積み木ゲーム
机の上に積み木の塔があった。
俺たちは塔を崩さないよう、底辺から木片を取って更に積み上げていく。ひとつひとつ、神経を集中させて。
このゲームをしようと言い出したのは佐藤だった。
寒い冬の日の放課後。暖房の効いた教室にいるのは俺と佐藤の二人だけだ。今日は先生方の都合で全ての部活が休みとされている。
ついでに言うなら俺はこのクラスの住人ではない。誘われた俺はいわば暇つぶしの相手。
とはいえ、ゲームにも妥協しないのが俺の主義だ。負けたら罰ゲームが待っている。すでに俺の頬と鼻の下には渦巻きとちょび髭があった。
今のところ二戦〇敗――成績はあまり芳しくない。
底にある木片を無事に抜き取った佐藤に安堵のため息が漏れる。敵の俺は舌打ちして、佐藤がヘマをするようひたすら願っていた。崩れろ、と念を押しながら。
そして佐藤が積み木を慎重に乗せようとしたところで、俺は人の気配を感じた。
振り返った先にいるのは見覚えのある男――田辺だ。
俺は人差し指を口にあてて威嚇する。それは無意識の行動だったが、すぐに別のひらめきが降りてきた。
俺はもう一度ひとさし指を口元に当てると、佐藤の背中を示した。両手と口を大きく開く。意図を理解したのか、田辺がこくりとうなずいた。
田辺が近づく。忍び寄る影に佐藤は未だ気づかない。かなり集中しているのだろう。
じりじりと迫る人、天頂に重なろうとする木目、そして――
「わっ!」
頃あいを見て、田辺が声をあげた。
佐藤の口から飛ぶのははじけるような悲鳴。同時に、持っていた積み木が離れる。木目の長方形が不安定な塔の角にぶつかった。派手な音を立てて崩れていく。
塔が半壊したことで、俺はガッツポーズを決めた。
「よおっし! 佐藤の負けー」
「ふざけんな。負けはそっちだろ。驚かせるなんてずるい」
「どんな理由があっても負けは負け。つうか、おまえもさっき妨害しただろうが」
忘れもしない第一戦、佐藤は黒板に爪を立て、俺の集中力をそいだのだ。
あれはかなり耳に痛かった。
吠える佐藤に俺はふん、と鼻を鳴らす。正当な主張に、佐藤はまだ不服らしい。
「冗談じゃない……」
そう言って佐藤は机に置いてあったマジックを手に取った。だが、狙われたのは俺じゃなくて実行犯の方。
きらりと光る黒油に田辺が慌てる。
「ちょ、待ったっ。恨むのは俺じゃなくてそっちだろ」
「田辺があたしを驚かさなかったら、三連勝だったのに……何てことしてくれたんだ!」
「だって俺は久保に言われただけ――なあ?」
「俺、(体で示したけど)『言って』ないし」
「ひっで……久保の裏切り者っ」
「裏切り者はどっちだーっ!」
佐藤の甲高い声が教室をつんざくと、危機を感じた田辺が走りだした。マジックを持ったまま佐藤が追いかける。振動で、机やストーブの上にあるやかんが音を立てていた。
――そういえば、この二人の漫才を聞いたのは久しぶりな気がする。
隣のクラスの住人、田辺は部活でよく突き合わせる顔だった。
ひょうひょうとしていて世渡り上手。先輩や後輩をほめて伸ばすのが得意な男。そして目の前にいる佐藤に恋をしていた。でも、佐藤にはこっぴどい言い方でふられたらしい。
失恋の直後、慰め役に選ばれた俺はカラオケやらボーリングやらにつきあわされた。愚痴を聞かされ、泣きつかれ――部活でへとへとだったこっちはいい迷惑だった。それなのに、一か月もあっさりと新しい彼女に乗り換えたというから驚きである。
佐藤も佐藤だ。田辺に告られて少しは動揺するべき所なのに――
田辺をふった翌日、佐藤はけろっとした顔で部活に出ていた。その神経もどうかと思う。あの日、田辺の壊れっぷりを目の当たりにしただけに、その明るさが俺には理解しがたかった。まぁ、俺は部外者だから下手に口は出さなかったけど。
俺は鬼ごっこを続ける二人をぼんやりと眺めた。
田辺に彼女ができたことで、二人の間にはひととおりの区切りはついている。とはいえ、お互いに対する態度は告白前と全く変わらない。
お互いもう過去として水に流したのだろうか――
いや。
もしかしたらこの二人、固い鉄火面をかぶっているのかもしれない。
わざと明るくふるまって、気を使って、お互いを誤魔化しているとしたら。
「ふふふ……」
俺の悪戯心に火がついた。
「佐藤ぉ。罰ゲーム始めるぞお」
「え〜」
「ほら早く」
追いかけっこから離脱した佐藤がしぶしぶマジックを差し出した。
「じゃ、渦巻きとかにして。このあと電車で帰るから」
「いんや」
俺はにやりと笑う。
「気が変わった。佐藤、初めてキスした時の話をしろ」
「はあっ?」
「ああ、相手がペットとかってのは数に入れないからな」
「何それ。超セクハラ!」
