昇銀竜菊先紅光露(PG-12)


 ホストと山登りなんてするもんじゃない、とあたしはつくづく思う。
 うっとりしてしまうほどの見目美しさも、あの調子いいトークも、うねる夜の山道では全くもって役に立たないからだ。正直、熊よけにもなりゃしない。
 いや、これはヤツにだけ言えることだろうか。
「サチさん疲れた〜 ちょっと休もうよ」
 送り火を迎えた八月十五日の夜。何度目かの戯言にあたしはうんざりとしていた。
「休むなら勝手に休め」
「えー、ひとりにしないでよ。俺、幽霊なんか会いたくないしぃ」
「だったら歩け。花火見たいっていったのはそっちでしょ。ぼさっとしてたら始まっちゃうわよ」
「でもこの荷物重いし。ほら、俺ってか弱いから」
「知るか。そんなの」
 だいたい荷物を持つといったのはそっちではないか。
 あたしは五メートル後ろにいるタカシを一瞥する。一度ため息をついてから、くるりと背を向けた。あとから、ぼやき声がついてくる。
「サチさんって、ツンデレというよりSだよね。サチのS、サドのSでサド子ちゃん――お、いいねぇ。そのネーミング」
 あはは、とタカシは笑う。普段は絶対しないであろう体力仕事で頭のネジがゆるんだらしい。でも自分デツッコミ入れて満足しているなら体力的な心配はいらないだろう。
 というか阿呆。
 あたしはタカシを置き去りにすると、麓で買った棒付き杏を口にくわえ、緩やかな坂を上った。時折足がちくちくするのはサンダルを履いているから。舗装されてない道だから素足に石や草の葉が迷いこむのだ。
 それでもあたしは構わず道を歩いて行く。藍の布にあしらわれた菫色の朝顔がふわりと揺れた。帯と巾着はそれよりももっと濃い赤で合わせている。提灯の下に吊るした蚊取り線香の匂いがどこか懐かしかった。あらわになったうなじに夜風がしのびこむ。
 やがて、口の中にあった杏がなくなると、坂の頂上に瓦屋根の日本家屋が見えてきた。家主はすでにここを引き払っていて、空き家になっている。管理が行き届いていないのか、縁側の雨戸は壊されたままだ。窓ガラスも割れていて外壁にも穴が開いている。庭にある古めかしい井戸は夜な夜な幽霊が現れ、すすり泣く声が聞こえる、と地元の的屋は囁いていた。
 確かに。道の悪い荒んだ跡地に地元民は誰も近づこうとしないだろう。それは逆に言えば、絶好の花火スポットということだ。だからあたしはあえてここを選んだ。町のすべてを一望できるこの場所を。
「だから幽霊なんてのはガセだっての」
 あたしはダメ押しの一言を放った。昔、この井戸に落ちて死んだ人間は確かにいる。だがすすり泣くような声は幽霊と全然関係ない。
あたしは廃屋の正面を指で示した。サッシの抜けた縁側、梁の部分に鉄でできた風鈴が吊るされている。それは風に煽られると、ちりりん、と涼しげな音を奏でた。
「あの音が井戸の中で反響して、そんな風に聞こえるだけ」
 今は井戸の蓋閉まってるから、音もへったくれもないけどね、とあたしは続ける。そう、怪談話なんて、大人の噂に尾ひれがついたようなものだ。
 あたしの説明にようやくタカシも納得したらしい。
「んだよ。あの的屋。俺を騙しやがったのか?」
「ヘラヘラしてるから、からかわれたんじゃない?」
 あたしはそう言ってタカシを茶化した。案の定タカシは膨れている。ま、そこが可愛いところだと、こいつに惚れた過半数は言うのだろう。
 はっきりいえば、タカシの顔は悪くない。万人受けする甘いマスク。肌はあたしよりもきれいだし、笑った時にのぞかせる白い歯も爽やかだ。身体のラインもすっきりしていて、どことなく色気がある。流行りを意識してか、最近は眼鏡をかけて「か弱くて優しい男」を演じているあたりは浅はかだけど。
 タカシはというと、あんな愛想のない的屋、潰れちまえばいいんだ、とまだ言っている。ちなみにそこはくじ引き屋で、あたしはハズレ。タカシは拳銃の形をしたライターを当てていた。くじに誘ったのはあたしの方だ。
 あたしは提灯を風鈴の隣に引っかける。縁側の周辺に危険物がないことを確認すると、ゆっくり腰を落ち着けた。タカシが額に汗を滲ませて運んでくれたクーラーボックスから缶ビールをふたつと夜店で買った焼そばやたこ焼きを取り出した。コンビニで買った氷の袋の中には子供向けの炭酸水が突き刺さっている。これは酒を飲んだ後のお楽しみだ。あたしはこっそり微笑む。
