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ヒガシの「ハレ」はニシの「ケ」(出会い編)


12 ちょうどいい言葉がみつからない

 注文を受けたおかみさんは鉄板に火をつけると奥の厨房へ向かっていった。ほどなくして飲み物が届き、そのあとに銀色のボウル三つと大皿がテーブルに並べられた。
 ニシは初めて見るお好み焼きの生地に口を歪ませる。まるで不味いものを見るような目だ。
「まさか。このまま食べるとかないだろうな?」
「んなわけないでしょ」
 そう言って私は服の袖をまくった。
 ここの店ではテーブル席につくと自分たちがお好み焼きやもんじゃを作ることになっている。作り方は家庭で作るときとさほど変わらない。
 私は食材と生地をスプーンでぐるぐるとかき回した。ほどよく混ざった所で豚バラを鉄板で焼き始め、その上に生地で二つの円を描いた。
 焼いている間私は乾いていく生地をじっと見つめていた。この時間を使って焼きそばを作っても良かったのだけど、それぞれの味を楽しみたかったので今回は別々に作ることにする。
 頃合いを見て生地をひっくり返すとニシの口から驚きの声が上がった。
「これは綺麗に焼き上がったものだな。って、ああ、そんなにソースを塗ったらせっかくのきつね色が台無し――おおお! かつお節が踊っている? これは何かのマジックか?」
「はいはい」
 私は半ばあきれ顔で作業を進める。コテで食べやすい大きさに切ったあと、それぞれの分を皿に盛った。本当はコテに乗せて直で食べるのが美味しいんだけど、それをやるとあっちの眉間にしわが寄りそうだ――って、今の状態でも十分不審顔だし。
「どうぞ」
 私は皿をヤツの前に差し出した。ニシができたばかりのお好み焼きを物珍しそうに眺めていた。匂いを嗅ぎ食べるべきかを本能で判断している。そのあからさまな警戒心にあのさ、と私は口を挟んだ。
「変な物は入ってないから。冷めないうちに食べてよ」
 ニシは私の言葉を聞いてから恐る恐る口に入れる。まずは一口。ゆっくり咀嚼したあとでニシの目が見開く。
「これは――旨いじゃないか!」
「でしょ?」
 ここのお好み焼きは豚とエビとイカの配分が絶妙でそれぞれの旨みが生きているのだ。生地の外はパリパリで、なのに中がもっちりしてるのは中にもちが入っているから。今はソースで食べたけど生地自体はだし汁とかつお粉で味付けしてるからそのまま食べてもいける。
 ニシの及第点を頂いたので、私もお好み焼きをほおばることにする。久々にありつけた絶品に目元が潤んだ。
 ああ懐かしい。美味しい。
 私は幸せで心と体がいっぱいになった。向かいには生まれて初めて食べたお好み焼きを夢中でほおばるニシがいる。鉄板が全て綺麗になるまで、私たちは無言で食べ続けた。
 お腹が半分満たされた所で、私は焼きそばを作ることにした。どうせ聞いてもやったことがないとかって言うんだろう。
 私は焼きそばの材料が入っている大皿に手をつける。肉と野菜だけを鉄板に落として焼いて。皿にたまった野菜の水はあえて残しておく。この水は麺を蒸す時に使用するのだ。
   ニシは私の動きを観察しながらほう、とため息をつく。
「ヒガシはずいぶん手慣れているようだな」
「昔練習のあとここでで作ってたから」
「練習?」
「野球。中二までやってたの」
 野菜を大ぶりのコテで炒めながら私は言う。
 ここは私が所属していた野球チームの溜まり場だった。
 日曜日は朝からそこの河川敷で練習して、終わったら泥のついたユニフォームのままここで鉄板を囲んで。試合で勝った日は監督がおごってくれたこともある。
 通っていた中学には女子の野球部がなかったので私は同級生たちがいなくなってもチームに残って野球を続けていた。思えば、あの頃が私の黄金期だったのかもしれない。
 私はコテを置くと空いた手のひらを膝の上に乗せた。ここ最近冷え込んできてるから、そろそろタイツやサポーターが必要かな、と思いつつ。
 私は言いそびれてしまった言葉を伝える。
「そういえば――お礼言ってなかったね」
「お礼? 何のお礼だ? 服のことか? それともこの店に連れてきたことか?」
「ビーチフラッグのこと。アンタが止めてくれたから助かった」
 あのまま理不尽なゲームを続けていたら私の足は壊れていた。ニシはどういう意図で言ったかは知らないけど、私としてはありがたい展開だった。
 目の前の男には未だ憎たらしい気持ちはあるけれど、感謝の心がちょっとでも出てしまった以上、礼儀はわきまえなければならない。
「ありがとう」
 私は軽く頭を下げる。改まって話したせいか気恥しさが残ったけど、まあいいや。今日が終わったら最後、今後会うこともないだろうし――
 そんなことを思いながら私は顔を上げる。が。
「え?」
 私は自分の目を疑った。ニシが手で口を塞いで何かを堪えている。よく見れば口から上が赤くなっていくではないか。
 え? えええっ!
 何。何なのそのリアクション。耳まで赤くなってるんですけど。
「ちょ、どうしたの?」
「いや、その」
 ニシの籠った声が私の耳に届く。
「これまで褒められることはあっても感謝を述べられたことはほとんどなくて……久しぶりに言われてかなり驚いているというか」
 えええ! 何ですかその恥じらいは。
 想像もつかなかった反応に私は思わず身を引いてしまった。
「えっと……そういうのってその、家族とか友達に普通に言わない?」
「家族とは昔から上っ面の会話しかしてないからな。それに友人は――」
 そこで会話はぶつりと途絶えた。ニシの言葉が続かないのだ。
 訪れた沈黙に私は更に戸惑う。
 え? それってまさか。
「アンタってもしかして――友達いない、とか?」
 その質問にニシの肩がぴくりと動く。さっきの熱っぽい顔が一気に引き青ざめ沈黙が再び訪れた。
 ええと、これって地雷踏んじゃったとか? そんなのありえんだろ?
 目の前にいる男は一応生徒会長を務める人間だ。選ばれたということはそれなりに人から慕われているはずでしょ? なのに何で?
 聞きたいことは山ほどあった。でもすぐに我に返る。二度しか会ったことのない人間にそこまで突っ込むのは如何なものだろうか? それ以前にこれ以上関わっていいものだろうか? 答えはNOだ。
 触らぬ神に祟りなし。そう、ニシとの関わりは今日でばっさり切れるのだ。
 私は話題をあさっての方向へ投げ飛ばした。
「あー、何か甘いもの食べたくなっちゃったなぁ」
 ホットケーキ焼こうか、なんて白々しい台詞を吐きながら次のボウルへ手を伸ばす。ニシがゆっくりと顔を上げたが私はあえて目を合わさないようにした。この状況を打破すべく何か話さなきゃと思うけど、ちょうどいい言葉がみつからない。
 私はただ、鉄板とのにらみ合いを続けるしかなかった。

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