酸漿と道化師


 私が八重さんと出会ったのはとても暑い夏の日でした。
 その頃私はまだ十二の小娘でした。とある大店のお屋敷に奉公しており、その日は奥さまの言いつけでお使いに出ておりました。ですが、私は道端で途方に暮れていました。スリに遭い、お金と店までの道のりを書いた地図が入った財布を盗まれてしまったからです。屋敷に仕えてから日も浅く土地勘のない私にとってそれは大変なことでした。
 引きかえそうにもどの道を通ったのかがわかりません。このままでは目的の店まで行くことができません。屋敷に引き返すことはできますがこのままでは奥さまからきつい叱りを受けることでしょう。
 やがて雨が振りだしてきました。私は慌てて雨宿りできる場所を探しますが周りは塀ばかりでちょうどよい軒先が見つかりません。やっとのことで見つけた木はひょろりとしていて、綿の着物に雨粒が染み込んでしまいます。私がほとほと困っていると、雨はどんどん降って私を濡らしていきます。
 そんな時、蛇の目の傘が私の体を覆いました。
 見上げると絽の小紋を着た女性が、どうしたのと聞いてきました。年は二十を超えた所でしょうか。とても優しげな声に、私はお金を盗られてしまった、と素直に答えました。それは大変な目に遭ってしまったのね。でもここにいたら風邪をひいてしまうわ。そう彼女は言います。最初、私は彼女の好意を素直に受け取ることができませんでした。自分の粗相を知られて恥ずかしかったのもあります。それに自分のみすぼらしい姿が上品な着物を着た彼女に不釣り合いだと思ったからです。
 私はべそ顔のまま首を横に振ります。大丈夫ですから、とひきつった笑顔で突っぱねます。
 すると彼女は自分の持っていたざるを私に突きつけました。じゃあこれを私の家まで持ってもらえるかしらと彼女は言いました。ざるの中では尾頭付きの鯛がびちびちと音を立てています。今にも川に飛び込みそうだからしっかり持っていてね。悪戯っぽく笑う彼女に私は言葉を失いました。彼女は言います。夕立は三十分もすれば止むでしょう。その間私の家でお休みなさい。どうすればいいかはそこで考えましょう、と。
 こうして私は彼女――八重さんの家にお邪魔することになったのです。
 案内されたのは塀の向こう側でした。それはとても立派な武家屋敷で玄関には生け花が飾られていました。さあどうぞ。中に通された私は恐縮しながら八重さんのあとをついていきました。長い長い縁側を歩いていきました。中庭の植物はずぶ濡れでした。それでも向日葵の茎はまっすぐに伸びて立派なものでしたし、立て掛けられたよしずに絡み付く朝顔のつるもしっかりしていて風に飛ばされる気配もありませんでした。側に置かれた鉢にほおずきが植えられています。赤らんだ実はとても大きく、見る人のため息を誘います。とても手入れのされた庭でした。
 いよいよ私の体も萎縮してしまいます。正直とんでもない所へ来てしまったと後悔しました。八重さんのお家がこんな立派だとは思いもしなかったのです。
 これからどうしようかと私が頭の中で考えをめぐらしていると背中に視線を感じました。私がそちらを見やります。すると薄暗い和の一室に無数の目が光っているではありませんか。私は思わず大声を上げ、腰を抜かしてしまいました。びっくりした八重さんがどうしたのと聞いてきます。私は唾を飲み込むと、ここはお化けか妖怪でも飼っていらっしゃるのでしょうか、と怯えた声で問いかけます。八重さんは一度目を丸くしてから私の目の先を追いかけ、その後でころころと笑いました。
 よく見てごらんなさい。八重さんに促され、私が再び部屋の中を見ます。そこには大きな棚が一つあり、こけしほどの大きさの人形がところ狭しと飾られていました。棚に飾れない分は床に置かれています。私が見た光は彼らのつぶらな瞳だったのです。
