topnext




 1 旅立ち

 氷の国に住むカチカチくんは品行方正。真面目に礼儀正しく生きていました。
 カチカチくんは人に合わせるのが上手です。
 あちらで誰かが「外で遊びたい」と言えば「じゃあ外で遊ぼう」と言います。
 他の誰かが「家にいたい」と言えば「今日は静かに過ごそう」と言います。
 相手の気持ちが一番だから、自分の気持ちを押し売りすることは絶対しません。
 なので、みんなからはとてもいいひとだと、いわれていました。
 優秀な成績で学校を卒業したカチカチくんは、とある会社で働きはじめます。
 最初はとても順調でした。
 カチカチくんは会社の人たちに好かれたくて、たくさんの仕事を覚えました。
 偉い人に認められたくて、人が嫌がる仕事もどんどん引き受けました。
 人に合わせて、上手に生きてきたカチカチくん。
 すると不思議なことが起きました。
 カチカチくんの体が熱をもちはじめ、その一部が溶け始めたのです。
 でも、カチカチくんはそんなことに目もくれませんでした。
 ちょっと体重が増えたので、ダイエットにはちょうどいいと思っていたくらいです。
 自分の体のささいな変化を見逃したことで、カチカチくんの熱はどんどん上がっていきます。
 そしていくつもの夜を超えたある日の朝、事件は起こりました。
 ベッドから起きると、カチカチくんの体が蒸発して消えていたのです!
 心は「ここ」にあるのに姿は見えない。
 カチカチくんはパニックになりました。
 家族も友達も、カチカチくんがすぐそばにいることに気づきません。
 誰からも声をかけてくれません。話しかけても返事がかえってきません。
 それはとてもとても悲しいこと。
 もしかしたら、何かひどい病気にでもなったのかもしれない――
 そう思ったカチカチくんはあわてて病院にかけこみます。
「お願いです、助けて下さい」
 病院に入るなり、カチカチくんは大声で訴えますが、カチカチくんの体は透き通ってしまっていて他の人に見えません。
 お医者さんも、病院にきていた他の患者さんもカチカチくんの前を通り過ぎるだけです。
 カチカチくんはありったけの声で叫びました。
「僕に気づいて下さい! お願いです。助けて下さい!」
 カチカチくんはお医者さんのまわりをぐるぐると回って風をつくりました。
「お願い、気づいて」
 すると、お医者さんは目の前にカチカチくんがいたことにようやく気がついてくれました。
 お医者さんは消えたままのカチカチくんの体をビニール袋でおおって応急処置をします。
 ビニールの端が縛られると、カチカチくんの輪郭がぼんやり浮き上がりました。
「これで他の人にもあなたの姿が見えるようになりますよ」
「本当に?」
 カチカチくんはまわりの様子を伺います。
 すると突然あらわれた患者に看護士さんが驚いているのがわかりました。
 自分の姿が見えると知って、カチカチくんはほっとします。
 お医者さんはカチカチくんに聞きました。
「一体何がおきたのですか?」
「僕にもわかりません。起きたら消えていたんです」
「そうですか……ああ、ビニールだけでは心もとないから、目印代わりにこれをつけるといいでしょう」
 そう言ってお医者さんはポケットから何かを取り出します。
 手のひらに乗せられたのは赤いリボンと青いリボンでした。
「どちらを選びますか?」
 カチカチくんはそれぞれのリボンをちらりと見てから、お医者さんを見上げます。
「先生はどちらの色が似合うと思います?」
「私は……青がいいかな」
「だったら青にします」
 カチカチくんの答えにお医者さんは「ふうむ」と唸りました。
「なるほど。あなたが何でこうなったのか、なんとなく分かりました。原因はあなた自身にあるようですね」
「え?」
「どうやらあなたには自分の『カタチ』がないらしい」
 お医者さんの言葉にカチカチくんは目を丸くします。
「今、あなたは青を選びました。私の意見だけで決めましたよね?」
「それは――」
「あなたは自分の意見を持ってらっしゃらない。今まで人に合わせて、気を使っていたせいで体が溶けたのでしょう。このまま変わらずにいたらあなたは空気と一緒になって、この世界から消えてしまいますよ」
「そんな」
 カチカチくんは今にも泣きそうな声をあげました。
 別に悪い事をしたわけではないのに、こんな目にあうなんて思いもしなかったからです。
 カチカチくんは「どうしたら治るんですか?」とお医者さんに聞きました。
 お医者さんは答えます。「簡単です『カタチ』を作り直せばいいのです」と。
「みんなそれぞれ自分だけの『カタチ』を持っています。あなたはこれからその『カタチ』を新たに作り直さなければならない。
 遥か北の国に『カタチ』を固め直してくれる専門のお医者さんがいます。あなたは自分だけの『型』を作って、そのお医者さんに自分の『カタチ』を固めてもらいなさい」
「わかりました」
 お医者さんの言葉にカチカチくんは大きくうなずきます。
「さて、あなたはどっちの色を選びますか?」
 お医者さんは再び問いかけます。
 それぞれの手ににぎられた赤と青のリボン。
 ちょっと考えてからカチカチくんは赤いリボンを選びました。
 青色も素敵だったけど、本当は赤の方がカッコイイと思っていたのです。
 カチカチくんは絞られたビニールの結び目にリボンをくくりつけました。
 ひらひらと揺れる赤色がカチカチくんの存在を知らせます。
 カチカチくんは病院を出ると、すぐさま北の国へ行く準備をはじめました。


 こうしてカチカチくんの「自分のカタチを作る」旅が始まったのです。

               
topnext