 あたしたちは廃屋の縁側に佇むと夜空に広がる芸術を楽しんだ。大輪の菊のあとに流れる彗星。花火の合間には涼やかな音。あたしたちは様々な色を目で楽しみながら酒を酌み交わす。プログラムも中盤を迎える頃になると、雰囲気に酔ったのか、タカシは目をとろんとさせていた。
「でも意外だな。サチさんが田舎育ちだったなんて。俺、ずっと都会にいるもんだと思ってた」
「そう?」
「だって、綺麗だし。あかぬけてるし。オーラが違うっていうか」
 タカシの見解はあながち間違いではない。ここに実家があるのも母親が中学の時にこの町に住む男と再婚しただけ。しかも実際は中学の三年間しか住んでいない。
「こっちの友達は?」
「いない。あたし、超いじめっ子だったから。めちゃくちゃ嫌われてた」
 取り出したばかりの煙草を指に絡めたまま、あたしは呟く。空に舞い上がる花火を見つめながら、過去の悪事を数えてみるが、両手だけじゃ物足りない。というか、多すぎて忘れた。
 覚えているのは当時のあたしがめちゃくちゃ荒れていたこと、あたしの苛めに耐えきれなくなって、隣町の学校に転校した奴が何人かいたということだけだ。あの当時はクラスの誰かに何かしらの嫌がらせをしていた。今思えば若気の至りというものだ。
 タカシが拳銃を差し出したのであたしは煙草のフィルターに唇をつけた。銃口からの灯をもらうと、当時のもやもやごと吸い込み、ゆっくり吐き出していく。光と衝撃でゆらゆらと流れる白い煙が、蚊取り線香の渦と重なった。
「で?『サド子』さんはそいつらの返りうちとか、訴えられたりとかしなかったわけ?」
「父親、地元ではそれなりに有名だから」
 過疎化した田舎では昔にあった貧富の差や身分が未だくすぶっている地域もある。お山の大将と言われればそれまでだろうけど、義理の父はそれを有効活用していた。何でも義父は名の知れた家系なのだそうだ。
 この町で唯一の不動産屋を営む義父は仕事上、法律に関わる人間とその手の抜け道をよく知っていた。だから父たちが繰り出すオトナの事情も、あたしのいじめも、発覚する前に権力と金で解決していたのだろう。常にグレー地帯を保ち続けるあたりは怪しいというか、さすがというべきだろうけど、それでもウチの親はそういう所にぬかりないから、あたしは義父たちのやることに口を出すことはなかった。そもそも自分に不利になることは全くもってなかったわけだし。
「ま。人からみればちょっとラッキーだったんだろうね」
「じゃ、なんで都会に戻ってきたの?」
 そんなの愚問だ。都会の方がいいに決まってるだろう。
 今は田舎暮らしだ何だって持てはやされているけど、都会からそっちに暮らすとなれば相当な覚悟が必要になる。あたしは不便さと共存するつもりなどこれっぽっちもない。常にイエスかノー、好きか嫌いかで決められる。
 だから中学を卒業してすぐ、あたしは東京にある母方の祖父母の家へ転がりこんだ。今は適当に仕事を変えながら、目下ニート生活中。タカシとはホストクラブで出会った。
 それをつらつらと言うとタカシが苦笑する。
「確かに。我慢強いってキャラじゃないよね。ま、サチさんが家を出なかったら俺と出会うこともなかったけど」
「そっちこそ、昔っから悪どいことしてたんでしょ?」
「まぁね」
 タカシは悪びれもなく肯定すると、ビールを口に含んだ。
 前にもちらりと聞いたけれど、タカシは最初、お年寄り相手に高額の健康食品を売っていたらしい。だが、先のない人間相手にしても「萎える」だけだそうで。次は若い女性をターゲットにしたのだという。
「美容器具のキャッチセールスやってたころはいい線いってたよ。ちょっと気弱なお姉さんナンパすればホイホイついていくし。褒めてじらして少し怖がらせれば簡単に財布緩めてくれるし。これでも営業トップだったんだぜ」
「でも、女の子相手にしたら金よりアッチの方が物足りなくなったんでしょ」
 あたしはタカシを斜め四十五度から見上げる。
「タカシは『枕』使うのが上手いって聞いたわよ。他の男の子たちより断然いいって」
「俺はくるもの拒まずなんだよ。みんなが俺の愛しい天使」
「とかいって。みんな騙すんだ」
 その口で泣かされた女が何人いるんだか――そう思いながらあたしは煙草の残りを木目に押しつけた。