「セクハラ結構。何せ俺は田辺に『セクハラ大魔王』の称号を得ているんだからな」
「それって自慢できることか?」
俺の開き直りに田辺が呆れた。やんわりとした口調は無意識の防衛線。田辺が佐藤をかばう前に、俺はあれえ? ととぼけた声をあげた。
「田辺は佐藤の恋バナ、興味ないんだ。彼女とのあまーい話でお腹いっぱい?」
田辺にむっとした表情が走った。彼女を引きあいにしたことで、複雑な心がちらりとのぞかせる。期待を裏切らないリアクションに俺はほくそ笑んだ。
佐藤がいじられるのはあくまで仮定、俺は田辺がどんな反応するのか見たいだけ。
俺は佐藤の答えに期待していなかった。というより、佐藤にそんな縁すらなかったと思えてならない。世間一般でいう女性らしさから程遠すぎる女だからだ。
佐藤の髪の長さは俺といい勝負のベリーショート、性格はいつだってまっすぐで大雑把。考えるよりも足が出るのが早いんじゃないかってくらいのせっかちぶり。悪い奴ではないが、どうも色気に欠ける。
「ほらほら、しゃべってしゃべってー」
タカをくくった俺は調子に乗って佐藤をこづく。佐藤はぐっと言葉を詰まらせた。
「それともまだ? 今までしたことない、とか?」
きっとそうだよな。過去にちゃんとした恋ができていたかどうかも怪しい所――
「……あるもん」
佐藤の低い呟きが衝撃波となって突き刺さる。
俺の体がよろめくと、半壊で済んだタワーが完全に崩れ落ちた。ふいにそらされた視線。よく見たら佐藤の顔は真っ赤に染められていた。
「キスしたこと、ある」
「マジかよ……つうか誰とっ!」
食いついたのは田辺ではなく、俺の方だ。
前もって宣言しておくが、これは恋とかそんなものじゃない。絶大なる好奇心だ。
その辺の野郎にも負けない、色んな意味でタフな女。こんながさつな天然記念物、田辺以外の誰が興味を――
「何してるの?」
突然声が割って入った。
教室に現れたのは佐藤の待ち人――足立だ。
漆黒の髪を持つ孤高の美女は別の意味で天然記念物と言えよう。内に秘めた毒はかなりのものだ。
穏やかな瞳が俺らを貫くと、沸騰しかけた教室が急に冷えこむ。足立は「進路実習の手引き」と書かれたプリントを持って立っていた。後ろに同じプリントをもった男を引き連れて。
親友の登場に佐藤が口をぱくぱくさせる。助けて、とでも言わんばかりの表情。だがそこに安堵は見られない。頬の赤らみもそのままだ。それを横目にしたあとで、足立が田辺に問いかける。
「何あれ? 死にそうな顔してるけど」
「佐藤が初めてキスした時はいつか、って話をしてた」
「は?」
「つまりはコレの罰ゲーム」
そう言って田辺は積み木のなれの果てを指した。
「仕掛けたのは久保だけどな」
おいおい、俺一人に責任なすりつけかよ。
俺は田辺をそっとにらんだ。
確かに言いだしっぺは俺だけど、止めなかったんだから田辺も共犯のはずだ。ここは連帯責任を負うべきだろう。
ただでさえ足立と絡むのは苦手だってのに――
ひとり心の中でごちてると、人を蔑むような眼差しが突き刺さった。俺に緊張感が襲いかかる。
足立は美人だが、黙っていても怖いから厄介だ。しかも、自分の気に食わないことにはとことん毒を吐き捨てるわけで――
「で、それを聞いて何になるの?」
案の定、足立から威圧感たっぷりの質問が返ってきた。蛇に睨まれた状態の俺はといえば、びくびくで答えるしかない。
「何になるって……コトない……けど」
「あっそ。田辺は? その話聞きたいわけ?」
「聞きたいっていうか――まぁ、罰ゲームは罰ゲームっていうか。なぁ」
って、そこで俺に同意を求めるんだよ。
俺は田辺の調子良さに呆れつつ、苦笑いを足立に向けるしかない。
「つまり、気になるってことだ」
低い声が教室に響き渡る。
足立は俺と田辺を交互に見つめていた。何かを考えるような仕草。もしかしたら、俺たちへの蔑みの言葉でも探しているのだろうか。
重くなった空気に俺の体が自然と体が強張ってしまう。この分じゃ答えは出ずじまいかも、と覚悟も決めたのだが――
「初恋の人」
足立があっさり喋ったものだから、俺は思わずええっ? と叫んでしまう。
何、そのお手軽さ。
「バス停で時間調べていたら突然されたって。葉月、前に言ってたよね?」
「え……」
「そうだったよね?」
無機質な声が教室に広がる。
佐藤は足立をじっと見ていた。そして一瞬、目を泳がせたあとで――うなずく。
今度こそ田辺が食らいついた。
「初恋って、いつ?」
率直な質問にまたひとつ沈黙が落ちた。過去を晒された佐藤は自分の殻に閉じこもってしまう。
そんな佐藤に、
「ああ、言いたくなければそれでいいんだ。無理に聞こうとは思わないし」
