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 その後、聡さんは意識を取り戻したそうだ。
 本当はあたしもお見舞いに行きたかったんだけど、やっぱり会わないほうがいいと思って、病院に行くことはなかった。
 あの時、聡さんの側にいたのはお姉さんだと思わせたままにしたかったから。
 あたしは聡さんのお姉さんになりきったけど、気持ちは同じだったかもしれないけど。
 所詮は偽物なのだ。
 いつか気づかれてしまうだろう。
 その時、あたしは聡さんの側にいる自信がない。
 聡さんもあたしに怖い思いをさせたことに、ずっと負い目を感じてしまうだろう。
 ……これでよかったんだと思う。
 学校では髪切り魔逮捕に騒然としていた。
 でも校務員の存在が薄かったというのと、自殺騒ぎが放課後で目撃者が少なかったせいか、事件と聡さんと結び付ける人はいないようだった。
 しかもマスコミは、聡さんが未成年であることから名前の公表はしていない。
 先生方は、話題を逸らすかのように文化祭への準備を生徒たちに促している。
 聡さんの弁護は、パパの事務所の人たちでやってくれると言う。
 このように、事件の後始末はあたしのまわりの人達がきれいに片付けてくれた。
 すべてはこれで幕を閉じようとしていたんだけど。
 ひとつ、気になっていたことがあった。
 それが解決したのは一か月後のこと。
 休み時間、特別棟への移動中。
 いつか神崎君にキスされた渡り廊下で、あたしはその人物と久々に顔を合わせた。
「吉田先生」
 しばらく休暇を取っていたって聞いたけど。
 聡さんの逮捕後、先生が学校を辞めるというウワサが広がった。
 まさに寝耳に水の話。
 でもよくよく考えると事件前後の言動があまりにも怪しかった。
 怒ったと思ったら心配して、冷やかしたと思ったら反対してと矛盾もいいところ。
 それをお姉ちゃんに言ったら、お姉ちゃんは機嫌を悪くした。
 その理由はというと。
「先生は髪切り魔の正体をいつから知ってたんですか?」
 あたしは一番聞きたかった疑問を先生に投げかける。
 普通に、授業で質問するように。
 先生は一瞬言葉を失ったようだけど……
 すぐに立ち直った。
「俺は刑事が音の話をした時、木下が聞いた音が砂張の類じゃないかと思っただけだ」
「さはり?」
「青銅だよ。ブロンズって言った方が分かりやすいのかな?」
 ブロンズって…
 あたしは中庭にいる少女を見据える。
 いつか、その話を3人でしたことを思い出す。
「青銅ってのは銅とすず、鉛の合金で、すずの割合が多いほど高い音が出る。寺の鐘や仏具の材質であるし、その性質を利用した楽器もある。砂張は青銅の中でもすずをたくさん含んだものだ……あいつは水道の鍵をなくさないように腰に引っかけてたよな。鍵は銅像の色と同じものだった。そしてスペアの鍵は事件以降、明日美に持たせてた。もし銅像が砂張でできていて、鍵のスペアも以前から肌身離さず持っていたらって考えたんだ」
 腰に下げた2つの鍵がぶつかって奏でられる音がどういったものか。
 お寺の家に生まれた先生は容易に想像ができたという。
「もし、あいつが木下が去った直後に屋上へ行ったのなら、明日美を見つける前に何か見ているんじゃないかと思って……聞いたんだ」
「聡さんは、何て?」
「何も見なかった、って。笑っていたよ。俺はあいつを信じることにしたんだ。結局、あんなことになってしまって……」
 自分の気持ちを先生は冷静に話そうとしている。
 生徒の手前、感情を押し殺しているのだろう。
 話を聞く限りウワサは本当なのだと、あたしは思う。
 聡さんを最後まで問いつめなかったことを、先生は後悔しているのだ。
「七年前……あいつの姉さんは俺の教え子だったんだ」
 誰も知らなかった事を初めて先生は教えてくれた。
「俺は弟が里子に出される話を聞いていたんだ。まさか弟がこの学校の校務員になるとは思ってなかった。たった一人の身内を亡くしても立派に生きていると知って、安心してたんだけどな。でも、あいつの明日美を見ている姿を見て……髪を結っている事を知って、姉と重ねて見ているのに気づいた。まだあいつの中で事件は終わっていないと思った」
「だからやめておけ、って言ったんですね」
 悔しいけど、先生の読みは当たっていた。
「あいつ、髪切り魔は髪をきちんと縛っていれば襲われないって言ってなかったか?」
「はい」
「あれは当時の犯人がそう言ったんだ。世の中の秩序に対して潔癖すぎた犯人でさ。その言葉があいつを責め続けていたんだと思うと……不憫でならない」
「それは先生も、でしょ?」
 言葉に囚われていたのは聡さんだけじゃない。
 今なら分かる。
 先生が髪を縛らないあたしに厳しくしたのも、昔の教え子と同じ悲劇にあって欲しくなかったから。
「でも叩いたのはひどいと思う」
「……悪かった」
 あれからきちんと髪を縛っているんだな、先生があたしのおさげを見て言う。
 自分が注意したからじゃないことを、先生は知っている。
 これは自分でいられる小さな魔法。
 自分自身に迷わないためのおまじない。
 ……北風が中庭を駆けめぐる。
 秋桜の姿はもうない。
 聡さんが残した傷跡も、最初からなかったように刈り取られている。
 華やかさを失った花壇は冬の訪れを静かに待っていた。
「……悪いと思っているなら先生続けたら?」
 風の音に言葉を乗せる。
 自分でもこんな事を言うとは思わなかった。
 ここに花の種を蒔こう。
 そして毎朝水をあげよう。
 何でもいい、今からでも咲く花を探そう。
 先生を置き去りにしたまま、あたしは図書室へと向かう。
 歩いていく。
 追いかけるように、結った三つ編みのおさげがあたしの両肩を優しくたたいていた。(了)

               
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