Yesterdey and Tomorrow
明日になれば今まで住んでいた町は市へと変わる。
町どうしが合併し、新しい市へと生まれ変わるのだ。
名前も新しいものへと変わる――といっても、群の名前が市になるだけの話。
それでも、合併の話は晴天の霹靂だった。
ここ数年実家に帰っても家から出ることが少なかったからだ。昔から最寄り駅も買いものも少し離れた繁華街に行くのが当たり前だったし、その生活がずっと染みついていた。
でも最近は大型スーパーが町内に何件も建てられ品ぞろえも豊富になってきた。道路が整備され、道の駅におろされた町の特産品は売れ行きもいいらしい。
その一方で昔ながらの自然や文化を伝える活動や歴史を掲示した博物館もできたという。
町が発展してくれるのは喜ぶべきことなのだと思う。
でも――
慣れ親しんだ名前。昔から私のなかにある故郷の名前。
それが地図上から消えてしまうのは――ちょっと淋しい。
――だったら変わる前にもう一度、この足で町を巡ってみるのもいいよな。
町の最後の日に行われた同窓会。酒の席で誰かがそんなことを言い出した。
最初はみんな、それも悪くないなと笑っていた。そのうちじゃあ、やってみよう、と本気で言い出す人が現れた。
――でもどうやって? うちらお酒呑んでるから車運転できないよ?
――チャリは?
――えー、うち、自転車もうないよ。車のほうが絶対便利じゃん。
――自転車も軽車両だろ? 飲酒運転じゃないのか?
――酔いなんて走っちゃえばすぐに醒めてくるって。
――危ないなぁ、というかそんな体力ないって。ねぇ、そう思わない?
――私は……やってみたい、って思う。
――え?
***
「もうすぐ日付け変わるね」
早紀が腕時計をちらりと見ながら言った。出発してからもうすぐ二時間かぁ、側にいた大悟の声が私の耳に届く。私の腕時計もデジタルの表示があと十数分でリセットされようとしている。
峠を越えた後の休憩時間。今は自販機の灯りがとてもまぶしすぎる。
「もうちょっとで明日、なんだね……」
「町が市に変わる瞬間――ってとこだな」
「みんなもう家に帰っちゃったんだろうなぁ」
「ったく、誰よ。こんなバカげた企画たちあげたのは」
その問いかけに私たちは口をつぐんだ。自然と言いだしっぺの人間に視線が集まる。
結局、企画に乗っかったのはクラスの中で一番目立っていた大悟と学年ナンバーワンの美女の加代子。お祭りが大好きな早紀と委員長だった光邦、そして私の五人だけだ。
飲み屋を抜けだしての強硬計画は自転車を手に入れることから始まった。
まずは同窓会の会場である飲み屋に近い光邦の家で自転車を借りる。自転車を漕ぐなんて、実に高校の通学以来じゃないかな。私は何年かぶりの感覚に戸惑いつつ、左右の腿に鞭をうって車輪を動かしていた。久しぶりに聞く蛙の声を背に夜の道を走った。
ここまでで町めぐりのコースは三分の一。光邦の家を出発たあと、大悟の家を通り――そして今、私の実家へ向かっている。先ほど地区の境である坂道とトンネルを超えたばかりだ。
ほどよく動いたのと、風の冷たさのせいで二時間前に吸収されたアルコールは抜けている。眠気もさっき自販機で買ったコーヒーのおかげで吹きとんでいた。
このぶんだと、町を一周する頃には夜が明けるかもしれないな。
ぼんやりと思いながら、私は視線を遠くに向ける。
すると大悟と目があった。彼がそういえば、と私に話題を振ってくる。
「確かこのへんって美里が住んでる地区だったよなぁ」
「うん」
「家ってどのへん?」
「あの青い明かりの所」
暗闇の先にある灯を私は指でさす。オリオン座のスピカのような青白い光。それが我が家の目印だ。
「へー。思ったより近い?」
「直線距離ならね」
そう言って私は苦笑する。
今は夜だから家のカタチは見えないけど本当は田んぼをよけるように道がくねっているから一キロ以上先にあるのだ。
昼間この場所に立てばそれがよく分かる。
小学生の時はここに立つたびにため息が漏れた。目の前に家が見えているのにそこまでの距離が長いこと。真面目な小学生としてこれほどもどかしいことはなかった。