 人形はそのほとんどが金の髪に青い瞳をしていました。白玉を乗せたような肌にはほんのり化粧が施され、小さな口には赤い紅が引かれていました。それらは八重さんのご両親が趣味で集めていたものだそうです。八重さんにとって彼らは両親の形見で大切な宝物なのだとか。
 私はほうとため息をついて安心しますが、そのあとであっと思いました。八重さんの「親の形見」という言葉を思い出したからです。私が、ご両親はお亡くなりになったのですかと聞くと、ええ十年前に、と八重さんは穏やかに答えました。貿易会社を営んでいた八重さんのご両親は船の事故で亡くなられたそうです。今は両親が残した屋敷に一人で住み、お花の先生をしているのだとか。
 私は、八重さんはお嬢様で沢山の使用人を抱えているものと思っていました。なぜと問われたので、私は鯛と中庭の話を持ち出しました。こんなご立派な屋敷なのです。鯛を毎日食べていてもおかしくありません。家の中も外も手入れが行き届いているのです。使用人を雇っていても不思議ではありません、そう思う方が当たり前ではないのでしょうかと。
 自分が思っていたことを言うと八重さんは白い歯をのぞかせました。鯛はお花の教え子から頂いたもので毎日食べているわけではないそうです。中庭の剪定も年に一度職人さんに頼む程度だそうです。確かに昔はお嬢様だったけど最低限のことだけは一人でこなせるよう努力しているとか。それを聞いて八重さんはとても逞しい人だと思いました。
 とはいえ、こんな広い家に一人だけで住んでさびしくはないのでしょうか。
 私はふっと湧いた思いを尋ねると八重さんは首を横にふりました。昔はひとりぼっちだったけど今はさみしくないのだそうです。どうしてと私が問うと、愛する人がいるからと八重さんは言いました。そしてお腹の中で私とその人の子どもが生きているのだとも。
 相手の方は年の離れた方で、気弱だけど優しくて素敵な方だそうです。月に一度しか逢えないそうですが、今はこの子がいるから大丈夫なのだとか。子どもは桃の花が咲く頃に生まれるのだそうです。八重さんの微笑みは慈愛に満ちていました。一緒にいると私まで心がぽかぽかしてとても幸せな気分になりました。
 言葉通り雨は三十分ほどで止みました。
 帰り際、八重さんは私にお使い先のある通りまでの地図を書いて下さいました。そして返すのはいつでもいいからとお金を渡してくれました。私は何度も頭を下げると必ずお返しにあがりますと約束し八重さんの家をあとにしました。
 お使いを終えると日はすっかり傾いていていました。私がお仕えしているのは、町から少し離れた、小高い丘にある洋館です。私は小走りでお屋敷に戻りました。居間へ入ると、案の定ソファに座っていた奥さまが私をにらみつけておりました。私は買い物の品をを奥さまに差し出します。土下座をして使いが遅くなったことを何度も謝り、お許しを請いました。
 情けをかけてくれたのか、奥さまは何故遅くなったのかと理由を聞いてきました。さすがにスリにあったとは言えません。私は雨が降ってきたので親切な方の家に雨宿りさせてもらい、遅くなったと話しました。奥さまはちらりと私を見ます。怯える私にその親切な人はどんな人だと聞いてきました。私は八重さんの身の上を少しだけ話すと、今度改めて雨宿りのお礼に伺いますと言いました。たいして興味のない話だったのでしょうか。奥さまは話を聞くだけ聞くとふうんと鼻を鳴らして自分の部屋へ行ってしまわれました。
 それから数日後、私は再び奥さまのお使いに出ることになりました。薬屋で酸漿(さんしょう)を買うようにとことづかったのです。私は先日質で換金したお金を紙に包んで懐に入れました。使いを済ませその足で八重さんの家に向かいます。
 八重さんは私の訪問をとても喜んでくれました。私は借りたお金をお返しすると、先日おすそ分けに頂いた金平糖を八重さんに差し出しました。
 こういったものを八重さんのような方に渡すのは気がひけたのですが、どうしてもお金以外のお礼がしたかったのです。
