また会おうぞ」
 ニシは大げさな位両手をぶんぶん振っていた。満面の笑みで見送るニシを見て私は両手で自分を抱く。さっきから悪寒が走って仕方ない。
 怖い、怖すぎる。何なのよコイツはっ。
 このままでは勘違い男の呪いにやられるかもしれない――
 身の危険を感じた私は脱兎のごとくその場を立ち去った。
(出会い編 了)

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