新しい朝 【オンライン文化祭-2010-】参加作品)

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 ――機械音が私の脳を刺激する。


 私は無意識のまま腕を伸ばした。うつぶせの状態で音を止め、目覚まし時計を握る。うっすら目を開けてみるとデジタル表示が五時二〇分と教えてくれる。
 この家の中は動いていない、とても静かな時間帯。
 でも彼は誰時(かはたれどき)はすでに終わり、太陽はゆっくりと昇り始めていた。上昇する気温のせいでこの国特有の湿気が肌に張り付いてくる。汗は出ないけど寝起きにこれは気持ち悪い。
 夏は嫌い。
 暑いのにいっぱいいっぱい我慢しなきゃいけないから。
 起きるのは嫌。
 また辛いことを思い出してしまうから。
 もう何もかも投げ出したい気分。 
 本当、何もしたくない。
 まだ眠っていたい。
 ――そうだよ。まだ夏休みだし、そんなに急がなくてもいいじゃない。
 私の中にある「怠け」がそう囁きかける。
 ――でも、ミナが自由でいられるのはこの時間だけしかないよ。それに、昨日が辛くても今日はいいことあるかもしれないし。
 そう、私の中にいる「希望」が私を戒める。結局勝つのは後者だ。それも理由は「そうかもしれない」につきるんだ。
「動かなきゃ……」
 私はひとりつぶやく。重たい頭を無理やり起こした。
 目をこすり、おぼつかない足で洗面所に向かう。ぼおっとした頭を冷水で戒める。部屋に戻って着替え、薄っぺらいトランクを手に外へと繰り出した。
 家の扉を開ければ、目の前に古めかしい建物が現れる。
 築三桁はあるだろう木造は本殿といわれ、いわゆる神の住処とされていた。ここに祭られているのは豊穣の神。たまに私はそれに使える――巫女という役目を負う。それは神社の家に生まれてきた女子が一度は関わる宿命ともいえた。
 私はひとつあくびをしてから本殿の表側に向かう。視界に広がってくるのは大きな鳥居とそれに負けない銀杏の大木。神がいつも見守っているせいか、境内には清々しい空気が流れている。まさに聖域と呼ぶにふさわしい場所だった。
 私は銀杏の下に場所を取ると、トランクの錠を解いた。中から出てきたのはもう何年も使い古したフルート。私は手にしていた楽器を唇に寄せる。一度音出しをしてから旋律を奏でる。曲目はペールギュントの「森の朝」だ。
 私は指を動かし、音を落とす。そらで覚えたメロディを追いかける。
 ゆったりとした朝の風景を映す曲は私のお気に入りだった。朝起きて、ここで吹くのが私の日課。毎日同じ曲で始めるせいか、この曲を吹くだけでその日の調子が分かる。
 今日は指の動きが軽かった。高音時に出る呼吸の乱れも少ない。先週のぐだぐだぶりに比べ、だいぶ上向きになった気がした。
 最後の小節を終えると、ちょうど裏のお寺から鐘が鳴る。午前六時の調べが町中に広がると、それを合図に蝉の声が響き始める。今日も暑くなりそうだ。 
 この周辺は徳川時代から続くお寺がぽつぽつと建っていて――いわゆる寺町として栄えてきた場所だ。最近は新しい家やマンションが建ったせいで、街の雰囲気は昔とだいぶ変わったらしい。だけど旧道から外れた小路――通称寺町通りは当時の面影をかろうじて残していた。
 寺と寺をつなぐ石畳は極楽浄土へつながる道のようだ。有名どころではないけどたまに寺巡りをする観光客を見かける。昔みたいに寺を回ってお札を集める人もいるようだ。
 私は神社の娘ではあるけれど、歴史がひっそりと埋まっているこの街が好きだった。石畳を踏むたび、お寺を見つけるたびに独特の風を感じる。住んでいる人達の会話の中に粋という文字が浮かぶ。そんな和の空気をまとったこの風景が好きだった。