 八重さんはとても美味しそうに金平糖をほおばってくれました。心なしかお顔がふっくらした気がしました。話を聞くと今はつわりで甘いものが食べたくなるのだとか。体調もまちまちでお花の指導も控えていて、外に出ることも少ないのだそうです。だから今は生徒や知り合いの誰かが訪問してくれるのが楽しみで、挨拶だけでもしてくれるのが嬉しいのだそうです。私のような者でもいいのでしょうか。私は恐る恐る尋ねると、八重さんはもちろん、と優しい笑みをのぞかせてくれました。
 それからお使いのあとに八重さんの家を訪れるのが私の習慣となりました。晴れた日は縁側でお花を教わったり、庭に成っているほおずきで風船やお人形を作ったりして遊びました。雨が降った日は部屋に飾ってある人形たちとお茶を飲みながら、八重さんが小さい頃住んでいた英吉利の話を聞きました。行ったことのない異国の話は私にとってとても刺激的で時間を忘れてしまうほどでした。
 八重さんは私よりもずっと年上でしたが、時折私に甘えたり拗ねてみせたりと子どもっぽい姿を見せてくれました。ある時は英吉利の方は紳士だから燕尾服のままお風呂に入るのよ、と冗談を話す時もありました。八重さんといる時間はとても楽しかったです。別れを告げるのが惜しくて、もっと話を聞けたらと何度思ったことでしょう。
 ある日、いつものように私が家を尋ねると、真っ赤な顔をした八重さんが出てきました。
 声も枯れ、見るからに辛そうな表情です。どうも風邪をひいたようでした。八重さんはうつすと悪いからと言って私を家に上げませんでした。
 その日私は八重さんが気がかりで、仕事が手につかずぐずぐずしていました。しまいには奥さまに叱られてしまいました。一体何があったのですか、奥さまに理由を問われたので私は八重さんのことを素直に話しました。身重の体なのに風邪をひいてしまって大丈夫なのか、心配でたまらないと伝えました。
 すると次の日、奥さまは私にお茶とお粥の入った鍋を持たせてくれました。一人暮らしなら不自由で心細いことでしょう、持っておゆきなさいと奥さまはおっしゃいました。私は奥さまの心遣いに感謝すると八重さんの家へと向かいました。奥さまの言うとおり心細かったのでしょうか。八重さんは私が来たことにとても感謝しておりました。私は台所を借りてお粥を温め直すと、八重さんの寝室へそれを運んで行きました。
 初めて通された寝室には今まで見たことのない人形が置かれていました。今までみた人形たちは金色の髪と青い目を持ち、ふわふわのドレスをまとっていました。ですがこの人形はぶかぶかの袖にズボン姿です。服が一つにつながっていて、首周りに変な飾りをつけていました。もっと不思議なのは顔を白く塗りたくり、目の周りに青いあざをつけていたことです。鼻はほおずきの実を切り取ったように赤く、唇はぷっくりと腫れあがっていました。右の頬に一粒の涙をこぼしています。
 とても奇妙な顔立ちをしたそれは、道化師というのだそうです。これが一番のお気に入りなのだと八重さんは語りました。何でも大切な方からもらったものだからそうで、うっすらと八重さんの頬が赤みを帯びていたのを今でも覚えています。大切な方、というのはおそらくお腹の子の父親のことなのでしょう。
 その日は話に花が咲きました。八重さんたちが出会い恋に落ちたいきさつを聞くことができたのです。何でもお二人は旅先の異国で出会ったそうです。財布を盗られて困っていた八重さんに声をかけたのがきっかけで、そこから交流が始まったのだとか。恋の話をする八重さんは無邪気で可愛らしい乙女でした。私は八重さんに風邪が良くなったら、その続きを聞かせてほしいとお願いしました。八重さんはうっすらとほほえみを浮かべ是非と答えてくれました。これでまたひとつ、ここに来る楽しみが増えました。
 昔から良い事が起きた後は悪い事が起きるといいます。私もうかれていて注意が足りなかったのでしょう。
