閑話休題
0 日常≦非日常
私はゆっくりと目を覚ます。現実の世界に戻った後もしばらく呆けていた。
脳裏に留まるのは踊る兎の姿。ずいぶん懐かしい夢を見たもんだな、と思う。あれは――去年の文化祭じゃなかったっけ?
私は体を起こし代わり映えのない部屋の中をぐるりと見渡す。壁にかかっていたカレンダーの日付を見て、ああ、と言葉を漏らした。
そうか。ヤツが私の前に現れてもう――半年にもなるんだ。
あれから私はめまぐるしい日々を過ごしていた。日常もさながら、イベントの時でさえ気を抜けない状態になっている。
ヤツを巡る体育祭とか、修学旅行で二人だけ置いてけぼりにされたとか――思い出は尽きない。そしてそのどれもが私にとっての災難としか言いようがなかった気がする。それらは全て日常≦非日常の数式を描いていた。
私は寝ぼけまなこをこすりながら立ち上がる。閉じたままのカーテンを開くとまばゆい光が私を取り囲んだ。いつもと変わらない日常の始まりだ。
私は記憶の底へ過去のあれこれを突っ込むと、パジャマを脱ぎ捨てた。制服を着こみ、バックを持ったまま洗面所に向かう。のんびりと髭を剃っている父親を押しのけて歯を磨き、顔を洗う。ついでに髪の毛を整えれば完成だ。その間五分ほど。
私はバックを引っ提げて家を出た。庭に置いてあった自転車にまたがり駅へとペダルを漕ぐ。駅につくと、すぐさま電車にすべりこんだ。
今日はいつもより一本遅い電車だ。
このままだと学校に到着するのは始業チャイムの二分前位になるかな?
そんなことを思いながら私は電車の中を過ごす。
学校の最寄り駅で下車する。階段を降り改札を颯爽と抜け――と思ったら早速難が訪れた。
出た先でニシがおはよう、と声をかけてくるではないか。
ヤツの俺様的な口調に私の体が自然と強張った。
「……どうしたの? こんな所で」
「見てのとおり、今日は俺も電車を使ってみた」
「あっそ」
私はニシを素通りする。すると追いかけたニシが芸人ばりに私の頭を叩いてきた。
「いったー、何すんのよ」
「お前はそれしか言えないのか。登下校は黒塗りのベンツがデフォの親友が公共機関を使ったんだぞ。おかしいと思わないか?何かあったって思わないか?」
「思わない。つうか、私はあんたを親友と思ったコトなんて一度もないんですけど?」
私の一撃にニシが吐血する。HPが相当削られたらしい。ニシがうずくまる。でもすぐに立ち上がった。
「ふふふ、そうか。分かったぞ。お前は俺を試しているな? そうやってそっけない態度を取って俺の気を引こうとしているんだ。そうだろう?」
そう言ってニシは私の肩をつつく。その指先からかまって欲しいビームが延々と流れている。ああ、うざいったらありゃしない。
(心の中で、だけど)はっきり言おう。こいつは疫病神だ。それも最上級の。迷惑極まりない疫病神だ!
この目の前にいる勘違い男――ニシは年商数十億を稼ぐ某財閥の御曹司である。
ヤツはどういう気まぐれか、私ら庶民と同じ公立高校に通っている。そしてどういうわけか私を親友と呼び、つきまとっている。
私にとってヤツの言動は迷惑万全でストーカーとしか思えないのだけど、外からは私たちのやり取りは漫才にしか見えないから困ったものだ。
その証拠にクラスの皆からは東西コンビと呼ばれている。それに調子づいたニシは今もこうやって相方気取りをしているのだ。
――って、説明している場合じゃない。こんなのに付き合っていたら遅刻してしまう。
私は近道を通ることにした。一本奥にある、細い路地裏を抜けて行く。ニシがあとからついてきたけど、それは徹底的に無視した。
すると突然目の前に人の壁が立ちはだかる。私は通せんぼをくらってしまった。
「おーっとっと」
目の前にいるのはスウェット姿に刺繍入りのスカジャンをまとった男たち。目だけがやたら鋭くて、いかにもヤンキーですといわんばかりの立ち姿だ。
彼らはいやらしい笑みを浮かべながら私にこう問いかけた。
「そこの人達、ここ通りたいの?」
「――そうだけど?」
「じゃあ通行料払ってもらえるかなぁ?」
「通行料? ここは公道でしょ? そんなの払う必要ない」
明らかなカツアゲに私は眉をひそめる。こんなのは無視するべしと私は素通りを決め込むけど――ふいにニシがこんなことを言い出した。
「通行料が必要なのか? いくらだ?」
「十万円。お兄さん払ってくれるの?」
ヤンキーがふっかけた金額にニシはそれだけでいいのか? なんて言っている。
確かに、ニシにとって十万ははした金のようなものだろう。
世間知らずの御曹司の台詞ににヤンキー達が笑った。
ニシが上着のポケットに手を入れる。このままだとニシはお金を渡してしまう。でも私は不思議と危機感を感じてなかった。その理由は簡単。「彼ら」がそれを許さないからだ。
次の瞬間、風が抜ける。黒スーツの集団が私達の前を通り過ぎた。彼らはヤンキー達を抱え、建物の奥へと消えて行く。黒スーツの彼らはニシのボディガードだ。彼らは武道のスペシャリストで傭兵経験もあるらしい。この先の展開は――まぁ、想像にお任せしとこう。
拉致られたヤンキーたちよご愁傷様、今度カツアゲするときはもっと別の人を選んでね。
私は彼らに向かって手を合わせると、即座にニシから離れた。
――このように、ニシと一緒にいると何かしらの事件に巻き込まれる。
誘拐暗殺は日常茶飯事。カツアゲはまだ可愛い方だな。この間なんか街中でバズーカ―をぶっ放されて洒落にならなかったし。
その他にも決死のカーアクションに連れ込まれたり、軟禁されたり、強盗に襲われそうになったり――これじゃ命がいくつあっても足りない。
「あのさぁ。いつものように車で行ってくれない?」
私はニシに頼んだ。お願いだから私を巻き込まないでよ、と願いを込めて。
だが、そんな私の気持ちなどヤツは気づかず、正反対のベクトルへと想像を広げる。今日も空気を読まない回答が返ってきた。
「そうか。お前は俺の車に乗りたいのか。それは大歓迎だぞ」
嗚呼、誰か。この勘違い野郎を何とかしてくれ。
そんな思いをこめて私はニシの頭を思いっきりはたいた。