 ――ふいに木々がざわめいた。

 私は何かの気配にはっとする。
 振り返ると、樹齢二百年を超えた銀杏の木が私を見下ろしていた。青々とした独特の葉が一部分だけ揺れている。ちょうど枝の分かれ目のあたりだ。小さい頃はそこまで木のぼりをして親をひやひやさせていた。
 私は目を凝らす。人影を一生懸命探すけど――ざわめきの正体がすずめだと分かってがっかりする。
 ちょっとだけ。もしかしたら――と思ったのに。
 私の口から小さなため息がこぼれた。
 しばらくぼおっとしてからフルートを一旦下ろす。その先にある鳥居を見やるとパグ連れの人と目が合った。おはよう、と声をかけられる。
 恰幅のよいおじさんは裏にある寺の住職だ。その人は朝のおつとめを済ませたあとで、犬の散歩に出かけるのが習慣になっていた。
 普段は素通りしているが、今朝みたいに目が合うと私に挨拶をしてくれる。今日もパグとセットで近づいてきた。
「今日も練習に精が出てるねぇ」
「おはようございます……あの、朝から楽器鳴らしてて迷惑になってませんか?」
「大丈夫大丈夫。家族もまわりも、みんな心地よく起きれるって言ってるよ」
 毎日お経を読んでいるせいか、おじさんの声はよく通る。ちょっと怖そうな顔つきだけどにっと笑うとお寺にある仏像と同じになるから不思議だ。
 お世辞なのかもしれないけど、そう言ってもらえると嬉しい。
 私はお礼のかわりに、足元にきたパグを――「きんつば」をなでてあげた。いかつい顔の割に人懐こい小型犬は触れると嬉しそうに鼻を鳴らしてくる。
「そういえば市民ホールの演奏会に出るんだって? いつ?」
「来月の祝日です」
「じゃあ、ミナちゃんが素晴らしい演奏ができますよう祈っておこうか」
 そう言っておじさんは小銭を賽銭箱へ投げ入れた。鈴ががらり、がらりと音を立てる。型どおりの二拝二拍一拝。
 何だろう。お坊さんが神さまに願い事って、見ていて異様だ。それに――
「神さまってあてにならないですよ」
 私は思わずつぶやいてしまう。
 おじさんの好意を無下にするような言い方をしてしまって申し訳ないとは思った。
 でも、最近神に覚えるのは違和感というか、不信感。
 この神社で私は「ただあるがままを生きることが大切だ」ということを教わってきた。
 この世には人の想像を超えた神々の計らいがある。その中をただ自然に生きることこそが大事なのだと。だからこの世界、宇宙にあるすべてのもの、それに宿る神さまを尊敬するとともに恐れなさいと言われている。
 確かに、この世には私たちの想像を超えた出来事がある。私もこの間、身をもって知った。
 私は銀杏の木をもう一度見渡す。私が求めている気配はやはり――ない。
 もしかしたらバチが当たったのは自分の方だったのかもしれない。もう私の願いすら聞いてもらえない――そんな思いさえ走ってしまう。
 神さまなんて嫌いだ。
 神さまは私たちをいつも助けてくれるわけではない。常に高い空から見ているだけだ。
 いつだってこちらの誠意に応えてくれるわけじゃない。必ずしも結果を引き連れてくるわけじゃない。神の加護を得て気持ちは安らぐかもしれないけど、それってぼったくりじゃない? なんて思う事がある。
 本当、ちゃんと仕事しているのかどうかも怪しい。
「神さまって私たちの為に働いてるわけじゃないんですよね。祈祷したって事故に遭う時は遭うし、病気になったりするし。神さまの計らいって言ったって気まぐれで奇跡に近いし。時々むかつく」
「おやおや、ミナちゃんがそんなこと言うのは珍しいね」
 私の発言におじさんは興味津津そうな顔をした。
「神さまを否定するなんて、何かあったのかい?」
「そういうわけじゃないけど……その、何と言うか。おじさんだって仏さまに思ったことないんですか? 自分の信じているものを疑ったりしない?」
「うーん、どうだろう」
 おじさんは大きな体を曲げ、その場にしゃがみこむ。足元に転がる物体を軽々と持ち上げた。 
「神さまと仏さまも似ているようで全然違うからね。神さまは昔から国や地域や種族を『守る』ためにいるけど、仏さまは個人の――ひとりひとりの魂を『救う』ためにあるわけだし」
 きんつばをもてあましながら、おじさんは言う。
「生物はこの世に生まれて、老いて、病気になって死を迎える。これはどうしようもない流れなんだ。そして、あらゆる生命は悟りを開かない限りこの世の中をずっと巡ることになる、と言われている。これを輪廻、と仏教では言うんだけどね」
「りんね……」
「私たちは沢山の迷いから解放されるために修行を積んでいくんだ。仏教においての『救い』は神さまや奇跡といった超越的な力で決まるものじゃない、生きている間に生命ひとつひとつがどれだけ頑張ったかで決まるんだと言っている――こう考えてみると神さまとは全然違うでしょう?」
 おじさんの解説に私はこくりとうなずく。 
 そっちの方が素敵だと、素直に思う。
 神社の娘がそんなことを思うなんてバチ当たりかもしれない。
 けど私は辛い時に物体にすがるよりも、自分の努力が実を結んでくれるのだという考え方が好きだ。
 だから信じたい。
 いつか、この悲しみが優しさに変わることを――