 その日の夜私は取り返しのつかない粗相をしてしまいました。旦那さまが大切にしていた舶来品を汚してしまったのです。私は旦那さまにこっぴどく叱られ折檻を受けました。昼間の優しさはどこへやら、奥さまは私が最近道草ばかりして困ると苦言を漏らし、私はもろもろの罰として外出を禁じられてしまったのです。
 しばらくの間、私は台所で食事の手伝いをすることになりました。野菜洗いやら皮むきやら、かまどの火おこしがほとんどでした。でもそれらの仕事全ては奉公に出る前から家でやっていたことなので、罰にも何もなりませんでした。八重さんはどうしているのでしょう。体調はよくなられたのでしょうか。心配は募るばかりです。
 お盆を数日後に控えた日、私は久しぶりに外でのお使いを頼まれました。
 先日伺った薬屋で挨拶をかわしますと店の主人はこう言いました。奥さまは元気ですか、風邪をひいたと聞きましたがあれからどうですか、処方した酸漿根(さんしょうこん)は効きましたか、と。私は首をかしげました。だって奥さまは私が仕えてからこの一度も風邪をひいていなかったからです。それでも私が話を合わせて頷くと、薬屋の主人から思ってもいなかった話を聞かされました。
 八重さんが自ら命を断ったというのです。
 何でも――八重さんは先日引いた風邪が原因で流産をしたとか。
 八重さんはひどく落ち込んでいたそうです。もともと病弱で肉親を早くに亡くし宿した子どもまで失って……その悲しみは相当なものだったのでしょう。彼女は孤独の身に耐えられなくなって、毒を飲んでしまったのだと。
 まだ若いのに、とても可哀想にと店の主人は嘆きました。私の体はぶるぶる震えています。居てもたってもいられなくて、私は品物を受け取る前にお店を飛びだしました。
 彼女の家を訪れるのは実にひと月ぶりです。家の前には弔いの提灯が掲げられていました。庭に咲いていた朝顔や向日葵の姿はありません。ほおずきも朽ちていて、色の抜けた実と茎だけが残っていました。むき出しの縁側に虫の死骸が転がっていました。涼しげな音を立てていた風鈴はうんともすんとも言いません。部屋に佇む人形たちは骨董屋に売却されることがすでに決まっているそうです。行く末を知った彼らは心なしか生気を失っていました。
 そんな中ぽつりと鎮座していたのは八重さんの思い人でした。私の倍以上年を重ねたその人は、八重さんの側で肩を震わせています。枕元にいた道化師も右頬に一粒の涙を流していました。私は床に横たわる八重さんにそっと触れました。その手はとても冷たく、汗すらかいていません。
 ああ、八重さんは本当に死んでしまったのですね。
 私はその場に呆然と立ち尽くし沢山の涙を流しました。声を上げて泣きました。蝉の声が五月蠅い、八月の出来事でした。
 その後葬儀はひっそりと行われ、八重さんはご両親と同じお墓に埋葬されたそうです。八重さんの家は売りに出されることになりましたが、いわくつきとなってしまい、買い手がつくかはわからないそうです。私は八重さんが大切にしていた人形を一体譲って貰う事になりました。私もしばらくの間は衣装箱の中に入れて大切に保管していたのですが、いつからかその日あった事を人形に語りかけるようにしました。辛い事があった時は人形の顔を見て八重さんを思い出し、元気を分けてもらいました。
 その後私は調理場での仕事が評価され食事の下ごしらえを任されるようになりました。家の中にいるのがほとんどで、今では八重さんの家のあった方向へお使いをすることもありません。
 そしてお盆が過ぎ、私の脳裏にほおずきの影が薄くなった頃、奥さまにちょっとした異変が起きました。常に誰かに見張られているというのです。人の気配を感じるのに振り向くと誰もいない、寝室で横になるとあざ笑うような女の声が聞こえる。そして夜な夜な奇抜な顔をした人間が窓に張り付いて奥さまの顔をじっと見つめているというのです。金色の髪に白い肌、目のまわりに青い痣をこしらえ、鼻は赤く唇は腫れあがって――まるで道化師のようだとおっしゃっていました。
