ひょんなことから衣咲の人探しに付き合うことになったあいり。
 だが、それはのっけから災難を背負うことになる。
 衣咲の話によると、これから訪れる店は夕方五時からの開店だというのだ。
 それまでの間、あいり達は買い物で暇をつぶすことにする。嫌がるあいりを引きずり衣咲が訪れたのは彼女いきつけのお店だった。
 試着室で身ぐるみ剥がされたあいりはハンガーにかかっていた服を片っぱしから着せられた。逃げようものなら店員が三人がかりであいりを抑える。結局あいりは真夏の太陽が傾くまで着せ替え人形をさせられる羽目になったのである。
「本当、おねーさまって何でも似合うんですねぇ。これなんか素敵。もう最高」
 サカエ界隈までの道の途中、スマホの画面を見ながら衣咲ははふぅん、とため息を漏らす。あいりがいろんな服を試すたびにカメラで撮っていた衣咲は新たなコレクションが増えてとても嬉しそうだ。
 あいりはいーさーきーぃ、と恨めしそうな声を上げる。
「その店に入るのにこんな準備必要なわけ?」
「だって、シングルズバーなんて、私にとって未知の世界なんですから。ちょっとはお洒落しなきゃあ」
「だからって、私もこんなダークスーツでキメなくても……」
「さっきのおねーさまの格好じゃドレスコードに引っかかってお店に入ることもできません。それに、おねーさまには衣咲をエスコートしてもらう義務があるんですっ」
 衣咲の言葉には前半説得力があったが、後半は意味不明だ。シングルズバーというのは男女の出会いを楽しむ場ではなかったのか?
 しばらく歩いて行くと、繁華街のアーチが見えてくる。そこをくぐれはサカエ町だ。
 目的の店、シークレットベースは大通りから一本離れた道沿いに店を構えていた。
 案内人は長身のあいりを見て一瞬体を引く。でもすぐに会員の方でしょうか?と聞いてきた。とっさに衣咲が答える。
「こちらの会員ではないのですが、お店に入ることはできますか?」
「会員ではないお客様も夜九時まででしたら席をご案内することができますが」
「じゃあそれでお願いします」
 余裕たっぷりの口ぶりで衣咲が頼むと、案内人はあいりたちを店の奥へと案内した。
 店内を巡るのはジャズの調べ。小さな舞台にあるグランドピアノは酒を楽しむ人の傍らに寄り添って、その出番を待っていた。
 決して広い店内ではないが丸みを帯びたテーブルや椅子が茶系で統一されていてとても落ちついた雰囲気だ。照明も洒落ている。最初はテーブル席に案内されたが、あいり達は店員との距離が近いカウンター席を希望した。
 開店してそんなに時間がたってないせいか、客足は少ない。あいりと衣咲の他は奥のソファー席に男女二組のカップルとカウンターに男が一人いるだけだ。
「どのお酒を飲まれますか?」
 バーテンダーに促され、あいり達はメニューを手にする。すると衣咲が酒に手を出そうとしたので、あいりがすかさずメニューを取りあげてビールとウーロン茶を注文した。
 飲み物が届く頃、バーテンダーとは別に中年の男性が声をかけてきた。
「本日は当店にご来店頂きありがとうございます」
 その口ぶりからして、目の前の人物がこの店の主だとすぐに分かった。 「お二方はこのお店に来るのは初めてだと聞きましたが」
「ええ。実は私達、ピアノ弾きのアキ――さんという方を探しているんです。今度こちらの店でピアノの弾き語りをすると聞いて来ました。今日は出勤していますか?」
「――あんたら、アキの友達か?」
 突然店長の口ぶりが変わる。そのドスの効いた声に衣咲がひるんだ。
 店長は店を訪れた理由が気に食わなかったのだろうか? そう思い、あいりがすかさずフォローを入れた。
「その、彼女とは友達と言うか、知り合いのようなものでして――」
「アキならここには来ない。この間客に暴力をふるったから出入禁止にしたんだ」
「嘘。アキちゃんがそんなこと――」
「あの、よかったら詳しい話を聞かせてもらえませんか?」