大悟の口からそっか、と言葉が漏れる。
「こうしてみると美里の家って中学校からかなり離れているのな」
「そうだね……ここは町境だし中学まで六キロ近くあったかな? 早紀の家も似たようなもんでしょ?」
海と山に囲まれた故郷。中学校を中心に考えたら私の家は北西の端っこで早紀の家は南西の端っこに位置する。どちらも隣町との境にあたる場所。
大悟と話し続けてるのが気恥しくなった私は話題を早紀にふった――つもりだった。
私は早紀が反応してくれるのを待っていたのだけど――
「ていうか、中学校の場所が極端すぎだっての」
代わりにつぶやいたのは自販機に寄りかかっていた加代子だった。長く、つややかな栗色の髪がさらりと揺れる。
「ったく、誰よ。こんなバカげた企画たちあげたのは」
同じ言葉を加代子は繰り返す。でも加代子の労力は私たちに比べれば大したことはない。何たってさっきまで大悟の後ろに座っていたからだ。
光邦の家に自転車は確かにあった。だけど人数分あったわけではない。私たちは四台あるうちの一台を二人乗りすることでその場をしのいでいたのだ。後ろに乗る人間はじゃんけんで決めた。
昔は友達同士でよくやっていた二人乗り。
今はやっちゃいけないことだけど――今夜だけは目を瞑って下さいな。
そんな思いを片隅に私たちは町を散策している。
とはいえ急斜面の上り坂を自転車二人乗りすることは困難でもあり、さすがの加代子も自転車を降りた。そして約一キロの坂をとぼとぼ歩いて越えたのである。
「ほんっと乙女には優しくない町よね。今も昔も」
加代子の愚痴は続く。聞きながら、そういえば彼女の実家が早紀の家のすぐそばにあったことをぼんやり思い出す。
彼女は自販機で買ったコーヒーをちびちびと飲んでいた。そうすることで与えられた休憩時間を少しでも長く延ばそうとしているのだろう。それでも、缶に口をつける彼女の姿は私から見れば美しく、優雅に見えた。
「大悟や光邦は中学が近くなったからよかったけど、私らは最悪だったわね。冬なんか部活で帰る頃は真っ暗だし途中に遊べそうな店はないし、バスなんか当然ないし」
「そうそう。変質者とか出るからって防犯ブザー必須だったなぁ」
この時になってやっと早紀が話題に乗っかってきた。いつもならすぐに話に乗ってくる早紀だけど反応が鈍かったのは他でもない――水分補給に夢中だったからだ。しかも五百ミリのペットボトル二本目。運動能力と新陳代謝の高い彼女は私たち以上に水分を欲していたらしい。
「加代は昔っからこの町が嫌いって言ってたよね」
「そう。私はここから早く出たかった。だから私、高校は家から遠い私立を受験したの」
「それ、試験当日まで俺に話してくれなかったよなぁ」
わざと大きな声で大悟は言う。
「高校は実家出て親戚の家から通うって聞いた時、俺超ショック受けたんですけど。おかげで俺滑り止めの学校落ちたといっても過言じゃないんですけど。つうか当時付き合ってた俺の存在って何だったわけ?」
「何? まだそのことを根に持ってるんだ」
加代子が飲みほした缶をゴミ箱に投げ入れた。次に出てきたのはうっざ、の一言。
本当にうっとおしそうなぼやきに私はどきりとする。
「大悟って昔から器の小さい男だったよねー」
「何?」
「でかい事言う割に打たれ弱いし、人の目とか気にしちゃってさあ。だからあの時も話したくなかったのよ」
「るせぇなあ。俺だって筋通せば納得してたかもしれないじゃねえか」
「『してたかも』でしょ? ってことはどっちにしろ反対だったってことじゃない」
「うっせえな」
冷たいツッコミに大悟がむくれる。そこに茶々を入れてきたのは早紀だ。
「結局少女は純粋な少年の思いを踏みにじって夢と自由を探しに旅立ちました。残された少年は少女との思い出を胸にたくましく生きましたとさ。嗚呼、何とも甘酸っぱい。青春だねぇ」
直後、ぱしんという音が大悟の頭を抜けた。加代子が大悟の後頭部をはじいたのだ。
「ってーなあ。何で俺を殴るんだよ」
「あんた、私ばっか悪者にしてるけど、そっちはどうなのよ」
