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ヒガシの「ハレ」はニシの「ケ」(文化祭編)


2 そんなにも私をクロにしたいのかよ

 次の日、私は重たい足取りで通学路を歩いていた。時々ポケットから携帯を見てはため息をつく。それを何度か繰り返していると名前を呼ばれた。振り返ると久実がこちらに向かって歩いてくる。朝の挨拶のあとで、例の件はどうしたの? と聞いてきた。
「とりあえず知ってる限りの友達にメールは送って、サイトにも削除頼んだ」
「そっか。ナノちゃん自分で解決しようとしてたから心配だったけど――よかった。誤解解いたんだね」
 私の報告に久実はすっかり安心してたけど、当の本人はよかったかどうかも分からない。
 今朝、私は携帯に登録されている友達全てメールを送った。届いているかどうかわからないけど、私に関する不適切なメールは悪戯だからすぐに削除して、といった内容だ。
 おかげで私の携帯は今も震えっぱなしだ。大半は「了解」とか「嫌な思いしたね。元気出して」といった励ましメールだったけど、中には電話してくる子もいて、事の詳細を聞きたがって困ってしまった。
 削除依頼の件もそうだ。昨日家族が寝静まった頃を狙ってリビングのパソコンを操作したけど、途中水を飲みにきた母親とかちあわせて理由を取りつくろうのに苦労して、もう散々。
 私はパソコンで酷使した双璧をしょぼしょぼとこする。どうも目が乾いて仕方ない。頭がすっきりしないのは明らかにあの動画サイトのせいだ。
 メールを送るにあたってガイドラインを読んだわけだけど、某の動画サイトは一分間に数十時間以上もの動画がアップロードされるらしい。明らかに違反だというものはすぐ削除するけれど対応には時間がかかると書いてあった。
 今回のは(合成とはいえ)未成年の飲酒喫煙が撮られているから数日中に削除はされるのだろう。でも私としては一刻も早く消えてほしい。
 ああ、誰だよ。こんな馬鹿なことをしたの。見つけたら一度ぶん殴ってやるんだから!
 怒りと不安と切実な願いを抱えながら私は学校へ向かう。教室に入っても久実は私の気持ちを察してかチャイムが鳴るまで側にいてくれた。私のメールを受け取ったクラスメイトも大丈夫だよ、と励ましてくれる。彼女たちの言葉は温かい。私にとって唯一の救いだ。
 やがて始業のチャイムが鳴る。
 すぐに先生が教室に現れ、教卓に立った。一日の始まりの挨拶が交わされる。
 ウチの担任は三十を超えている眼鏡男子だ。童顔で愛嬌があるので生徒からは割と慕われている。
 今日もその舌っ足らずの口から今日の予定や連絡事項が伝えられた。こうしていつものHRが滞りなく終わる――そんな時だ。
「ああ、ヒガシさん。ちょっと来て」
 いきなりの呼び出しに私はどきりとする。黒板を見れば担任が私にっこりと笑いながら手招きをしていた。優しい顔に私はちょっとだけ胸をなでおろし、席を立つ。
「何ですか?」
「このあと僕とお話しようか?」
 まるで小さい子どもに語りかけるように担任が言ったので私はえ? と思う。担任の眼鏡がきらりと光っていた。
「ちょっと違う場所に行こうか。次の授業の先生にはもう話してあるから。ね」
 口調はいつもと同じなはずなのに、嫌と言わせないようなオーラが担任に漂っている。私の頭の中に最悪のパターンがよぎった。
 まさか。そんなことないよ……ね?
 私は一生懸命否定を続けながらあとをついて行ったけど、悪い予感は見事的中した。話し合いにと担任が選んだ別室がパソコンの実習室だったからだ。そこには先客がいて、厳しい表情でマウスを動かしている。私の姿を見つけるなり鋭い睨みを利かせた。
「あの……お話って何でしょうか」
 私は恐る恐る問いかけた。そのマウスが変なサイトとか開かないように、と願いながら。
 担任はくるりと振り返ると実はね、と話を切り出した。机に置かれた包みを私に見せる。紺のブレザーに赤いタータンチェックのスカートはうちの制服だ。
「これはヒガシさんの?」
 担任に聞かれ、私はビニール袋に包まれた制服を手に取ってみた。
 確かにサイズは丁度好さそうだけど――けどこれが自分のものかどうかは分からない。
