3 合流編
 あいりはアキからの着信に息をのむ。衣咲はあいりにも会話が届くようすぐに通話をスピーカー状態に設定した。
「……アキちゃん?」
 衣咲の声は緊張で一杯だ。あいりも彼女の第一声が気がかりで、画面に釘づけになる。次に放たれる相手側の声を拾おうと耳を澄ませた。
 が――
「あなたがこの電話の持ち主を善意で探そうという気持ちは分かります。でも、感情抜きで考えたらそれって勝手に携帯の中覗いたことになりません? そのせいで向こうに不信感や不快感を与えてしまうこともあるんです。貴方だって、見ず知らずの人に『あなたの友人の携帯拾ったから電話してみた』と言われた時、素直に信じますか? それと同じことです。そういうわけで、とにかく携帯動かすの止めてもらえますか?」
「そういうことなら分かったけど――でも」
「でも?」
「もう電話かけちゃって、相手出てるんだけど」
「えぇー」
 会話の中にアキらしき女性の声はない。男性二人のやりとりは間抜けなコントにも聞こえた。
 それにしても、とあいりは思う。二人の男の声の一方をどこかで聞いたような気がするのだ。
 一体誰だろうとあいりが考えあぐねていると、当の本人からもしもし、と話しかけられる。
「あの、突然電話してごめんなさい。実はこちらの携帯を拾って、うっかり操作をしてしまって――あの、怪しまれてしまうのも何なのですがええと……とにかく明日ちゃんと警察に届け出しますので。もし携帯の持ち主に会う機会がありましたら、電話会社から連絡が来るまで待ってて下さいと伝えてもらえませんか?
 あの、本当に怪しいものじゃないんです。僕、警察官じゃないんですけど警察で働いていまして、名前を甲斐といいまして――」
「甲斐?」
 あいりは思わず声を上げ衣咲の携帯をぶんどった。声を聞いたせいか向こうで、あれ? という素っ頓狂な声が上がった。きっとあちらもどこかで聞いた声だなぁ、と思っているのだろう。予想外の人物の登場にあいりが驚愕したのは言うまでもない。
 あいりは人差し指を眉間につきたてた。しばらく黙りこんだあとでもしや、と質問する。
「そっちは死体を見るとひっくり返る甲斐さんで?」
「ええと、そちらは鉄壁の巨じ――いや、刑事課の瀬田さんで?」
「さっき巨人って言いかけた?」
「いえいえめっそうもない」
 甲斐は携帯を持ったまま首を横に振ったのか声が割れている。その一言にあいりの顔がひきつった。甲斐が必死に否定する時は真実をついているのがほとんどだ。いっそのことセクハラで訴えてやろうかとあいりは思うが、ひとまずそのことは横に置くことにした。
 あいりが突然静かになったのが気になったらしい。甲斐があのぉ、と恐る恐る聞いてくる。
「この携帯、瀬田さんの家族の携帯なんですか?」
「家族とは違うんだけど――その携帯の持ち主を探してたの。それ、どこにあった?」
「うちの近所です。最初は子猫探してたんですけど、その正体が実は携帯で」
「は?」
「ええと、つまりですね」
 甲斐はこれまでのいきさつを説明しようとする。が、あいりはちょっと待って、と言葉を遮った。
「甲斐くんさえよければその話、どこか別の場所で話してくれない?」
「それは別に構わないですけど」
「じゃあ、署の近くまで来て。この間私とお昼食べた店、覚えてる? あそこで待ってるから」
「分かりました」
 じゃあまたあとで、そう言ってあいりは甲斐との電話を切る。携帯を持ち主である衣咲に返すと、ため息が広がった。
 最初は単なる人探しだったのに、まさかこんな所で甲斐と関わるとは思いもしなかった。
 中上のこともそうだ。偶然が運んだだけとはいえ、あいりは甲斐に妙な縁を感じてしまう。世の中なんてそんなものなのだろうか?
 あいりがなんとも言えぬ顔でいた次の瞬間、殺気にも似た気配を背中に感じた。振り返ると、衣咲が怖い目で見ている。おねーさま、と地を這うような声が耳に届く。
「なんなんですか今の話は。何でアキちゃんの携帯に『バカ犬』が出てくるんですかっ」
 衣咲が言う「バカ犬」とはもちろん甲斐のことである。バカと甲斐と犬を足して短縮させたものだ。まさかバカ犬がアキちゃん拉致ったとかないでしょうねぇ? 衣咲が目を爛々とさせながら詰め寄るものだから、あいりは違うって! といつもより大きな声を上げる。
「偶然彼女の携帯を拾ったんだって。で、うっかり携帯操作しちゃったって――」
「本当ですか? あのバカ犬、あいりおねーさまだけじゃなく、アキちゃんまで尻尾振ろうと考えてたんじゃないんですか? だったら許せない」
 そう言うと衣咲はあいりを追い越し、界隈の出口に向かってずんずんと進んで行く。
「どこ行くの」
「勿論バカ犬に言ってやるんです。私の邪魔するなって。おねーさま、これから店で会うんでしょ? だったら私も」
「あんたは家に帰りなさい」
「えーっ、バイト先なのにぃ」
「あんたの仕事は昼間だけでしょ。それに未成年を酒場にホイホイ連れてくわけにはいかないの。それとも私が警察クビになってもいいわけ?そしたら一生あんたのこと恨むからね」
 あいりの正論に流石の衣咲も反論の言葉を失う。まだ不服そうで口も尖らせていたが、結局衣咲はあいりの言葉に従った。
「ほら、駅まで送っていくから。ちゃんと家まで帰るのよ」
「はぁい」
 気のない返事が衣咲の口から漏れた。大人しく退散するかわりにあいりの腕にしがみつく。
「アキちゃんのこと、何か分かったらちゃんと教えて下さいね。約束ですよ」
「はいはい」
 のしかかる重みに耐えながら、あいりは相づちを打った。