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 あいりを残し外に出ていた甲斐は通話状態になっている携帯に耳をあてた。
「どーしたんですかこんな時間に。そっちはまだ仕事なんじゃないんですか?」
「残念ながら、今日は休みなんだなぁ〜」
 昔からの聞きなれた声に甲斐は小さくため息をつく。
 甲斐に電話をかけてきたのは中上だった。向こうも外から電話をかけているのか雑音がする。
「時間ある? ちょっと会いたいんだけど」 
「今人と会っているのでまた今度にしてください」
「ふーん。その相手はずばり『鉄壁の巨人』ちゃん?」
 いきなり言い当てられ、甲斐はぎくりとする。なんでそれを、と呟くと受話器の向こうから中上の笑い声が聞こえた。さっき行きつけの店で会ったんだよ、と楽しそうに答える中上に甲斐は驚きを隠せない。あいりがそのことを口にしなかったから尚更だ。
「彼女独身でしょ? 最初は婚活かなんかだと思ってたんだけど、店長との話こっそり聞いたら人探ししてるっていうじゃん。面白そうだから少し首突っ込んじゃった」
「先輩は余計なことはしなくていいです」
「心外だなぁ。俺は人助けしただけなのに」
「先輩の人助けは偽善でしょうが。まさか、瀬田さんに変なこと言ってないでしょうね?」
「さあ、それはどうでしょう?」
 逆に問い返され甲斐は頭を抱えた。中上がこんな切り返しをする時は、何かやらかしたと言うのがほとんどだ。本当中上と関わるとろくなことがない。一体何をあいりに吹きこんだというのだろう。
 甲斐が口を尖らせていると、携帯からまぁ冗談はこのくらいにして、と声が聞こえる。
「その探し人について彼女に伝えておいてほしいことがあってさ。直接かけると不審がられるし、だからおまえに電話したんだよ」
「で、伝言は何ですか?」
「それがだな」
 中上は一旦そこで言葉を切った。咳払いをひとつ聞いたあとで、ちゃんとメモしとけ、と言われる。
 甲斐はポケットから無地の手帳を出し、空白の頁を開いた。携帯を顎と肩で支えペンを取って準備を整える。
「まず、アキと揉めたという白鳥って男、周りには羽振り良く見せていたようだがありゃ嘘だ。手掛けてるアーティストが億単位の借金抱えてその肩代わりをしてたらしい。実際コイツの経営してる芸能プロダクションも今年に入って一度不渡りを出していた。その後、その借金抱えたアーティスト――tooyaって言うんだが、そいつが出したCDが売れたおかげである程度は返済できたという話だ。でも、一部ではそのCD自体が怪しいとの声も出てる」
「何でですか?」
 甲斐の質問に中上はひとつの可能性を提示した。それを聞いて甲斐の表情が険しくなる。
「なんでそんな話が」
「まぁ、色々説は出てきたけど、共通してるのは前回のデビューCDから二年近く経っていることだな。一発屋でもこんなに時間をあけることは珍しいってさ。で、俺も気になってネットで調べてみたら、tooyaはここ一年音楽活動もろくにしてなくて、ファンクラブも事実上の休止状態だった。今回のCDが出るまでファンの一部ではtooyaが病気じゃないかと噂も出ていた位だ」
「そうですか……まぁ、tooya本人に色々あったとして、そこから復活したとは考えられません?」
 甲斐は希望的見解を述べてみたが、中上からはさぁどうだろうねぇ、と疑問形で返してきた。
「これは俺の経験から言えることなんだが。音楽にしろ何にしろ一度止めてしまったら止める前まで完全に戻すのにかなり時間がかかるんだ。それこそ血のにじむような努力が必要なわけ」
「はぁ」
「たとえ止めずに続けていたとしても成長過程で好みや癖が微妙に変化する。なのに、tooyaの演奏は昔と何ら変わらないという評価が多い。だから疑いたくなるわけだ。とりあえず俺が調べたtooyaの経歴をメールで送るから、それを煮るなり焼くなり好きにしてくれ」
「分かりました。情報ありがとうございます」
 じゃあな、中上の言葉を最後に通話は切れた。
 数分後、予告通りにメールが届く。甲斐はそれを開くと記されていたURLに飛んだ。tooyaの経歴にざっと目を通そうとして――大きく目を見開く。これは何かの偶然だろうか?
「確かめなきゃ」
 託された伝言を手に店内へ戻る。顔が強張っていたのか、カウンターに座っていたあいりにどうしたの? と声をかけられた。
 甲斐はカウンターに残ったウーロン茶を一気に飲み干す。そして瀬田さん、と声をかけ、あいりの目を見た。
「これから僕がすることに手を貸してもらえませんか? 確かめたいことがあるんです」