 確認のため私はビニールを剥いでブレザーの襟を返した。懐のポケットに私の苗字が刺繍されている。確認のため胸ポケットを探ると見慣れた生徒手帳が出てきた。開くと冴えない顔の私が目に飛び込んでくる。
「これは私の――ですね」
 確かに私のだ。昨日の今日で出来上がりがやけに早いな。自宅に送る話じゃなかったっけ?
 私が制服を見ながら不思議そうな顔をしていると、ずっと黙っていた学年主任の先生が口を開いた。これが何処から届けられたものだと思う? と聞いてくる。私は一瞬だけ口ごもったけどすぐに暁学園ですか? と問い返す。
「昨日暁学園の文化祭に行ったんですけど制服を汚してしまって――だからクリーニングに出してもらったんですけど」
 私は事情をかいつまんで説明する。何故か学年主任に鼻で笑われた。
 え、何今の。
 あからさまな嘲笑に私はむっとする。
「何が可笑しいんですか?」
「あーいや。もっと上手な嘘はつけなかったのかな、と思っただけだ」
「私は嘘なんかついてないですけど?」
 嫌みったらしい言い方の学年主任を私は睨む。すると不穏な空気を悟った担任があのね、と口を挟んできた。しごく穏やかな口調で私に説明する。
「これ、ホテルに泊った客の忘れ物なんだって。気づいた従業員がウチの卒業生で――こっちに連絡して届けてくれたんだよ」
 それを聞いた私は何で? と思う。他の学校に預けたはずの制服が何でホテルの忘れものになってるんだと。
「一体どういう事ですか?」
 私は担任に向かって尋ねる。するとそれはこっちが聞きたいな、と学年主任に返された。
「ホテル側の話によれば制服があった部屋は五十代の男性が泊っていたという話じゃないか」
「え?」
「しかもその夜はヒガシと言う名の女子高生と親密そうに部屋に入っていったのを別の従業員が見ていたとか」
 ちょ、ちょっと待って。何なのよそれは。
 暁学園に置いたはずの制服がホテルに置き忘れてて、そのホテルに私がオッサンと一緒にいて――つまり私ってば、援助交際の疑いをかけられてるってわけ?
「そんな馬鹿な事あるわけないじゃない!」
 私は思わず声を荒げた。
「何それ、どうしたらそんな話になるわけ? ありえないんですけど」
「じゃ、その男性とは何の関係も――」
「ないに決まってるでしょ!」
「だよねぇ」
 私の声を聞いた担任がほっとしたような表情をした。ほらやっぱり、と言いながら学年主任に食いつく。
「彼女はそんなことをするような子ではないって言ったじゃないですか。そんな真っ向から疑うのはどうかと」
「でもホテル側はヒガシだと言い切ったんですよ。生徒手帳の写真と同じだって。それはどう説明を?」
「それは――」
 担任は言葉に詰まる。私を必死にかばってはくれたけど効力はすぐ切れた。
 学年主任の尋問はまだ続く。
「念のために聞いておくが、昨日の夜九時以降は何をしていた?」
「家にいましたけど? なんなら親に聞いてみますか?」
 私は直立不動のまま、握った拳に力をこめる。私の回答になるほど、と学園主任は頷いた。
「それは残念だな。アリバイがないということは、夜更けに抜けだすことも可能だということだ。それに家族の証言は信用性が低い。ということでおまえの言う事は信用ができないな」
 何それ。刑事ドラマの見すぎじゃん? 聞いてりゃ最初から私のこと一方的に疑っているし。そんなにも私をクロにしたいのかよ。
 ああもう、馬鹿馬鹿しくてやってらんないわ!
「とにかく、私は何もしてませんので」
 失礼します、と言って私はくるりと踵を返す。教室に戻ろうとするとすぐに学年主任が追いかけた。待て話は終わってないと言いながら私の腕をぐっと掴む。歪んだ視線がぶつかった瞬間、私は思わず悲鳴を上げた。
「何するのよっ!」
 私はその手を振りほどこうと思いっきり体を翻す。すると反対の腕が振り子のように動いて学年主任の鼻にヒットした。しかも拳で。
 ぐへ、という声と共に中年男の体が床に転がる。その伸びた鼻からつう、と出てくる赤いものに私は一瞬の爽快さを覚えた。が、すぐに我に返る。
 どうしよう。不可抗力とはいえ、先生を殴っちゃった。
「あ……の」
 私はこの場に居合わせた担任を覗き見る。担任はふるふると首を横に振ると、ご愁傷さんといわんばかりに私の肩を叩いたのである。

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