６　大切にすべきものは

　国境の町にたどりついてから数日後。
　とうとうカチカチくんは自分だけの型を作り上げることができました。
　最初はどんなカタチ迷っていたカチカチくんでしたが、ユキちゃんに出会ったことで、何かがふっきれたみたいです。
　その一方で、カチカチくんは自分に時間がないのを体で感じとっていました。
　自分を覆うビニール袋がまたひとまわり大きくなっていたからです。
　おそらく。この袋がはじけたとき、カチカチくんは空気になってしまうのでしょう。
　カチカチくんの中に不安や恐怖が襲ったのはいうまでもありません。
　そんな時、カチカチくんはユキちゃんが登っている山を見ることにしました。
　自分のカタチを手に入れるためにがんばっている人が他にもいる。
　それはカチカチくんに元気と勇気をあたえてくれました。
　自分自身の気持ちに。消えてしまうかもしれない現実に。
　負けたくない。
　負けたくない。
　

　カチカチくんは型が出来あがると、すぐさま北の国に向かいました。
　北の国はカチカチくんがいた氷の国とは違い、地面がやわらかい雪で覆われていて、移動するのに苦労する場所なのだと宿の主人はいいました。
　それを聞いたカチカチくんはユキちゃんと同じ、完全防備の体制で国境の山へ臨みます。
　背中には世界にたったひとつの自分の型を背負って。
　カチカチくんを治してくれるお医者さんは北の国でも、雪山を右手にみたはずれの街にいるとのことなので、カチカチくんは常に山を右に見えるように歩きました。
　足を何度もとらわれながら埋もれそうになりながら、小刻みに休憩を取り半日歩き続けたカチカチくん。
　ゆっくりとですが着実に前に進みます。
　すると――
「何だろう、あれ」

　カチカチくんは、雪の表面に光るものを見つけました。
　カチカチくんが近づいてみると、そこには見たことのある防寒服の色と、パラシュートらしき残骸がありました。
　雪に埋もれたパラシュートの傍で何かが光っています。
　それはとても綺麗な結晶をもつ――
「ユキちゃん？」
　山に登ったはずのユキちゃんだったのです。
　雪に埋もれ、ぐったりとした様子のユキちゃん。体は氷のように冷えていました。
「ユキちゃん、ユキちゃん！　しっかりして！」
「あれ……君……は」
　カチカチくんの声にユキちゃんはうっすらと目を開けます。
「どうしたの？　一体何があったの？」
　カチカチくんに抱き起こされたユキちゃんは、寒さのせいかひきつった笑みをのぞかせました。
「あの山からダイビング――したのはよかったんだけど……気流が変わっちゃって……着地失敗……しちゃった」
　言葉をとぎらせるユキちゃんの体は寒さのせいで震えていました。
　外はちらちらと雪が降り始め、風が徐々に強くなってきています。ユキちゃんの体もどんどん冷えていきます。
　カチカチくんは焦りました。
　このままじゃユキちゃんの命が危ない。
　ユキちゃんを暖かくて安全な場所へ運ばなくては――
「待ってて。いま助けるから」
　そう言ってカチカチくんはパラシュートの布でユキちゃんの体をおおいました。
　そして彼女をおんぶしようとするのですが――
「あっ」
　カチカチくんは愕然としました。
　カチカチくんの背中には自分が作った型が占領していたからです。

　今ユキちゃんを背負ったら、この型は重すぎて手には持てない。
　型を捨てたら自分の命もあとわずかになってしまう。

　カチカチくんは迷いました。
　けど、どちらかを選ばなきゃならないのです。
　ユキちゃんの命と。自分の命と。
　ふと、旅の途中で出会った社長の言葉が思い返されました。
「わしらはいつも『正義の味方』じゃないんだ。他人の為に自分を犠牲にするなんてばかばかしい。守るのは自分の大事な人達だけで十分なんだよ」
　自分の命はとても大切です。
　消えたくはない、と思っていたカチカチくん。
　かといって目の前で倒れているユキちゃんを見すごすわけにもいきませんでした。
　カチカチくんは型を背負っているひもをぎゅっと握り締めます。
　長い時間迷い続けます。
　すると――
「大丈夫だよ……先、行って。私は……大丈夫」
　ユキちゃんが言いました。
「その型でカタチ作る、でしょ？　私はもう――自分の目的果たしたし。この吹雪が止めば……なんとか」
「でも！」
「袋が膨張してる……時間ないんでしょ？　――行きなよ」
　寒さの中ユキちゃんはやさしい笑顔をしたのでした。
　カチカチくんを責めることのない笑顔、許したような笑顔。
　その笑顔にカチカチくんはハッとさせられました。
　カチカチくんは決断します。
　カチカチくんは型を雪の大地にあっさりと捨てました。
　ユキちゃんは驚きの顔をかくせません。

