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 3 災難

 一瞬、自分が飛び上がったような感覚に驚いた。人々の悲鳴に血の気が引く。足がもつれた事で、これが地震であることを確信した。お袋が妹の頭を自分の体でカバーする。親父は俺の腕をつかんだ。その手のひらはじっとりと汗ばんでいた。
 地震は一分ほどでおさまった。だが、体がまだ揺れているかのような錯覚を感じる。電車に乗っていなくてよかった。これで発車していたら、閉じこめられていたかもしれない。  親父の手が離れた所で、俺は周りをあらためて見渡した。お盆が明けたとはいえ夏休み、東京駅のホームには俺達のような家族連れが溢れている。とんでもない家族旅行になってしまった。あとは家に帰るだけだったのに。駅のアナウンスはまだ地震がありました、とだけしか言っていない。誰もがこわばった表情のままでいる。
「しばらく電車動かないかもな」
 親父がぽつりと言った。こういう時、親の冷静さには驚いてしまう。俺なんか立っているのがやっとなのに。情けない。ふと上を見上げると、ミッキーの風船がホームの天井に引っかかった状態で俺たちを見下ろしていた。このパニックでもコイツだけは余裕のようだ。
 突然、振動が体を駆け抜けた。また地震か?思わず振り返るが、周りの動揺は見られない。ああ、携帯電話が鳴ったのか。
「大丈夫、おにいちゃん?」
 妹が顔をのぞき込む。気分が悪くなったと勘違いしたようだ。今にも泣きそうな顔をしているくせに人の心配をするあたりがこいつらしい。俺は大丈夫だよ、と言うと携帯のディスプレイを見た。公衆電話からだ。
「誰だ?」
 3度目の動揺。かけてきた相手は深雪だった。深雪はバイト仲間で、ちょっといいなと思っている女の子だ。かわいいくせに気が強いのがタマにキズだが。
 ――すぐに出なさいよ! 何かあったと思うじゃない。
いきなり怒鳴られた。
「いや、地震があったんだけど」
 ――そんなの知っているわよ。だから大丈夫かって電話したの!
 どき、と心臓が波打つ。怒鳴られながらも自分を心配してくれたことが嬉しかった。思わずかっこつけて返事をしてしまう。
「おう。かなり揺れたけど、俺はたいしたこと無かったぜ」
 ――違う。心配なのは頼んだお土産よ。江戸切り子って割れやすいんでしょ?
 心配なのはそっちか。がく、と右ひざが折れ曲がった。俺の気持ちに気づいていないのが相変わらずで悲しい。だが、深雪のツッコミが逆に頭をすっきりさせていた。周りを見る余裕ができると、親父が手をグーパーさせていることに気が付く。スピーカーになれって事らしい。
「なぁ、さっきの震度いくつだったか分かる?」
 ――ちょっと待って。店のテレビ見てくるから。二分待って。
 がちゃん、と扉が開く音。店の外にある公衆電話からかけているのだろうか。その間に電話が切れなければいいんだけど、と思ったが余計な心配だった。俺は二分待つことなく、息を荒くして電話口に戻ってきた深雪を迎えたのだ。
 ――えーと、東京は震度5強だって。私のとこは震度3だった。
「震度5強ぉ?」
 周りの人達が一斉に俺を見る。
 ――震源は東京湾沖で、マグニチュードは6.5。深さは30キロだって。津波警報は今の所出てないみたい。
 頭がクラクラしてきた。再び心拍数が上がってきているのが自分でも分かる。俺は深雪から聞いたことをそのまま声に出すと、周りからどよめきの声が上がった。地震の情報もなく、それぞれの携帯が繋がらないので不安を感じていたのだろう。俺が震度を口に出したことで、驚いたものの自分たちのすべき事を整理できたようだ。
 ――まぁ、無事ならいいわ。安心した。
 深雪の口調が変わる。優しい声にまたどきり、としてしまった。これはチャンスかもしれない。気の利いた言葉の一つでも言って心をわしづかみにしなきゃ、と思ったその時。
 ――そうそう、お弁当を今のうちに買っておいた方がいいかもね。じゃ切るから。
 ぶつん。深雪はあっさりと電話を切った。俺はぽかん、と口を開けたまま止まってしまう。優しい声に何かを期待してしまったが、儚い夢だった。ま、携帯が繋がっただけでも幸いと思おう。俺は苦笑した。
 考えてみれば携帯がよく繋がったな、と思う。こういう時は電話回線がパンクして繋がらないって聞いていたのに。それを話すと親父は、こういう時は公衆電話の方が優先されるのだと答えた。
「電話を切ったのも、他の人が電話繋がりやすいように配慮したからじゃないの?いい子じゃない」
 お袋の言葉に妹がいい子、いい子と繰り返す。深雪を褒めたのに何だか自分の事のように嬉しくなってしまった。
 運転の見合わせのアナウンスが流れた。帰りは長い。とりあえず弁当でも買ってくるか。俺はお袋からお金をもらうと、キオスクへと足を運んだ。

               
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