と田辺はやんわり続ける。そのフォローは何気にカッコいい。俺は田辺に少しだけ嫉妬しつつ、佐藤の反応を待った。
しばらくして、佐藤の唇が小さく動く。
「……小学校のとき」
「うわ。佐藤のくせに生意気。小学生で初チューかよ」
「それは――」
佐藤が言いかけ、止まる。少し間をおいてうるさい、と続いた。抑揚のない反発がふにゃりと床に落ちる。
「で? そいつとはどうなった? つきあったのか?」
「……」
「佐藤?」
「向こうが転校、しちゃった」
そう言って佐藤は顔をそむけた。もう、智己と目を合わせる気はなさそうだ。
沈黙も三回目となると、いい加減慣れてくる。
口を閉ざしてしまった佐藤は再び自分の殻に閉じこもったまま。そんな佐藤を田辺は静かに見守っている。二人を傍観するは俺と足立と他一名。
そして田辺が佐藤に何か言いかけようとした――その時だ。
耳元を音楽がかすめた。
この着うたは田辺の――
予想通り、田辺がポケットから携帯を取り出した。姿を現したことで女性ボーカルの声が急激に上がる。
「理恵からだ」
田辺の口から出てきたのは今付き合っている女の名前。
「はいはーい。俺だけど。どうした?」
田辺のテンションが急に上がった。佐藤に背を向け更に声をあげる。無意識のノロケは冷え切った教室の体温を徐々に戻していく。
――別れは突然だった。
「亜由美、行こ」
今までの流れをぶった斬るような声。佐藤が足立の腕をとって走りだす。
あっという間に目の前を横切る影ふたつ。最後に小さな物体が俺の視界をよぎった。足立の指に引っかかった鞄だ。ぶらぶら揺れるそれは無愛想な本人のかわりに挨拶をしている。
そして教室には野郎たちだけが残された。
「あれ? あいつらは?」
電話を終えた田辺が今更ながらに聞いてくる。
置いてけぼりの同類に俺は帰った、と答えるが――
「はぁ? 挨拶もなしかよ。あいつら最近態度悪すぎね?」
田辺は携帯をしまいながらひとりごちる。
俺はなんとも言えない気分だ。
足立はいつものことだからともかく、佐藤についてはそうさせてしまった非がこっちにあるだろう。
何だかんだ言いながら、佐藤の思い出を無理やりこじ開けてしまった。もしかしたら怒らせたのかもしれない。
罰ゲームとはいえ、少しやりすぎたかな。
俺は肩をすくめた。机にのさばる木片をひとつ積んで新たな塔を造ることにする。暇を持て余す俺は次の相手に田辺を選んでみるが――
「悪い。理恵と待ち合わせしてるんだ」
「あっそ」
俺は積み木を田辺に投げつけた。
「って!」
「悪い、手が滑った」
「んだよ。一人身の皮肉か?」
「うるせぇ。女がいる奴はとっとと帰りやがれ」
俺はしっしっと声を上げ、露骨に追い払う。もちろん冗談だ。
それを分かってか、田辺は苦笑しながら教室を立ち去っていった。
どいつもこいつも忙しいなあ。
そんなことを思っていると、ふいに鈍い音を聞く。振り返ると机を抱えている男がそこにいた。
どっかにつまずきでもしたのだろうか?
「大丈夫か?」
「ああ……」
取り残された男――青柳は最初、俺の中で印象の薄い男だった。だがそのイメージも徐々に崩されている。描いた文化祭ポスターは未だ俺の脳裏に刻まれていた。
紺碧の海に漂う人魚――
この男が描く世界は独特だ。巷に溢れる漫画やイラストとかで収まるものじゃない。美術館にあってもおかしくないレベルだと素人目にも分かる。
突起した才能は俺がどんなに頑張っても手に入らないものだ。
青柳が机を支えにして立ち上がる。その姿のとある変化に気づき、俺は思わず声をかけてしまった。
「おい、本当に大丈夫か?」
「え?」
「顔すげえ赤いぞ」
いうなればさっきの佐藤並みのタコだ。
青柳は自らの手を頬にあてた。周りとの温度差を肌で確かめたところで、青柳の口からうわ、と声が漏れる。
「保健室か病院行ったほうがいいんじゃね?」
「大丈夫。病気とかそんなのじゃない。ただ――」
「ただ?」
「いや……とにかく平気だから」
じゃあ、と言って青柳は早足で教室から出て行った。ふらつく足が心もとない。それでも最後に見せた何かを堪えるような唇の噛みしめ方が妙に印象に残っていた。
あれは……にやけていた?
あの男、熱にでもうかれたのだろうか。それとも――
「わっけわからねえー」
俺は首を横にかしげた。
教室に残されたのは野郎が一人と崩れた積み木。思えばこれを引っ張り出したのは佐藤のはずなのに、片づけるのはこのクラスの住人でもない俺。
どう考えても割が合わねえじゃねえか。
そんなことを考えていたらストーブの上に乗っていたやかんがぷしゅう、と音を上げた。
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