桜会

 

 サクラサク


 掲示板の前には真新しい制服を着た集団がいた。 
 廊下を突き抜けるのははしゃぎ声。その音はピンク色に染まったガラスに反射し、建物の隅々まで響いていく。
 本当なら今の瞬間、私も心を弾ませ、クラス分けの発表に黄色い声を上げていたのだろう。
 でも掲示板を見た私から発せられたのは「なんだかなあ」の一言だ。
「あれ? 佐倉さんの名前が二つある……これって印刷ミスじゃない?」
 やる気のない理由を隣にいた坂井さんは簡潔に述べてくれた。無意識に毛先を巻く彼女の手を見ながら、私は「やっぱりそうだよね」と続ける。
 掲示板にずらりと並んだクラス名簿。注目すべきは一年三組の欄。
 出席番号十二番、十三番に同じ名前が書かれている。
 まぁ、パソコンを打ち込むのは人間なわけだから、間違いが出てくるのはしょうがないのだろう。
 しょうがないのだけど。
 何でそれが自分の名前の所なんだろう。
「なんだかなぁ」
 私の口からまたひとつ言葉がこぼれていく。気が抜けると肩に乗っていた髪がだらりと落ちた。朝、気合いを入れて整えたストレートが今にもへたりそうだ。
  「まぁ……アレだね。初日に間違われて、ちょっとテンションが下がるっていうか。そんな感じ?」
 坂井さんが私の心を代弁してくれたので、ちょっとだけ救われた。
「出席番号、どっちだと思う?」
「たぶん上のヤツだと思うけど。先生に一度確認してきたら?」
「そうだね」
 私は新入生の塊から抜けると周りを見渡した。クラス案内をしている先生を見つけ、印刷ミスを報告する。出席番号がどっちなのかと問い合わせると、先生は名簿の十三行目に二本線で消してくれた。
 気を取り直して、これからお世話になる一年三組への教室へと向かう。
 教室には机が縦に六列、横に六列並んでいた。すでに席についている人もいる。
 席次は男女混合の五十音順だから、私の席は窓側の席から縦に数えて十二番目――つまりは窓から二列目、一番後ろの席だ。
「それにしても佐倉さんと同じクラスでよかったー」
 席に着くなり、出席番号十一番の坂井さんが安堵の声を漏らした。
「ウチの中学からこの学校に来た人って少ないんだもん。クラスにひとりだけだったらどうしようかって思ってたんだ」
「私も。坂井さんと同じことを考えてた」
 本当のことを言えば、中学で坂井さんとクラスが一緒になったことはない。部活も別々だった。
 でも私は坂井さんと何度か顔を合わせているし、しゃべったこともある。だから坂井さんが同じクラスだと知って私もほっとしていたのだ。名簿のミスがなければ、手を取り合って喜んでいたのだろう。
「佐倉さんと一緒のクラスだと楽しくなりそうだね」
「そうかな?」
「受験の時も佐倉さんにいっぱい励まされたし。私すっごい感謝してるんだよ……ねえ、佐倉さんのこと、名前で呼んでもいい?」
「え?」
「もちろん私のことは『真子』って呼んでいいから、ねっ?」
 坂井真子ちゃんの人懐こい笑顔が私に向けられる。ちょっと押しは強かったけど、拒否する理由もない。私はそれを快く受けることにした。
 しばらくの間、私たちはクラスの様子を観察していた。
「ねえ。あのまん中にいる人、ちょっとカッコよくない?」
 真子ちゃんのアンテナがクラスの男の子たちに向けられる。チェックを入れているのは後ろの扉付近にいる男の子たち。中学が一緒なのか、談笑にふけっていた。
 輪の中心にいる男の子は確かにいい感じだった。ふんわりとした髪にアーモンドの瞳。すっと通った鼻の線が顔のパーツをほどよく支えている。笑った顔はとても爽やかだ。
「真子ちゃん、ああいうのが好みなの?」
「うーん。私よりも背が高ければストライクだったかな」
 こっそり評価をしつつ、私たちは笑みをこぼす。予鈴が鳴り響くと、噂の彼が仲間らしき人たちから離れた。こちらに近づき、私の席の前で止まる。
 最初は、隣の席だなんてちょっとラッキーかも、なんて呑気に思ったのだけど――
「悪いけど、そろそろどいてくれない?」
 は?
「ここ、俺の席なんだけど」
 そう言って彼は私の座っている席を指で示した。
「聞いてる?」
 突然の退去命令に私は口をぽっかりとあけてしまう。彼への第一印象が一瞬のうちに吹き飛んだ。
 この人ってば――何を急に言い出すのだろう。
「キミキミ、何ボケたこといってるのかなぁ?」
 私のかわりに返事をしたのは、真子ちゃんだ。
「ここは君の席じゃないでしょう?」
 小さな子供を諭すような言葉、ちょっと上から目線な口調は私もどきりとする所だけど、今回は同意見だった。