 奥さまの言葉に使用人の誰もが怪訝な顔をしました。だって寝室には鍵がかかっていて、奥さま以外誰も入ることができなかったのですから。それに奥さまの言いつけどおり外を見回っても怪しい人物は見当たらないのです。
 奥さまは誰にも信じてもらえないことに腹を立てておりました。最初は機嫌が悪いだけで済んでいたのですが、数日も続くとさすがに奥さまの目に深い隈ができてきます。二週間後には意味不明なことをおっしゃるようになりました。半月を過ぎる頃になると奥さまは幻覚を見るようにまでなりました。夢二の絵と謳われた美しさはどこへやら、奥さまはほとほとやつれ、がりがりの体になってしまいました。しまいには空気の良い郊外の病院へと送られていきました。
 それからしばらくして、旦那さまも仕事で海外へ行くことが決まり、使用人たちに暇が出されました。奉公人の私も例外に漏れず家を出ることになりました。本来なら私も田舎に帰される所だったのですが、料理長のすすめもあり割烹旅館に住み込みで働くことになりました。
 出発の日、私は荷物を取りまとめました。風呂敷に包んだのは握り飯と着物が少し。人形は両手に抱えます。あとは旦那様さまに最後の挨拶をするだけです。
 全ての準備を終えると、私は旦那さまの書斎を尋ねました。机に座っていた旦那様に私は深々と一礼し、両手で鍵を差し出します。旦那さまは鍵を受け取るとありがとう、と私に述べました。君に嫌な仕事をさせてしまって済まなかった、と。
 私は首を横に振りました。
 いいえ、これは私が望んだことです。これが私にできる償いなのです。
 旦那さまはこれからも私の世話をしてくれないかとおっしゃいましたが、私はそれを丁重にお断りしました。仕事を紹介して頂いたので生活には困りません。旦那さまについていくよりもこちらの方が私の身の丈に合っている気がするのです。旦那さまは困ったような顔をしました。このまま手ぶらで君を出すことはできない、何かお礼をさせてくれないか。
 でしたら八重さんの夢を旦那さまが叶えてあげて下さい。そう言って私は持っていた人形を机の上に座らせました。愛嬌のある道化師が机の上の人形に寄り添うと二つの表情がぴったりと重なります。旦那さまが持っていた宝物、それはまぎれもない、彼女が持っていたのと対になる道化師でした。ひとつ違うのは涙の位置が左側――逆にあることです。
 八重さんと最後に会話した日、私は書斎でこの人形を見つけました。私は思わず前のめりになり、持っていたお茶をこぼしてしまいました。八重さんと旦那さまの関係を知ってしまったのもこの時です。あのあと旦那さまは烈火のごとく怒られましたがその行動も今なら納得できます。八重さんが亡くなった日、居間で肩を落とす旦那さまはこの世の終わりを背負っているかのようでした。まるで自分だけが不幸なのだといわんばかりの表情をしていました。
 旦那さまは婿養子で親の借金の肩代わりとして今の奥さまと結婚したと聞いております。二人の間に子どもはおりません。夫婦仲もほとほと冷めておりました。旦那さまは八重さんを心の拠り所にしていたのでしょう。旦那さまにとって八重さんとの時間がどれだけ幸せであったか。逢えない日は小さな箱庭の中で、この人形を見ながら想いを馳せていたのかもしれなません。
 そう思うと胸が張り裂けそうになります。
 何も知らなかったとはいえ私が二人の幸せを壊してしまったのですから――
 八重さんに別れを告げたあと私は薬屋を再び訪れました。奥さまの使いをすっぽかしてしまったからです。腫れぼったい眼をしたまま私は酸漿を受け取ります。突然店を飛び出した私に一体何があったのだと店の主人は聞いてきます。あまりにもしつこいので私は話をそらそうと酸漿とは何かと尋ねました。
 酸漿はほおずきを煎じたもので咳止めや解熱に使われるそうです。普通の人が煎じて飲むに差し障りはありませんが、妊婦が飲むのは禁じられているそうです。江戸時代は堕胎剤として使われることもあったそうです。私はその話を聞いて凍りつきました。