「このままユキちゃんを背負っていく」
「けど！」
「このままユキちゃんを置いていったら、ユキちゃんは許せるかもしれないけど、僕は自分を許せなくなる。カタチを取り戻して生きていったとしても後悔する。
　前ね、ある人に『自分たちは正義の味方じゃないから、自分の大切な奴らだけ守ればいい』って言われたことがあるんだ。
　それは間違ってないと思う。だから自分を大切にしようって思った。
　でも、もっと大切なのは『そう思う気持ち』なんだって。今気づいたんだ。
　僕は今まで自分の意見を言うことはなかった。人の言うとおりに生きるのが上手な生き方だって思ってた。でも実際は違った。調子を合わせて生きていたらこんなんなっちゃって。どっかで無理が生じてたんだと思う。
　カタチ作るために今まで旅してたけど、いろんな街にいろんな人がいて。いろんな意見を聞いてきた。みんなそれぞれ譲れない意志を持っていた。僕も自分を大切にするって意志を見つけた。
　けど……」
　カチカチくんはユキちゃんを背負いました。
「命と同じくらい、自分の気持ちを大切にしたいって思った。何かに反発することになっても。間違ってても。僕は僕が後悔しない選択をしたい、って」
「……自己満足……って言わない？　それ」
「そうだね。僕はバカなのかもしれない」
　そう言うカチカチくんにユキちゃんはうっすら笑います。
「それで……いいんだね？」
「うん」
　カチカチくんはすべての荷物を置き去りにすると、ユキちゃんを背負って歩き始めました。
　ビニール袋が風船のように膨れ上がってきているのを感じていましたが、カチカチくんは、ひたすら前へ前へと進みます。
　ユキちゃんを背負っている分、足は更に深く雪に埋もれました。
　雪を含んだ強い風に何度吹き飛ばされそうになりました。
　それでもカチカチくんは弱音を吐くことなく、黙々と雪道を歩きます。
　少しして、カチカチくんの体が熱くなってきました。
　寒い大地では体が冷たくなるはずなのに異常な熱さ、ビニール袋はもうパンパンで、やけどをした時のような痛みが走ります。
　ちょっと触ったらすぐにでもはじけてしまいそうです。
　おそらく……その時がきたのかもしれません。
　それでもカチカチくんは歩くのを止めませんでした。
　せめて、ユキちゃんが助かる暖かい小屋が見つかるまでは足を止めない。
　うすれゆく意識の中。その気持ちだけがカチカチくんをささえていました。
　負けたくない。負けたくない。
　自分の気持ちにだけは。
　そして――
「明かりが……見える」
　ユキちゃんの言葉にカチカチくんの体がぴくりと反応しました。
　吹雪の中、目をこらしてみると、確かにオレンジ色の灯火が見えます。
　綿をかぶった木々の合間に山小屋見えました。
　煙突から吐き出されたけむりが風に流されています。見る限り、誰かが住んでいそうな雰囲気です。
　カチカチくんは最後の力をふりしぼり、小屋の扉の前にある小さな階段を昇ります。
「よかった……私たち、これで助かるね」
　ユキちゃんが喜びます。カチカチくんもにこっと笑います。
　ユキちゃんを助けたことに、この上ない喜びを感じていたカチカチくん。
「よかった……もう大丈夫」
　そこでカチカチくんの意識がとぎれてしまいました。
　カチカチくんはドアの前にある小さな階段に転がり落ちます。同時にパーン！　とはじける音がしました。
　カチカチくんがしていたビニール袋が破裂したのです。
　カチカチくんが選んだ赤いリボンは吹雪とともに遠くへ飛んでしまいます。
　壁にもたれこんだユキちゃんは驚きました。
「え……？」
　放心状態のユキちゃん。
　そして、破裂音をきいた家の住人が「何事だ？」とドアを開けました。
　それは本来、カチカチくんが尋ねるべきお医者さんだったのですが――
　お医者さんがカタチを作りなおす必要はありませんでした。
　だって、カチカチくんのカタチはすでにできあがっていたのだから。


　カチカチくんは夜空に光る星のカタチをしてました。
　それはカチカチくんが望んだ――世界でたったひとつ、自分だけのカタチ。
　ビニール袋が破裂したのは、自然にできたカタチが袋に収まりきらなくなったからみたいです。
　ユキちゃんも、お医者さんも目の前の出来事にびっくりして、言葉も出ませんでした。
　一方カチカチくんはというと――
　長い時間、雪の中を歩き続けてへとへとになったのでしょう。倒れたまま、眠りについてしまいました。
　心地よさそうな呼吸がこちらまで届いてきます。
　いい夢でも見ているのでしょうか、その寝顔はとても穏やかでした。(了)