 店長の話によると、彼女は一週間前にピアノを弾きに現れたという。でも演奏を途中で止めてしまうと、ある客に話が違うと怒鳴ってつかみかかった。彼女は側にあった酒をグラスごと投げつけ、店をめちゃくちゃにしたらしい。客は彼女の行動に怒り、その場で会員退会の手続きをしたのだという。
 相手の客はこの店の常連で、気前よくこの店にお金を落としていった――いわゆるVIPだった。その人物は彼女の弾くピアノを心酔していて、彼女もそれを聞いて最初は喜んでいたそうだ。温厚な関係が続くと思われた二人の関係だが、何故こうなったかは店長自身も分からないらしい。もちろん、彼女が何処に居るのかも分からないし、匿ってもいないそうだ。
 ひととおりの話を聞いたあいりは駄目元で本題を切り出した。
「あの、アキさんの連絡先って分かりますか? 最近顔を見なくなって私達も心配しているんです。それと、アキさんともめたっていう客の名前とか住所とか分かると助かるんですけど……退会したってことは以前ここの会員だった方ですよね?」
「そうだけど。でも個人情報だから教えるわけにはいかないよ」
「――ですよね」
 あいりは予想していた切り返しに嘆息する。今日は非番だ。ここで身分を明かして情報提示を迫ったら職権乱用になってしまう。
 さてどうしたものか。
 あいりは考えを巡らせた。迷っているだけでは時間が過ぎてしまう。やがて店長がしびれを切らした。
「アキを探しに来ただけなら帰ってくれないか? こっちはあの子のせいで常連客を失った。正直その話をするだけで気が滅入るし腹が立つんだ。それに――」
 店長は視線をあいりから逸らすと、衣咲を睨んだ。
「あんた。服や化粧でごまかしてるけど未成年だろ? ここは子供の来る所じゃない。さっさと帰れ!」
 厳しい言葉に衣咲は体を強張らせる。何か言いたげだったが、あいりはそれをやんわりと諭した。
「もう帰ろう」
「でもぉ」
「最初に言ったでしょ。店の中を覗くだけだって。本人がいないならここにいる理由はない。それに」
 店長は荒っぽい喋り方をするけど、話の筋は通っているしオトナとコドモの境界線をきちんと引いている。怪しげな店が展開している中、店長はこの界隈では珍しい、良心のある人だとあいりは評価した。詳しい内容を聞きたいのは山々だけど――あいりは後ろ髪を引かれながらも店長の言葉に従うことにした。
「そちらの気分を害してしまったなら申し訳ありません。でも、私達もアキさんの行方を探していて――心配しているんです。もしアキさんがこちらを訪れるようなことがありましたら、連絡を下さい」
 あいりはカウンターにあったナプキンを一枚抜きとると、衣咲の持っていたペンで携帯の番号を書く。自分の名を添え店長に渡そうとした――その時だ。
「君、もしかして瀬田あいりさん?」
 カウンターで飲んでいた男に突然話しかけられ、あいりは息を呑む。
 年はあいりよりも少し上だろうか。あいりは当然、見覚えがない。なのに何故名前を知っているんだ?
 あいりが豆鉄砲を食らったような顔をしていると男はやっぱり、と呟く。
「前に見た写真そのまんまだ。でも本物の方が凛々しい顔をしている」
「あの、どなたでしょうか?」
「瀬田さんの噂はこっちでも絶えないからね。甲斐は元気にやってる?」
 そう言って男はにやりと笑う。知っているものの名を聞いた瞬間、少しだけあいりの緊張の糸が緩んだ。
「甲斐くんの知り合い――なんですか?」
「そう。あいつの二年先輩」
 男の返事にあいりはへぇ、と感嘆の声を上げる。甲斐の先輩ということはこの人も警察事務官なのだろうか。
「今の話耳に入っちゃったんだけど――何? 人探ししているの」
「ええ、まぁ」
 歯切れの悪い返事をする私に男は小さく唸ると、店長のいるカウンターへ向き直る。そして次の瞬間信じられない言葉を聞いた。
「店長ーこの人俺の知り合いだから客の情報教えてあげて。責任は俺が持つから」