「タカシに熱あげてサラ金に手を出した子とか、フーゾクいっちゃったとか。挙句の果てに自殺しちゃった子もいるって」
「ただの噂だよ」
「どうだかねえ」
 あたしはタカシからつい、と顔をそむける。目の前にいる男は金か、いい女にしか興味ないなんて、最初から分かりきっていることだ。
「サチさんは俺に熱くなってくれないの?」
「さあ?」
「つれないなぁ。今日はサチさんが誘ってくれたからこんなド田舎についてきたのに……優しい言葉くらいあってもいいんじゃない?」
 あたしのうなじに残る髪をもてあそびながらタカシは言う。
「店長にサボリの言い訳するの、すっげえ大変だったんだよ。あの人サチさんにべた惚れだから」
「そう?」
「あの人俺に嫉妬してんだ。あの店、俺でもってるようなもんだし」
「確かに。さっきも『タカシにおとされた女はみんな不幸になるからやめろ』って。そんな内容のメール来てたな」
「うぜえ」
「だからこう返してやったの。『あたしがおちる前に、タカシを落としてみせる』って」
 あたしの啖呵にタカシが満足そうに笑った。その指があたしの顎にからみつく。
「サチさんが俺を満足させてくれるの?」
「違うわ」
 今度は私が口角を上げた。
「タカシがどれだけあたしを夢中にさせてくれるか、でしょ?」
 どちらから、と言わずに唇を重ねた。お互いをついばむようなキスが続く。お互いの息使いも間隔を狭め、最後に舌を噛みつかれた。
「んっ」
 甘い声に気分を良くしたらしい。タカシはあたしの背中に手をまわし体重を傾けてきた。床にふたり落ちると、はだけた裾から足がのぞかせる。そのわずかな隙間がタカシの興奮を煽ったらしい。身体の上で感情が高ぶっているのが分かる。
 あたしはそれを全身で受け止めながら、自分の手をあさっての方向へしのばせた。巾着袋に入っていた「モノ」を探り当てる。確かな感触を手にすると、その先端をタカシの脇腹に近づけた。タカシはあたしを味わうことに夢中だ。頬に触れていた唇が、首をつたい鎖骨におりていく。それが胸に届く前にあたしは装置をはずした。
 頃合いをみて引き金を引く。
 小さな破裂音とともに、タカシの体が反った。情けない悲鳴をあげながら、縁側から転げ落ちていく姿は見ていてかなり笑える。縁側に伸びる血の跡。それをなぞったあたしは、着物の乱れもそのままにしてタカシに近づいた。胸ぐらを掴んで、額に銃を押しつける。
「言ったでしょ。『おちる前におとす』って」
「さ、ち……」
 床に転がった玩具とは違う――本物のコルト・パイソンの前であたしは悠然と微笑んだ。後ろで風鈴がちりちりん、と泣いている。
「安心して。今度はちゃんと仕留めてあげるから」
 タカシの顔は恐怖に満ち溢れていた。その一方で、こうなった原因を必死になって探しているようだ。だが、どんなに考えたとしても、血の抜けた薄っぺらい脳みそはなにも導きはしないだろう。
 だからこっちから答えを与えてあげる。
「岸本悠花」
 紡がれた言葉にタカシの瞳が揺れた。
「覚えてるわよね。一年前、あんたが自殺に追い込んだ女」
「何で」
「あれ、中学の時の同級生」
 けだるい口調で言葉を落とすと、銃口に寄った黒目が更に大きくなった。あたしに触れた唇がわなわなとふるえる。
「あれはっ――あれは俺のせいじゃない! あいつが勝手に死んだんだっ。俺は何も悪くない!」
「……そうね」
 あたしは冷ややかな眼差しで返した。
 確かに、タカシは何も悪くないのかもしれない。
 こうなったのはこいつのつまらないキャッチに引っかかって、甘い言葉で騙された悠花のせい。金も体も精神も奪われて。ボロボロになったのはこの男の本質を見抜けなかった結果だ。
 だから彼女が自殺したと聞いた時、最初は何も感じなかった。
 死に場所であるこの場所で彼女の遺書を見るまでは――
 

 できることなら学生の頃に戻りたい
 あの頃は毎日いじめられていたけど。
 でもね。私は、私をいじめていたあの子が好きだったんだと思う。
 だって、私に話しかけてくれたのは彼女が初めてだった。
 みんなは私のことを無視したけど、私と向き合ってくれたのは、
 悪いところもちゃんと言ってくれたのは彼女だけだった。
 辛かったけど、苦しかったけど。でも嬉しかったんだ。
 会いたい。