 奥さまはずっと前から二人の関係を知っていたのかもしれません。常々八重さんの家のある方向への用事を頼んでいたのですから。もしかしたら私以外の人には彼女の様子を探るように言っていたのかもしれません。そして八重さんが風邪をひいたと知って、私にお茶を持たせたのでしょう――酸漿を混ぜたお茶を。
 そうなると八重さんの死そのものにも疑問が湧いてきます。
 私は自分が店に来なかった間、奥さまの使いで誰か店に来なかったかと尋ねました。毒となる薬を買ったのではないかと思ったからです。すると八重さんが亡くなる数日前に使いの人を見かけたと言うではないですか。使いは奥さまの知人に山菜を届けに行くと言っていたそうです。私の顔面はいよいよ蒼白になりました。同じ頃、避暑地にいた奥さまのご友人から山菜が届いたのを思い出したからです。調理をする時、私はその中に鳥兜があることに気づきました。鳥兜は猛毒です。よもぎや二輪草に似ていて、葉だけではなかなか区別できません。
 私が奥さまに報告すると、友人がよもぎと間違えたのねと笑って持っていました。山菜が食べたいと言い出したのはもちろん奥さまです。
 奥さまは最初からこの結末を用意していたのでしょうか。
 私や八重さん、旦那さまの心を無視して――
 私は奥さまを恨みました。それ以上に自分を許せなくなりました。
 私にとって八重さんはこちらに来て唯一心を許せた存在でした。何も知らなかったとはいえ彼女を傷つけてしまったこと、こんな形で失ったことが悲しくてたまりませんでした。死んでお詫びをしなければならないとさえ思い一度井戸へ身を投げようとしました。ですが通りかかった旦那さまに止められてしまいました。
 泣き崩れた私は旦那さまに全てを打ち明け懺悔をしました。旦那さまは私の話に驚いていましたが、しばらくして首を横に振り君は死んではならないと静かに言いました。君が死んでしまったらそれこそ八重が悲しむことだろう。八重はそんなことを望んではいない。でもどんなに諭されても心の中にあるしこりは取れませんでした。
 すると旦那さまは私にこう囁いたのです。ではその力を私の為に使ってくれ。私に協力してくれ――と。
 翌日、私は旦那さまから鍵の束を渡されました。それはお屋敷のどの部屋に行ってもよいというお許しでもありました。鍵を頂いたことで私は奥さまの寝室を自由に行き来できるようになりました。とある夜はベッドの下にもぐって笑い声をあげ、また別の夜は道化師の姿になって寝室の窓に張り付きました。奥さまに追いかけられた時は普段は使われてない、開かずの部屋や鍵のついた納戸へ逃げ込みました。一度ばれそうになった時もありましたが、旦那さまが私をかばってくれました。
 奥さまの行く末は常に旦那さまの描かれる物語の上にありました。まさかこんなにも上手くいくとは思いもしませんでした。奥さまには気の毒なことをしてしまいましたが、奥さまが日に日にやつれていく姿に少しの快感を覚えたのも事実です。奇抜な顔を描いたお面は墨で塗りつぶしました。見よう見まねで作った衣装はお面と一緒に燃やしました。人の道に外れた事をしたのは事実です。この先私には修羅の道しかないことも覚悟しています。でも私の心は一点の曇りもありませんでした。
 私はもう一度旦那様に頭を下げます。くるりと踵を返すと、新たな扉をひらきました。八重さんはもうこの世にいません。旦那さまと一緒になりたいという彼女の願いは最後まで叶いませんでした。私は思います。だったらせめて、人形たちの間だけでも幸せにしてあげたいと。
 お伽噺のしめくくりのように、どうか彼らがいついつまでも幸せでありますように――
 私は心の底から願いました。


 こちらはsagittaさん主催 競作小説企画第六回「夏祭り」参加作品です。
 (使ったお題)風鈴 虫 夕立 ひまわり 朝顔 汗 蝉 白玉 ほおずき