「はぁ?」
「あんたはバレてないって思ってるんだろうけど――知ってるんだからね。夏休みに男友達誘って女子高生ナンパしてたとかバレンタインに後輩からこっそりチョコもらってたこととか」
「あ、あれはいろいろ誘われて仕方なくて……つうか、そっちだって付き合ってた時俺との約束蹴って告ってきた男と会ってただろーが。友達と遊園地とか嘘ついてなかったか?」
「そ、それは……」
「しかも、ゲーセンで野郎に取ってもらったぬいぐるみを『誕生日プレゼント』だって言いやがったよなぁ」
「あれはあんたが私の誕生日プレゼントケチったから! あの髪留め、百均で売ってたやつじゃない」
「んだと? もらって『嬉しい』って言ってたのは何処のどいつだ? 町に百均できた時、はしゃいで毎日通っていたのは何処のどいつだ?」
「それを言うならマックで注文するのに最後まで噛み噛みだったのは誰かしら? ファミレスでドリンクバーの意味分からずにずーっと席に座ってたのは誰?」
ずっとたまっていた物が吐き出されたせいか、大悟と加代子のいがみ合いは止まらない。
すると二人のやりとりを聞いていた早紀がけたけたと笑いはじめた。
「あんたらって相変わらず面白いよなぁ。座布団あげたいんだけど、どっかにない?」
「あるかボケぇ!!」
大悟と加代子の声が見事に重なった。一瞬の静寂。一呼吸置いたあとお互いを見つめた二人が同時に咳払いをする。
「とにかく――行くならさっさと漕ぎやがれ」
加代子が大悟の乗る自転車のステップに足をかけた。やれやれというような感じで大悟がペダルを漕ぎはじめる――と思ったら、大悟はいきなり左斜め方向に走り出した。
土手の下にある、まだ干からびた田んぼへ向かって。
「ちょっとどこ走るのよ! やだこわいこわいこわいこわいーっ!」
がしゃん!
錆びた前カゴが揺れ、カゴ支えていたビスが一本抜けた。自転車のタイヤが土手の枯れ草を踏み荒らし更に加速する。ブレーキをかけずにそれは田んぼの中へ突っ込んでいった。加代子の悲鳴が夜の田園に響きわたる。
突然の出来事にこっちが面食らってしまった。
自転車は土手を滑り降りると、道路と平行に走るあぜ道を走り出す。
幅三十センチ、土の平均台。そのすぐ横には水の張った用水路。彼らは自転車倒れるのを今か今かと待ち受けている。でも大悟の運転はとても上手かった。
「すげーだろう?」
「いきなり何をするかっ。心臓止まるかと思ったじゃない!」
得意げに語る大悟に加代子は叱咤する。とはいえ、ステップから降りず大悟にしがみついたままだ。土手の上では早紀が腹を抱えて笑っている。
「あんたら見てると本当飽きないなー。っていうか早紀もそっちに行っていい?」
「うわ、こっちに来るな。来るんじゃねえー」
「それだけは絶対イヤっ」
二人の声が再び重なる。すると私の隣りでため息にも似た笑いが広がった。
「ほんっと、あいつらは変わんねぇよな」
苦笑する光邦に私はそうだね、と返す。
いつだってそうだ。言いだしっぺは大悟で、文句を言いながらもついていくのが加代子。面白いことに乗っかるのが早紀で光邦は保護者だと言わんばかりに見守っていて――
私はそんな彼らをはらはらしながら見ている。こうやって少し離れた所で。それが私達五人の指定場所でもあった。
自転車はなおもあぜ道を走り続けている。
狭くてでこぼこで、いつ滑り落ちてしまってもおかしくない道のり。でも大悟も加代子も笑っている。まるでこの状況を楽しんでいるかのように私には見える。
そう、二人が作り上げる世界に私は今も入り込めないでいる。過去に恋を知りすれ違い喧嘩して別れてしまっても。二人の距離は今も崩れていない。
それはお互いを信頼できる友達だと思っているからだろうか。
それとも――
私の想像はしばらくして固く、尖ったものへと変わっていった。
それはとてもとても小さなものだ。なのに私の心を鋭く刺す。
まるで蚊に刺されたあとのように。
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