 それでも謙虚な態度で私は彼に問いかける。
「ここ、私の席なんですけど……もしかして、他のクラスと間違えていませんか?」
「いいや。ここは俺の席だって。そっちこそ、クラス間違えてない?」
「私はちゃんとクラス名簿で確認してから来ました。先生にも確認しました。だから間違ってません」
「俺も名簿二回見ました。先生にも聞きました。だから俺も間違ってません」
「は?」
 三行オチの繰り返しに私は眉の皺を更に深くした。
 ここが自分の席だと主張する私。ここが自分の席だと主張する彼。
 一体どっちの言い分が正しいのだろう――
「ここ、一年三組の教室ですよね」
「ああ」
「出席番号十二番ですよね」
「そうだよ。クラス名簿に佐倉『ショウ』って書いてあっただろ」
「え、佐倉『サキ』ちゃんじゃなくて?」
 思わず口を挟んだ真子ちゃんに、彼は一瞬むっとした表情を見せた。
「悪かったな。『咲』って書いて『ショウ』って読むんだよ」
 私と真子ちゃんは目を丸くする。
 この時になって、私は名簿に同じ名前が連なっていた理由がわかった。
 てっきり印刷ミスだと思っていたけど――
 あれ、間違いじゃなかったんだ……
「こんなことって、あるんだね」
 真子ちゃんが目をぱちぱちとさせる。
 私も目の前の事実に圧倒されながら、もう一人の佐倉咲をまじまじと見てしまった。
「な、なんだよ」
「あの、私も佐倉っていうんです。名前も同じ『咲』で、読み方がそのままの『サキ』で」
「え?」
 私の発言に今度は彼――佐倉くんの方が目を丸くする番だ。
「嘘、マジで?」
「うん」
 私は制服のポケットから仮の学生証を手にすると、机の上に広げた。
 ぺらぺらの紙の上に乗っているのは「佐倉咲」の文字。
 すると、佐倉くんが私と同じ仕草を始めた。
 名刺サイズの紙が二枚、並んだ二つの「佐倉咲」に私たちは唖然とする。
「驚いた。まさか自分と同漢字のヤツがいるなんて……俺、初めて会ったよ」
「私も……すごいびっくりした」
「でも名前が『さ』と『し』だから、やっぱりここはサキちゃんの席だよね。だからショウくんの席はあっち」
 そう言って真子ちゃんが教卓の前を指した。そこは別の意味で特等席と言える場所。
 決定的事項に佐倉くんががっくり肩を落とす。
「何だよそれー。だったら『さ』より前の名前にしてもらえばよかった」
「そんなことないんじゃない? 二人ともいい名前持ってると思うけどなあ。なんたってサクラサク(桜咲く)でしょ?」
「縁起よさそうじゃん」と真子ちゃんが続けたので「それはない」と私たちは否定した。
 それはあまりにも見事なハモリ具合。
「もしかして佐倉くん、受験の時期に何かされた?」
「もしかして、そっちの佐倉さんも?」
「うん。先輩から同級生から、頭いっぱいなでられた」
「俺も大明神とかって崇められてた。なんだかなあって感じだよな」
「ホント。うちら、神様じゃないのにね」
 私は過去をしみじみと思い出したあとではあ、とため息をつく。すると佐倉くんも同じタイミングで息を吐いていたらしい。重なる呼吸。顔を合わせれば、お互いから笑みがこぼれてしまう。
「これから三年間、よろしくな。佐倉サキさん」
「こちらこそ。よろしくね。佐倉ショウくん」
 私たちは自然と手を差しだし、握手を交わした。
 やがてホームルームを知らせる鐘が鳴る。建てつけの悪い扉ががたがた揺らぐ音――先生は時間きっちりで現れた。
 ゆるゆると進んでいた時間があわただしさを取り戻す。佐倉くんも前の席へと移動した。
 この学校に来て、初めてのホームルームが始まる。
 私は担任の先生の話に耳を傾けつつ、視界の隅にいる佐倉くんをぼんやりと見ていた。私の手のひらには彼が握手してきた時のぬくもりがまだ残っている。
 何だか不思議。生まれも性別も違うのに、同じ漢字を持っていたというだけで、共感と感動を抱いている自分がいる。
 最初は言葉にとらわれて、嫌だなあって思った時もあったけど、今はこの名を当ててくれた親に、ちょっとだけ感謝してしまう。
 外は清々しさが抜けるほどの青い空が広がっていた。大地を彩るのは桜色。いるのは希望に満ちた花――サクラサクの集い。
 この学舎で過ごす三年の間に起きた出会いや出来事は、きっと楽しくて、素敵な日々になるのかもしれない――
 私は佐倉くんの背中を見つめながら、そんな予感を抱いていた。

(K.Sさん主催 「ほのぼの小説企画」参加作品)
Copyright (c) 2010 All rights reserved.
 

-Powered by HTML DWARF-