 蔡(さち)ちゃんに会いたい。
 会って、今の私を殺して――



 馬鹿かあの女。
 あたしは遺書を見た時と同じ言葉を心の中で吐いた。
 都合のいい時だけあたしをを引き合いに出して、殺してほしいだなんて。虫がよすぎるにもほどがある。
 そもそも、あたしが悠花をいじめたのは、あんたが大嫌いだったからだ。
 綺麗で、大人しくて、声が小さくて――自己主張もしないお人形。
 人のあとに続けばどうにかなる、泣けば誰かが助けてくれる。そんな甘い考えをもった女。
 へらへら笑って、長いものに巻かれて。自分から歩み寄ることも、努力することもしない最悪な人間。
 だからあたしは悠花をいじめた。本気でこの世からいなくなればいいと願っていた。
 でも悠花はなかなか死なないから、そのうちあたしが殺さなきゃと思うようになっていたんだ。
 そう、悠花の命を奪うのはあたしの役目。
 「アレ」はあたしが先に目をつけたもの。
 なのにこんなつまらない男に先を越されるなんて――
「許せない」
 あたしは安全装置を外した。情けない悲鳴が足元にしがみつく。それがあまりにもうざくて、あたしは引き金を持つ手に力をこめた。
 空がぱっと明るむ。目の前の出来事と重なったのは音と衝撃。散るのは赤の花びら。
 ろくでもない男は体をくねらせ、前のめりに倒れていった。瞳孔は開いたまま、それ以上ぴくりとも動かない。
 鉛の重さに解放されたあたしは手元の銃を放した。至近距離で撃ったせいか、耳が音を拾えない。衝撃でまだ手が震えている。ここに来る前、海外で練習したのに。手なれた銃を持ってきたのに――これだけはどうしようもないみたいだ。
 枯れた縁側にもたれ、座りこむ。ため息をつくと「蔡さん」と低い声がした。建物の陰から現れたのは射的屋の店主――橘だ。
「仇討ちは終わりましたか?」
 あたしは苦笑した。そんなんじゃないんだけど、と思う。だが、喉が粘っこいもので覆われて出すべき感情が乾いてしまった。
 橘は残してあったラムネを掴むと、あたしに差し出した。ビー玉が傾くと、喉にちくちくとした痛みが走る。頭がすっきりすると鉄の匂いが鼻をくすぐった。
「別の場所に運びますか?」
 あたしが血に酔わないうちに橘は言う。死体を見ても驚かないのは、義父の命令にそういった類のものが多いからだろう。今は不動産も扱っているが、私の義父はその手の世界で生きている。橘も義父のもとで働いていた。いくつもの修羅場を乗り越えた彼が今、あたしの側にいることがとても心強い。
「そこの井戸に棄てる。手伝ってくれる?」
 私はするりと帯をほどいた。浴衣の奥は湿気を含んだキャミソールとホットパンツが姿を現す。自分をまとっていた布で死体をくるむと、橘と協力して水辺へと運ぶ。
 井戸の中に放り込むと、包みは闇にあっさりと吸い込まれていった。
 壁にこするような引っかかりのあとで水が跳ねる音。その余韻にひたる前にあたしは井戸に蓋をした。
 この土地は悠花が死んだあとに義父が買い取った。一応物件として出してはいるが、件があったせいか売れた話は聞いたことがない。たとえ義父がくたばっても、そのまま残っている可能性の方が高い気がする。
 まあ、その方があたしには都合がいいのだけど。
「行きましょう」
 橘に促され、私は頷く。
 見上げれば銀色の竜が空の彼方へ伸びようとしていた。その姿が一瞬だけ消えると、数秒置いて大輪の花が咲く。
 目に焼きつくのは鮮明な赤。
 あたしはこの夏を一生忘れないだろう。
「さようなら」
 儚く消えたものたちにあたしはそっと別れを告げた。




(あとがき)
 拝読していただき、ありがとうございます。こちらはsagittaさんの競作小説企画第三回「夏祭り」参加作品です。  ジャンルはハードボイルドになるのか? 読後感悪かったらすみません。「どうしようもない人たちが繰り広げる救いのない話」というのに挑戦してみたかったのです。  途中色気なんぞも出してみましたが「この話には注意書き必要かな? どうかな?」で実はオロオロ(笑)その辺のご意見も頂けたら嬉しく思います。
 ※8/23追記 皆さんのご意見を参考にした上で、こちらは(PG-12)作品とさせていただきました。
(使ったお題)
 朝顔 焼きそば 素足 花火 ラムネ 風鈴 夜店 送り火 ビール 幽霊