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 1 魂を抜かれた少年

 僕は全速力で校舎につながる廊下を走っていた。前にはダイスケとマサトが同じように走っている。だが、小柄で足が速いマサトはいいとして、太っちょのダイスケが僕より前を走っているのはどうしてだろう。同じ十二歳でも差がありすぎるじゃないか。しかも僕は二人にどんどん離されていく。僕は焦った。あの時誘いになんか乗るんじゃなかった、今更ながら後悔する。

「なぁ、学校に幽霊が出るってウワサ知っているか? みんなが授業を受けている時間、誰もいない体育館でピアノの音がするんだって。しかも体育館に入るとその音は消えるんだ。そしてピアノを見るとそこには昔自殺した生徒がいて、ハナコさんって言うんだけどさ。それを見た奴はそいつに魂を持ってかれちゃうんだって。それ、見たくない?」

 ダイスケの好奇心に乗った僕とマサトは授業をサボってそれを確かめに行った。
 確かにウワサは本当だった。
 誰もいない体育館でピアノの音がする。曲はよくわからないけど、とても綺麗なメロディ。舞台の上にあるピアノはカーテンのせいで先端しか見えなかった。弾いているのが誰なのか分からない。好奇心から僕は体育館の中へ一歩踏み出した。きし、と床が音を奏でた。
 ピアノの音が止んだ。僕はどきりとする。ケンのばか、マサトの言葉が耳を突き抜けた。しまった。魂を抜かれるかもしれない、僕らを恐怖が襲った。
「逃げろっ!」
 ダイスケのかけ声を合図に僕らは逃げ出した……そして現在に至る。
「あっ」
 渡り廊下の段差で僕は転んでしまった。コンクリートの地面に右膝が着く。
「いってぇ」
 僕はゆっくりと起きあがった。ダイスケとマサトの姿はもう見えなかった。裏切り者。泣きたい気持ちをおさえる。おそるおそる後ろを振り返るが、何も追ってこないようだった。僕はホッとした。改めて自分の膝を見る。だらだら血が流れていた。
「保健室にいかなきゃ」
 ひとり言と一緒にため息が出た。
 保健室に入ると、いつもいるはずの先生はいなかった。この場合、職員室まで先生を呼びに行かなきゃならない。僕は途方にくれた。授業サボったことも言わなきゃならないのか、そう思うと気持ちが重かった。傷がずきんずきん、今更になって痛み出す。
 仕方ないと思い、僕はくるりと踵を返した。するとすぐ目の前に女の子の顔が。思わず、
「わっ」
 と叫んでしまった。
 女の子の体がびく、と揺れる。肩まで伸びたさらさらの髪。くっきりとした二重にほどよい大きさの鼻。唇がぷるんぷるんしている。
頬がりんごのように赤いのをのぞいたら、けっこういい線かも、と思う。学校にこんなかわいい子がいたなんて気が付かなかった。ケガを忘れて僕がぼおっとしていると、女の子が僕の足を見て、うわ、と短く叫んだ。
「足、ケガしたの?」
 女の子が聞く。僕がそうだよ、と答える間もなかった。女の子が僕の腕を引く。
「座って。手当するから」
 女の子は僕を保健室のいすに座らせると、薬品が並んでいるワゴンを引っ張り出した。ピンセットでコットンをつまみ、一度洗浄液のラベルのついたビンの中へ浸してから僕の膝へ乗せる。
 ものすごい染みた。ずきんずきん痛む。
「痛い?」
 心配そうに女の子が僕の顔を覗きこむ。大きな目に吸い込まれそうになった。やばい、全然どころか最高にかわいいじゃん。心の中でもう一人の僕が悲鳴をあげる。
「だい、じょうぶっ」
 思わず強がったものだから、消毒液もたっぷりつけられてしまった。その後黄色い液体をしみこませたガーゼを膝の上に乗せ、更にガーゼと油紙でおおってテープで止められる。
「すごいね。看護婦さんみたい」
 手ぎわのよさに僕がほめると、
「前の学校で保険委員やってたから」
 と、女の子は言った。転校生なのかな、と思う。
 長い机に置かれたランドセルに目がいった。キーホルダーにR・Kの文字。開かれた教科書の内容は鎌倉時代だった。そのページは僕も見たことがある。
「君、六年生なの?」
 女の子がうなずく。
「僕と同じだね。どこのクラス?僕は一組なんだけど」
 女の子は黙り込んでしまった。言いたくないのかな?そういえば、いじめとかで教室に出られない生徒が保健室で勉強しているのをテレビで見たことがある。それなのかな?こんなにいい子なのに。
 その時、保健の先生がやってきた。先生は僕の膝を見て驚いた。
「なに。ケガしたの?」
 僕はうなずいた。
「さっき渡り廊下走っていたら転んじゃったの」
「授業中なのに? さてはサボったな」
「ごめんなさい」
「転んだのはその罰ね。それにしても、ずいぶんきれいに手当てをしたのね。自分でやったの?」
「ううん。あの子が」
 と、振り返ったが女の子はいなかった。机にあったバックも教科書も消えている。驚いた僕は部屋中を探し回るけど。
「いない……」
 開いた窓からそよそよと吹く風。カーテンが揺れていた。
 その後、女の子を捜したけどR・Kのイニシャルを持つ転校生はいないし、六年生のどのクラスにもいなかった。保健室で勉強している生徒はいないと、先生も言っていた。
 僕がこの話をすると、ダイスケやマサトは大騒ぎした。
「それ、ハナコさんだよ! 絶対そうだって」
 話はあっという間に学校中へ広まり、新たな伝説となってしまった。
 僕が保健室で会ったのは本当にハナコさんなのかもしれない。けど、ウワサに出てくるような悪い人には見えなかった。もしかしたら幽霊じゃなくて、人間なのかもしれない。そんな気がした。
 人間だったらまた会えるかな。そしたらきちんとお礼を言おうと思う。
 ケガの手当をしてくれてありがとう、って。

               
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